三の丸小学校の右側を廻ると白い塀が続き、 やがて弘道館の正門に出ます。 (詳細は左の正門の写真をクリックしてください) ここには三の丸歴史ロ−ドの案内図が出ています。 「第9代藩主徳川斉昭(烈公)が、天保初年からの 危機打開のため、全国に率先して始めた改革の眼目と したものは藩校弘道館における人材の育成であった。 本校は天保12年(1841)から活動を開始したが、教育 の趣旨目標を示した弘道館記や画期的な教育制度は 水戸藩ばかりでなく全国の志士に大きな影響を 与えた。」
弘道館の正門を過ぎて坂を下るとやがて車道に 出ます。ここが中山備前守の邸宅跡で、今は法務局 など合同庁舎があります。 「徳川家康から水戸藩に付属を命じられた 家臣の筆頭である中山備前守信吉は、慶長12年 (1607)徳川頼宣に仕え、付家老と称されて幕府との 連絡や藩政の監督にあたり、没後は子孫代々その 地位を世襲した。 中山家は禄高も1万5千石から2万5千石と家臣 最高で、領地は多賀郡松岡の外、太田に陣屋を持ち、 この一帯に屋敷があった。」 次(大手橋)へ 4.中山備前守邸宅跡