三の丸歴史ロ−ド

7.彰考館跡

  大手門跡を過ぎて進むと右手に「大日本史編纂の地」と書かれた碑(左)が建っています。
ここが彰考館跡です。
ここには義公水戸光圀の命により彰考館総裁として大日本史編纂の任にあたった安積澹伯の
像(右)が立っています。

「徳川光圀(義公)が大日本史を編纂した彰考館は、はじめ江戸の藩邸内にあったが、
光圀が西山に隠居したため元禄11年(1698)この地に移された。
  しかし光圀が没した後130年間は江戸・水戸の両館に分かれて分担編集し、幕末に
ふたたびここに戻り、明治維新後は偕楽園南隅に移って明治39年(1906)全てを完成した。」
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8.三階櫓跡

歴史ロ−ドをなおも進むと、向かって右側の 水戸三高敷地内に水戸城三階櫓が建っていた跡が あります。 「水戸城は徳川頼房が寛永2年(1625)に大整備を 行った際、この二の丸に広い殿館に付属して、 三階の物見を南崖近くに建てた。 はじめは素朴なものであったが、明和元年(1764) 12月の火災に殿館ともに全焼した。 ほどなく再建した時、屋根を瓦葺きとして天守閣 らしく鯱を飾り、三階櫓とよんだ。 明治5年(1875)の火災では残ったが、昭和20年 (1945)8月戦災を受け焼失した。」
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