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1994年12月20日
大阪15:35発→北京20:05着で、妹が遊びに来る。
という事で、19日の朝の列車で北京へ向かった。
一人で北京は、不安だなぁ〜と思ってたら、
この前まで遼大(留学している遼寧大学)にいたM君が遼大に来ていて、
ちょうど北京に戻る日だったので、一緒に行く事になった。
「おぼっちゃま」と噂のM君は、私と同じ時期に遼大に来た。4つ年下。
武術を勉強したいと、北京体育大学に転校して行ったのだが・・・
大丈夫なんだろうか?
特にそれを思わせたエピソードをひとつ。
M君は、列車の中で、カップラーメンを購入した物の・・お湯はどうするんだろう?と見ていたら、
列車員に「ミネラルウォーターは?」と聞いて「は?」と怪しまれていた。
知らん顔するわけにもいかず、「お湯はどこにあるの?」と・・
「○号車」と言って、列車員が去った後、M君はなかなかお湯を入れに行かない。
30分程経ってから、「なかなかお湯持って来ませんねー」と言われ・・・
この子は、本当に中国でやっていけるんだろうか?と心配になった。
中国にサービス精神なんて、あるわけないだろう!まだ分かってないのか・・・。
(’05現在は違うと思うケド)
20日、妹を迎えに北京空港へ。
無事に出会えた。(ホッ)
荷物を預ける為に、空港近くのホテルへ。
とっても近いのだが・・・妹に持って帰ってもらう私の荷物は、超重い。(喀什で買った絨毯が入ってたりするので・・・)
ので、あまり乗りたくないが・・TAXIで行った。
着いた途端、「50元」と言われ・・・
だから乗りたくなかったのよ〜。もちろん払わなかったけど。 |
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