三七、戒(いまし)むべきは我心〜  
     
   まゝならぬ浮世哉(うきよかな)、人は何とか思ふらんと、常に人の心に思ひをくばれ共(ども)、常に吾(わ)身の行を愼(つつし)まず、吾(わ)身の錆(さび)をかくし置きて、人の心に戸を締めんとす、かゝることはり無き事を、願ひつつも常に世を、かこちて儘(まま)ならぬ此(こ)世かな、と歎(なげ)くこそおかしけれ、儘(まま)ならぬ世となすは、吾(わ)身吾(わが)心儘(こころまま)なる世となし得べきものを、自らあやまりて儘(まま)ならぬ世となすなり、神の示(しめし)に従ひて、つねに心を清く又直く持ち、其(その)身の行を心せば、此(こ)の世の中も渡りよく吾(わが)思ふ如くなるべきに、始めより神の示しを守らずして、只(ただ)我よこしまなる心の慾に導かれ、その我儘(わがまま)を遂げんとするが故(ゆえ)に、吾(わ)が行も儘(まま)ならず、吾(わ)思ふ事を人よりさまたげられて、安々と成し遂げ難くなるものなり、己(おのれ)が心の持ち方をあやまり居るに氣附かずして、己(おのれ)が思ひにまかせねば(自分の思い通りにならないと)、此(こ)世をかこちてまゝならぬ世とは云ふなり、戒むべきは吾(わ)が心。  
     
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