四、人と我  
     
   ますます云(い)はねばならぬことの葉は何事にてありけるかや。夫々(それぞれ)にわきまへぬものなれども、今より後(のち)はさらさらとかきしるして見すべし。今は如何(いか)なる時なるか、誰人(だれ)も知るに由(よし)なしと雖(いえども)神は知り給ふなり。夫(そ)れ神の知り給(たま)ふところは皆(みな)人に知らしめ給ふべきなり。ソレより後に來るものにも知らしめ給ふべし。今は皆(みな)人に知らさねばならぬ事のみなりとて書き示すなり。
 何時如何(いついか)なる事の起るべきか、人は知らねど神は給ふべし。故に何事も恐るゝ事無く為(な)すべし、為(な)す事として神の指図(さしず)によらざるはなし。
 一々神の導きによりてこそ為(な)し得べきなれ。
 抑(そもそも)神の示し給ふところのものは何々なりぞと云(い)ふに、其(それ)は今より人の悉(ことごと)く知らねばならぬことのみなり。今は其一、二を示すべし。

 第一に曰(いわ)く。人の多くは唯自己の事のみ苦心すれどもソレは不可なり。必ず人の為(た)めになることならざるべからず。

 第二、何事を為(な)すにも神に尋(たず)ねて後為(な)さざるべからず。

 第三、人々の為(た)めとは云(い)へ、己(おの)れも全然無視すべきにあらず。人を助けん為(た)には己(おの)れが確かならざるべからず。人の為(た)め人の為(た)めとのみ云(い)ひて己(おの)れを顧りみざれば遂に行きつまるなり。人と我とは共に進まざるべからず。必ず一致すべき道ありて存する也。夫(そ)れ人と我との関係は恰(あたか)も火と土との関係の如し。火ありて土ソレを支へ、土ありて火を被(おお)ふ。両者互に補佐してこそ世界は成立するなれ。火のみにては成立せず。土のみにても成立せず。必ず両者一致せざるべからず。

 茲(ここ)に更に語るべき事あり。其(それ)は何事なるかと云(い)ふに其は世の中に処(しょ)すべき道なり。世に処(しょ)するも人に処(しょ)するも同じ事にて人と世とは決して分つべきものにあらず。互に相(あい)結びて成立する也。人と世と神と人と皆(みな)共に相(あい)関係するものなれば、必ず互に其(その)連絡を保たざるべからず。世には世の事、人には人の事、神には神の事ありとして別々に別れなば必ず皆(みな)乱れるべし。
 三者一致してこそ眞(まこと)の世界は成立するものなれ。神はもとり其(その)全部の總(そう)支配者たること勿論(もちろん)なり。人は神に次ぎ、世は人に次ぐべきなり。神は常に人を導き、人は常に世を導くなり。世と人と互に別れ別れなば何れも死物となる也(なり)。生あるものは必ず互に相(あい)連係せざるべからざるなり。水は木を育て木は人を育て行くなり。
 やすらけく治まる御代の姿こそ何に例(たと)へんものもなし。うらうらと輝く星の如(ごと)くにて大空に懸(かか)りて唯(ただ)光るのみなれ。光は四海を照らせども四海波静かにてソレを寫(うつ)すのみなり。寫すと雖(いえども)光は唯(ただ)うつるにあらず、力を以て其存在を知らしむべし。力とは何か其(その)大本は皆(みな)神に歸(き)すべきなり。
 今や神の光と力とを世に示し給ふべき所(ゆ)以(え)を知りたるなり。人は眼あるが故に光を知り、心あるが故に力の存在を悟るなり。眼なければ光を知らず、心なければ神の力を知る由(よし)なし。心は常に神と人との関係を保(たも)たしめ、眼は常に心の窓として神の光を取り入るゝ也。心眼開けて初めて眞の神を認め得(え)べきなり。
 
     
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