二七、言靈(ことだま)  
     
   アランサアランサアランサアランサ、
 ランランラン、アランサアラン、
 こともなげなることなれど、たゞあらはるることの葉を頼りにすれば何事も、皆(みな)あからさまにぞわかるなる、うはべの事か眞實(しんじつ)か、言の葉末にあらはるる、その言の葉を頼りにて、わが思ふ事を傅(つた)へなむ、わが思ひをば傅(つた)へなむ。言の葉の力の程は昔より、傅(つた)へ來りし古事(ふること)の、文に現はる言靈(ことだま)の、その働に表はれて、大和島根の民草は、何にたよらむ術(すべ)知らず、只(ただ)言靈(ことだま)に導かれ、遠つ御祖(みおや)の教をも、今の今まで傅(つた)へ來て、そのありし世の事皆(みな)を、今の今にも行ひて、昔に變(かわ)らぬ敷島の、道に命をつなぐなり、此(この)言靈(ことだま)の力をば、末の末まで傅(つた)へ行き、大和の國(くに)は言靈(ことだま)の、幸(さきわ)ふ國(くに)と何時(いつ)までも、海の内外に傅(つた)はりて、盡(つ)きせぬ國(くに)の力をば、此世の人に知らすべし。言の葉の力によりて如何(いか)ならむ、悪魔をも是(これ)を平(たいら)げて、安けき國(くに)を何時までも、保ち保ちて大神(おおかみ)の心のまゝに治めなん。
 
     
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