アルベルト物語 〜蓬莱編〜

エピソード2:「慢心は成長の最大の敵」

 

 行く夏を惜しむ陽光が、容赦なく降り注いでいた。

 未だ消えぬ砂煙は、闘いのすさまじさを物語っている。

 喉がカラカラだ・・・。

 体中にまとわりついた砂が不快感を煽った。

 心がとても乾いていた。

 勝負は終盤、あっけなく着いた。後続を引き離しての圧倒的な勝利。

 勝つ自身はあった。だが、勝者は自分ではなかった。

 − 負けたのだ。しかも、大差を付けられて。 −

 

 砂の上に膝を着き、ガックリとうなだれたアルベルトは、

 3カ月前の悪夢を思い出していた。

 

 名門・トリノのプリマヴェーラに所属していたアルベルトは、

 チームのA復帰を機に自分もトップの一員になれると確信していた。

 若干15歳での、セリエAデビューという夢がそこにあった。

 しかし、シーズンオフのカルチョメルカート(サッカー選手の移籍市場)

 始まったとき、移籍リストに自分の名を見つけて愕然とした。

 − チームはこの俺を売りに出したのか?俺が必要ではないのか? −

 

 それでもアルベルトは、金銭的な事情が絡んでの放出と考え直した。

 仮にも移籍先はクロアチア・ザグレブ。1部リーグの名門だ。

 − 旧ユーゴ時代、東欧のブラジルと呼ばれたクロアチアで

   異国のカルチョを学ぶのも良いかもな −

 そんな思いでクロアチアに渡ったアルベルトだったが、

 待っていたのはユースチーム所属という現実だった。

 − 約束が違う。 −

 6歳からインテル、トリノと名門チームでプレーしてきた。

 − 俺は将来、アッズーリの10番を背負うファンタジスタ −

 いつの間にかそう、思うようになっていた。

 結局、クロアチアではフロントとの折り合いがつかず、

 アルベルトはプレーすることなくチームを去ることになった。

 

 契約問題でトラブルを起こしたユースの選手には、

 やはりそれ以上声は掛からなかった。

 術を無くしたアルベルトは父の祖国である日本に新天地を求めた。

 「蓬莱学園の生徒」として、「サッカー部の部員」として・・。

 

続きを読む

 

Update 2003/05/25

2003 Masato HIGA / HIGA Planning.

 

ペンギン掲示板へ感想を

 

作品メニューへ戻る

 

BAR dello PINGUINOに戻る