しなやかになだらかに…美しい曲線を描く。
その光を…ぬらりと反射するボディラインに、悲鳴にも似た甲高い艶めいた音色を纏い
類稀なる素晴らしい創造美に…否応なく高まる快感を、
身の内に宿る確かな熱を持て余す様に火村は一層深く踏み込んでいく。
淘汰されない、確固たる“美”に。
酔いしれる様に…。
その日は…“特別”であった訳では無く、かといって“突然”であった訳でも無い。
buubuubuu…
「では、今日はここまで。出席カードを提出して退席するように」
胸に入れた携帯が振動で着信を知らせるのと、校舎に聴きなれた機械音が鳴り響くのがちょうど同じタイミングで、手にした厚めのテキストを閉じてざわつきを取り戻した教室内を見まわす。試験期間が明けて一回目の講義と言う事もあり、受講する生徒の数はいつもよりは少なく学内に散らばる学生自体も疎らなこの時期、入試対策からも外れている火村にとっては抱える仕事も他の教授達に比べると幾らか少ない。
そして月曜でもある今日は受け持っている講義も夕方で終わり。
今度書き下ろすという長編の取材旅行に沖縄へ出掛けたアリスが帰ってくるという事もあり、関空に迎えに行きがてらそのまま食事でもしようという約束をしている。提出された出欠カードを集め教室を後にすると研究室までの道のりをやや速足で歩きながら閉じていた携帯のフリップを開く。案の定、先ほどの振動はアリスからのメールで『これから飛行機や、迎え宜しくな。うまいデナー、喰おうや』というあっさりとした内容に珍しく付けくわえられた絵文字に思わず苦笑した。メールは面倒だから、といって手っ取り早い電話を掛けて来る事の方が多いアリスにとって、絵文字というものは面倒さを助長させるモノでしか無いらしい。それでも、あまり使わないとはいえ、フライトまでの待ち時間を持て余し…かといってちょうど講義の時間ということで絵文字を使ってみたのだろう。実に簡潔な文章に添えられた温泉マークの様な絵文字がやけに可愛らしく見えてしまったのだ。
『了解、これから向かう』
ぎりぎり電源を落とすタイミングに滑り込んだかという時間だったが、一応返信をすると身支度をするべく研究室のドアを開けた。
その日の朝、確かにベンツの調子が良くなかったのは事実だ。だが、予定を変更するほどの事も無い、動かない訳では無いという程度のモノ、…つまりはいつもの事、位にしか思っていなかった。いつもそうして乗っていたからこそアンティークな、なんて言われる程になったのでありそれが“特別”等でないと知っていた…けれど、予定というものはほんの少しの“偶然”によって大きく左右されるモノなのだと言う事をこの後火村はその身を以て経験する事になる。
京都南から名神に乗ると吹田で近畿自動車道へと入る。日が落ち始める前に高速に乗ったのが幸いしたのか、さしたる渋滞に引っかかる事無くJCTを経由して海沿いへと差し掛かった。沖縄から関空へのフライトは約2時間、搭乗手続きなどを加味して2時間半、この分でいけばアリスが下りて来るのと車が駐車場へ滑り込むのがちょうど同じ位だろうか。暮れて行く堺の海を視界の端に入れつつ…ぐっとグリップを握る様に重たいハンドルを切ってセルを回すと、やがて見えてきた関空連絡橋を低い車体は流れる様に走り、そのハンドルの中央に坐するエンブレムを見て…自然と微笑みが漏れる。
あっという間に加速する走るために作られたその車は、なるほど運転していてこの上ない贅沢な走りを齎してくれる。ステアリングを握る程良い緊張感と…何時に無い高揚感はあえて言うなら“快感”に近いものなのだろう。それはアンティークな、という形容詞が頭に付く愛車からはまず得られない感覚であることは確かだ。
…アリスも喜んでくれるに違いない。
そう思うと走る悦びに加えて喜ぶアリスの姿が脳裏に浮かんで…自然と笑みが漏れるというもの。
“普通”に考えるのならば、間違い無く喜んでくれる事だろう。こういったブランドやステータスに意外と拘るアリスの事だ、大喜びでドライブへ行こうなんて言うかもしれない。心配していたトランクも意外に広いスペースを有しており暫く滞在した旅行の荷物も問題無く収まるであろうと思われた。
料金所でチケットを受け取ると旅客ターミナルにほど近い駐車場へと入る。時計の時刻はちょうど到着予定時刻を指していてキーを手に到着ゲートへと急ぐ。
「よう、アリス」
途中、見つけた喫煙所を経由して辿りついた到着ゲートからはすでに人が溢れだしていたけれど、元来のんびりとした気風のアリスがイの一番に降りて来る筈も無く、大半の客が通り過ぎてからやっとで現れた姿は痩躯を寒そうに竦めながらというなんとも情けないものだった。
「お〜、ありがとなぁ火村」
手荷物を肩に掛けて少しだけ日に焼けた顔に微笑みを浮かべて手を上げるアリスに肩を竦めて見せる。
「別に?“デナー”とやらが奢りなんだろ?構わないさ」
「おう、あんじょうまかせとき!」
預けてある大きな荷物を受け取りに向かいながら肩を並べて歩くアリスが妙にバリバリの大阪弁で返すのに二人して笑った。年が明けてから暫く忙しくしていて面と向かって逢うのは久しぶりだったりするが、どのくらい期間が空いたとしても変わらないスタンスを保つ、程良い距離感の居心地の良さに改めて安心したりする。
壊して失ってしまうのは容易い、きっと脆くて頼りない関係だけれど…長い時間を掛けてゆっくりと築き上げて来たモノだからこそ大切で…恋しくもなるのだろう。
まぁ、腐れ縁とも言えるけどな…。
ショルダーバックの他に預けてあった大きめのバッグを持ってやりながら、柄にもなくふとそんな風に思ってしまう。
「あ〜、腹、減ったなぁ…早よう行こうや!この近くにあるんやて、すっごい旨くていつも並んでるらしいで?堺港の近くで知る人ぞ知るゆう場所なのになぁ、それでも並ぶ位混んでるってきっともの凄く旨いんや!この時間ならあんまり待たんで食えるやろ」
「へぇ、あいかわらず詳しいな。…何処で拾ってくるんだその情報は。普段引き籠っている癖に耳は早いよなお前」
ほどなく差し掛かった駐車場の入り口で清算を済ませ荷物を左手に持ち替えてキーを取り出す。もう暫く歩けば…見えて来る筈だ。いつもとは違う光沢を纏った車体をみてアリスが何と言うのか…実は楽しみでもある。
そんな事とは露ほども知らないアリスは、してやったり、という顔をして笑っている。
その笑顔が、満面に咲く瞬間まで…あと、少し。
「ええ?この店は…キミんとこの助手さんに聴いたんやで?あれ、知らん?」
「はぁ?お前、何時の間に…」
にやけて仕舞いそうな顔をぐっと引き締めて見えて来たボディに向かってキーを差し出す…と、少し高めの電子音とともに存在をアピールする様なライトのパッシングが続きやや重た目の解錠音が響いた。
「…え?」
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