八重桜おもほゆ我がココロ

〜いにしへの〜

この辺りは夕暮れになると一段と賑わう。
いつの頃からか、この賑わいもそれ程嫌いではなくなった。
「お前可愛い顔をしているな。今夜は俺と遊ばないか」
「悪いけど先約があるんだ」
「けっ、お高くとまりやがって。色子のくせに!」
店の格子越しに声をかけてきた男はそのまま走り去った。
格子の中には色とりどりの着物を羽織った色子達が買い手を待っていた。
色子とは遊郭で体を売っている男のことである。
ここ陰間茶屋は事情を持った色子達が働いていた。
年齢にして十二歳から十九歳位の少年達ばかりであった。
「藤乃は誰を待っているの?」
「ああ、あれはウソだよ。あんな客がついたらいやだったからさ」
藤乃と呼ばれた少年は色素の薄い指先で口元を抑えながら微笑んだ。
「ねえ、お前もっと良く顔見せろよ」
「くっ!」
いきなり格子の向こうから手が伸びてきて藤乃の顎を掴んだ。
藤乃はその男の顔を見た。
年の頃は自分と同じくらいだった。
こんな歳でここに来るなんてその筋の関係かどこぞのお坊ちゃまくらいだ。
それにしては少しタイプが違って見える。
男の目元は凛々しく僅かに微笑む口元は優しそうだ。
「決めた。お前にする」
彼はそう言って店に入ってきた。
店のものがすぐに藤乃を呼びに来た。
「何で僕だよ・・・」
小さく呟く藤乃の肩に男は腕を回した。
「楽しませてもらうよ。今夜は俺がお前を買ったのだから」
「うっ・・・」
くやしいが、反論できない藤乃だった。

〜しのぶれど〜

藤乃は仕方なく客を部屋へと案内する。
この店は木造の古風な和風の建築物で色子達は店先の格子の中に置かれ、
客に品定めをされる。
買い手がつくような器量のいい子は客を選べるがお茶をひく(客がつかないこと)ような子はもちろん選んでなどいられない。
客がつかないと食事がもらえない。
そんな決まりがあった。

藤乃はお茶をひくようなタイプではなかった。
むしろ人気を競うように客がついた。
しかし、今夜は気に入った客が来ず、
何度も袖にしたために
危うく夕食抜きになるところだった。
そこで初めて見る客ではあるが、お金くらいは持っていそうなのでこの客にしたのである。
階段を上がり客を自分の部屋へと案内する。
「名は?名は何という?」
「藤乃・・・」
「良い名だな」
「あなたは?」
「岡本秀・・秀でいいよ」
客は明るく笑った。
その笑顔を見ているとこんなところへ来るような男には見えなかった。
赤いふすまを開けると人形の家のように
小さな空間に鏡や箪笥など最低限の和風の家具と寝具があるだけだった。
きれいに片づけられている部屋に
一輪挿しに挿した八重桜があった。
それがとても趣があり良い感じだった。
「何か飲む?」
秀と名乗る客を座らせると自分もその横に座って藤乃が聞いた。
「こういう場合は酒か?」
「普通はな。でもお前未成年じゃ・・」
その口を塞ぐ秀の唇。
「ん・・」
藤乃はいきなりの行為にもがいた。
「ざけんなよ!!」
やっと唇が離れて藤乃は怒鳴った。
「ここは遊郭で僕は色子だけど、この遊郭には決まりってもんがある!お前は初回の客だろう。本来は僕達色子には触れてはいけないんだ。そんなことも知らないなんて僕は客を間違ったようだね!!」
怒りながら一気にそう言う藤乃に秀は微笑んだ。
「お前はちっとも変わらないな」
藤乃は顔を上げて秀の顔を見た。
「誰だお前・・・」
「忘れちまったのか?悲しいな彬生」
藤乃は忘れかけていた本名を呼ばれてはっとした。
「秀・・・?」
ふとその顔に明るさが蘇った。
「えっ?秀?!あの小さかった・・」
「お前よりは大きかったぞ」
秀は藤乃の頭を撫でた。
「逢いたかった・・・」
しかしその腕を離して
「何でこんなところに来たの?僕を抱きに?」
藤乃は複雑な顔をしていた。
「ああ、お前を金で買った」
そう言う秀は微笑んでいる。
「ひどい・・・」
「一度で良いからお前を抱きたかった」
その言葉に凍り付く藤乃だった。


〜いろにいでにけり〜

「あっ、やぁ」
「ほぅ、これは色っぽいな」
快はいきなり藤乃の襦袢の裾をめくりあげて口元だけで微笑んだ。
藤乃の白い足の付け根には赤い小さな痣が残っていた。
その痣を指先で撫でながら藤乃を自分の腕の中に抱き寄せた。
「昨日の客は初めての客じゃなかったのか?」
その問いかけがどんな意味なのかは藤乃が一番良く知っていた。
藤乃は無言のまま快から眼を逸らした。
「別に攻めているわけではない。ただ・・」
その言葉に藤乃の身体がびくっと反応した。
快が何を言おうとしているのかを感じ取っていた。
快はは藤乃の初めて水揚げをしたときの客で
ずっと藤乃を可愛がっている。
職業は作家ということで、暇なのかよくこの店に来てはいつも藤乃を指名する。
藤乃も快のことを嫌いではない。
むしろ好きな部類だった。
客としては気前が良く、通しもいとわない。
通しとはその日一晩中、ひとりの色子を買い切ることだ。
通常遊郭では、1日に3人くらいの客をまわす。
藤乃のようにそこそこ売れっ子になると、多いときは5人位客をとらされることもある。
藤乃はそのおかげで1晩に何人も客をとらされずに済むこともあったからだ。
ただ、快は藤乃が他の客と過ごした後は必ず意地悪をするのだった。

次へ続く