結末への扉 -2-




濡れた衣類をハンガーにかけて干し、古い新聞を丸めて革靴の中に押し込む。たいした効力は無いだろうけれど、何もしないよりはいい、そう思って。その足で寝室から置きっぱなしになっている火村用のスウェットと着替えを取り出すといつも使っているスリッパと合わせてバスルームに用意した。蒼いロゴの入ったスウェットはずいぶん前に二人で東京に出た時、南青山のギャルソンで衝動買いしたものだ。もともと香水を愛用していたアリスがプレタポルテを見ている時にあまり似つかわしく無いスウェットにいたく驚いて…値段を見て更に驚いた。『スウェットにこの値段?しかも奇抜なデザインで…着る奴居んのか?』と言う火村に『まあ、キミには絶対似合わんやろなぁ…』と漏れた声に…いつのまにか買う事になってしまっていた。

しかも…揃いで。

半ば喧嘩腰で…でも、同じ物を揃いで買う俺達にスタッフが怪訝そうな面持ちをしていた事を今でもよく覚えている。結局、部屋着として使うハメになったけれど、着て見れば意外と似合っていたのが妙に悔しかった。



「…悪かったな、アリス」
「なんや、あがったんか?…少しはマシになったな」

すっかり見慣れたスウェット姿の火村は湯に当たり少しだけ顔色を取り戻していたが…相変わらず表情全体はどうにも冴えない気配が抜けていない。

「ああ、だいぶマシだな」

普段よりは長い時間湯に入っていたからだろう、上は羽織らないままでタオルを首に掛けた火村は気だるそうにソファに身を埋めている。…だいぶ参っている様子にそんなに酷い事件だったのだろうかと同行しなかった事を悔やんでみるが。

「…たいした事件じゃねぇから安心しろ。解決、したしな」
「そっか…」

感情をあまり表に出さない火村とは違って思った事が表情に出やすい私の気持ちをくみ取った様に火村が笑うのに…取り越し苦労であったかとほんの少しだけ安心した。

「アリス、風呂入るところだったんだろ?ふた、あけっぱなしだぞ。入ってこいよ」
「ん〜、じゃぁ…適当にしといてな」


タオルを被りがしがしと濡れた髪をふく火村が手をひらひらと振るのを横目に立ちあがるとバスルームへ向かった。


白く濁った視界の中、境界線を失った入浴剤入りの湯に浸かり…ぎりぎりまで躰を沈めて瞳を閉じる。…先ほど濡れた衣類からとりだした火村の携帯は、電源が落とされた状態で…それが、電池が無くなったからなのか、電源を落としていたからなのかはわからないけれど、まるで外界を遮断する様な真っ暗な画面に漠然とした不安を感じていた事は確かだ。

何か…あったのかもしれない。
何が、あったのかは分からないけれど。





いつもと違う脆弱ささえ感じて仕舞う彼の姿に…少しだけ、戸惑っているのも。

「…あんま、心配掛けんなや阿呆」

ざあ、と降り注ぐ熱めのシャワーに本人には告げない言葉が呑みこまれて消えて行った。








心配を…して貰うのはきっと誰だって嬉しい…けれど、心配を掛けて仕舞うのをよしとしない人間も少なく無い。火村はその典型だ。自分の領域に踏み込まれる事を極端に嫌う、というのも大きいだろうけれど、必要以上に干渉されて心配という名の気を使われる事を厭うのだ。だから、アリスはいつも気がつかない振りをする。

髪を乾かして覗きこんだ鏡に映る姿をみてため息を吐いた。

スウェットが似合わないのは自分の方だったかもしれない。似合わないというのは語弊があるかもしれないな。似合わないではなく、似つかわしく無いのだ。

…学生に見える。

見るからに頼もしい男らしい火村とは違って自分がどちらかと言えば頼りない優男である事は重々承知の筈だったが…同じ物を着てみるとその明らかな違いにため息だって漏れる。

たまたま、今日の部屋着が同じものだったからいけない。他の物を着ようにも昼間、纏めて洗濯したまま生憎の天気に乾いておらず残っていたのが…これだけだったのだ。


鏡に映る自分の姿にため息を返しながらも、偶然ペアルックになってしまった自分たちをみて火村が笑うかもしれないな、と考えながら電灯を落としてリビングへと戻った…先に。

きっと人心地ついてビールでも呑んでいる火村が待っているかと考えていたアリスの思惑は大きく外れる事になる。


「…火村?」

風呂上がりに温度を上げたリビングはこれ以上ない位暖かいモノだったけれど、そのソファで先ほどと同じ恰好のままじっと動かない火村を訝しく思い声を掛けてみても…返事が返って来ない。

まさか、寝て仕舞ったのだろうか?

タオルを頭に被った状態では表情まで窺い見る事は出来ないが…辛うじてぴくりと動いた指先になぜだか酷く安心した。

「どないしたん?大丈夫…?」

そっと近付いておそるおそる伸ばした腕が、掌が火村の肩に触れた、瞬間。

「っ…キミ、熱いやないか!」


風呂上がりの私より、触れた火村の肩が熱を持ったように熱かったのに驚いて…その拍子に掛かっていたタオルがはらり、と舞い落ちぐったりとした火村の顔が露わになる。その瞳は閉じられていて眉根は辛そうに寄ってしまっている。顔色は…先ほどよりも遙かに悪い。


「…アリ、ス?」

「ちょ、ほら!早よう上着て、ええからこっち来い!」

上の空で名前を呼ぶ火村に無理やり上着を着せると、腕を攫んで寝室へと連れて行き、辛うじて立っている状態の火村をベッドへと押し込むとありったけの布団を被せる。

「…いつからや…」

口に付いて出た言葉に、自分ではっとした。きっと、具合が悪かったのだろう…ずっと。具合が悪くても事件は待ってはくれない、それでも、気力を振り絞って向こう側へ堕ちて仕舞ったモノたちを叩き落として、それが…きっと限界だったのだ。

「だから帰ってきたんか…」

答えが返ってくるとは思わなかったが、小さく身じろぎするように被りを振る火村の体温を測り…叩き出された高温に舌打ちをすると、常備してあるアイソトニック飲料を用意し市販のモノだが総合風薬と冷凍庫からアイスノンを取り出すと寝室へと取って返す。

弱っている姿を…おそらくは、見せたくなかったのだ。だから、無理を押してでも…歩いてでも帰ってきた。

「火村、ほら。薬だけ飲んで…寒くないか?」
「…寒い」

丸まって布団にもぐっている火村に薬と飲みモノを渡し、ソレを飲んだ事を確認しながら枕にアイスノンを引いてタオルを被せる。寒い、と身を縮こませる火村を横たわらせて額にヒエピタを張ると一瞬だけ瞼を持ちあげて見上げるも、焦点の定まらない視線は何かを捉える事は無くすぐに閉じて仕舞うのに…だいぶ辛そうだな、と思いながら少しだけ出ていた手を布団の中へと押し込んだ。寒いのは熱が上がる証拠、かといってあまり熱を籠らせてしまうとかえって体に負担になるので脇や首筋に凍らせた小さいアイスノンをはさんで熱が籠らない様にリンパを冷やしてやる。

「…アリス、あったけぇ…」

熱から来る独特の寒さに…無意識なのだろう、触れた手に頬を寄せる様にして呟く火村に…どうしようかと暫く逡巡したアリスは、仕方ないとばかりに布団を捲り長い手足を折り曲げる様にして丸まった火村の横に身を滑らせていく。

「…アリ、ス?」
「仕方ないやろ。布団、これ以上ないし…風邪ひいとるのにエアコンは良く無いから…隣に寝てたら暖かいやん。じっと寝てたらええ、すぐによくなる…」


独り用で買ったベッドは、それでもダブルだったけれど。二人で眠るには広いとは言い難く、背中を合わせる様にしてくっついて眠る体勢に…熱い背中から籠った熱がうつってくるようで何時に無いその距離感に何故だかとても緊張していたのを覚えている。

合わせた背中の感覚とか。
辛そうに荒げた火村の吐息とか。

やがて…反された躰の向き。眠るキミが無意識に回してきた腕の重さとか。

なかなか眠れずに、ようやく意識を手放した頃…上がっていた雪とか。



弱さを見せる場所に…帰ってきた処がアリスの部屋、だったのも。


それら、全てが。

今はもう、過ぎ去った物の筈なのに…染みついた様に思い出から剥がれおちて行かない、湧き上がる何と言ったらいいか分からない感情を持て余して蹲ってしまった。

結局、明けた次の日には火村の熱は下がって…昨日の様子が嘘の様に常の火村を取り戻していたけれど、それを感じる間もなく今度は私が熱を出して寝込む事になり…そのまま週末は二人で寄り添う様にして眠った。

…合わせていた背中は、向き合う事はなく。
抱き合って眠りにつく意味も…分からなかったけれど。

眠りに付く、その前に。

確かに感じた瞼への口付けも。


全ては熱に浮かされていた幻の様に思えるけれど。

「…今更、何してんのやろ」

あれからちょうど一週間目の金曜の朝に掛かってきた『今夜、行ってもいいか?』たった一言の電話だったけれど。

ほんと…今更、なんだろうけれど。

全ての意味を携えた火村があのドアをたたくのを、朝から忙しなく動きながらずっと待っているんだと思う。

ずっと、待っていたんだと思う。


あの日、キミに出逢ってからずっと…。



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>素晴らしいイラストに思わず魅入ってしまいました☆火村を想うアリスの心痛がにじみ出た表情や火村先生の物憂げでも凛としたイラストに感動いたしました。素敵なイラストをお忙しい中描いて下さったみんさまに改めて御礼を申し上げます。サイトアップが遅れて本当に申し訳ありませんでした。そしてみん様有難うございました!!アリチュウヒムネコの可愛らしい日常も見逃せないみん様の素敵サイトはこちら!
klassik


>解説と言う名の言い訳:えっと未満な感じでヒムアリでした。実は前々からお互いに気がついては居たんですけど、気がつかない振りをしていた二人で…一日、具合の悪かった火村が結局どうしてもアリスに逢いたくなって雪が降り積もる中、歩いて部屋まで行ってしまうという、何とも乙女な行動にでます…こんな火村准ですいません!!この後、答えを持ってアリスの部屋を訪ねる火村さんですが…人は一朝一夕にはかわらない、と言う事でびしっと決める、どころか…なんとなくほのめかす位で逃げる事でしょう(笑)でも、結局そんな感じでアリスも落ち着くんだと思います。ペアルックとか添い寝とかやってる事は何処までも甘いんですけどね、ってか青い?いろいろと痛い二人ですが、許してやっておくんなさいまし。