五、天照大神?  
     
   われは天の原をかけりて何處(いずこ)へ行かんと思ふなる。われは天かけり空かけりて、いづ方へぞ行くなる、われは今此處(ここ)に現はれ出でて、われは又何を此處(ここ)にて告げんとするぞ。今は何とも岩清水の其末(そのすえ)清き五十鈴の川の川上に鎭(しずま)りて、大昔より今に至るまで、永き世の樣を一々見守りて、世の浮き沈みを治めつつ、浮き立つ波を鎭(しず)めつつ、わが皇(すめらぎ)の國(くに)を治め、或時(あるとき)は天津日嗣(あまつひつぎ)を守りあげ、又或時は國民を救ひ助けておるものなるぞ。われはソもわれは、まことのわれは日嗣(ひつぎ)の御親(みおや)國の柱となりて遠き神代の昔より近き今の今までも、おこたり無く、國を守りてあるなるを、ほらほら貝の音すみ渡る青き世に、またと再び北國を建て直さんと思ひてぞ、まかりまかりて遙けくも遠き彼方の海原を、尚踏み越えて外國(とつくに)のしこらを打(うち)平げて來らんとて、今や我國の總(すべ)ての力を合はせつヽ遙かに彼方へ進むなり。はるかに彼方へ進むなり。
 われは又空にかけ上りて、大海原を見おろせば、数多の者共おちこちに、集ひ集ひて何事か、謀(はか)りたくらむ樣見えて、それ等のやからの集りて為す事ことは皆われを、苦しめんとの企(くわだて)なり。われを仇(かたき)とつけねらふ輩(やから)其(そ)の集(つどい)なり。われは恐るゝことも無く、われは彼等を何とも思はねど、彼等は切りにわれに向ひて、悪事を為さんとはかりはかりてあるなるを、われは却ってあはれにぞ思ふなる。彼等如きになやさるる事なけれど、今となりては唯(ただ)徒(いたづ)らに、それを追ひ拂(はら)ふべき途(みち)をはかりて時を過(すご)し、民をわづらはさんことを氣の毒に思ふなり。はや早此(この)わずらひを取り去りて、一日も早く此世の中を平げて安けき世となさばやと、ソレのみ常に心を碎(くだ)き如何にせんやと、茫々(ぼうぼう)たる大空より見渡すなり。
 
     
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