信念の男 -1-




こんな風に思った事はないだろうか。

『何故、こんなヤツの事がオレは好きなんだろう…?』
『いったい、どこが気にいって好きになったんだろう…?』

一見、非の打ちどころが無い様な完璧に見える男であっても、それは憧憬や希望が見せる幻の様に儚く脆い幻想なのだと思う。
…傍に居て、その内面を知ればこそ。

ああ、なんで、と思うことだってあるのだ。




火村という男は、たまに壊れる…いや、たまにというのは間違っているかもしれない。実は常に壊れた様なヤツで、ソレを隠して普通に見える様振舞っているだけ。だけれど、それすらうまくいかず、偶に見える実態の片鱗に皆、普通じゃない何かを感じ取っているだけなのかもしれない。と、思いたいのはアリスの願望であり…ここ最近特に感じる想いだったりもする。


割と良くあるマンションでの逢瀬、久しぶりに鍋が食べたいと言ったアリスに火村が用意したのは少しだけ贅沢な食材の数々と、…とっておきの仕掛けだった。


「なぁ…って、なんでキッチンに入ったらあかんのぉ?」

いつもなら、作っている火村の横でうろうろしては、出来たての料理に手を伸ばすアリスだったが今日に限ってはソレを赦されていなかった。買い物袋を提げてマンションへと帰宅した火村は、珍しくアリスへと注文を付けたからだ。

『今日はキッチンに入ってくるな。俺がイイって言うまでは絶対だぞ、アリス。守れないんだったら晩飯は無しだ。わかったか?』

まるで、摘み食いを叱られた子供の様な扱いにぶんむくれのアリスだったが、そこはぬかりない准教授。しっかりと用意されていたタイガーズ特集の雑誌とワンランク高めのビール、それに最近お気に入りの胡瓜のキムチにすっかり騙されてしまった。そうしてアリスが雑誌片手に一足早く頂いているのをしり目に、どこか浮かれた様子の火村がキッチンに籠っているというわけだ。

それでも、時間が経つにつれ元来の好奇心が募って仕方ない。ちらりとダイニングを盗み見るとガスコンロと鍋、そして切り分けられた食材達がお行儀よく出番を待っているところだ。益々気になって、掛けた疑問の声に間延びした様な火村の生返事が返ってきた。

「…ああ?来たって摘み食いするだけだろ?今日は鍋だから摘めねぇよ。狭いから其処でイイ子に待ってろ、アリス」
「…ふ〜ん」

どこか釈然としないが、そう言われてみればそうかもしれない。たとえキッチンへ行ったところで何かできる訳でもないし、片時も貴方の傍から離れたくない、という…それこそ新婚の様な熱い関係でも無い気がする、…新婚と言うには一緒に居る期間が長すぎたし何より、おっさん二人でいちゃいちゃしていても、ソレはそれで怖いからだ。

「…お?来シーズンは…」

まあいいか、と雑誌に向き合い再び愛すべき虎の世界へと意識を戻しつつあるアリスは耳に心地よいトントンという包丁の音をBGMにキッチンから興味を移していった。




「…アリス〜、出来たぞ」
「ん、ほいよ〜。今行く…」


暫く夢中になっていたオレは漂ってきたイイ香りと掛けられた火村の声に、う〜ん、と伸びをしてソファから立ち上がるとおいしい夕飯を頂こうとうきうきして振り向いた…んだが…。

其処に居たのは…。

「…あの、火村?」

どうしたんだ、とか、なにしてんだとか、人間酷く驚いた状態では当たり前の疑問すら言葉にならないのだと身をもって知った。…訳を、聞いてしまうのが恐ろしいからだ。堂々とした姿勢で、ん?と首を傾げる火村はあろうことか真顔でいる。ああ可哀想に、どこかで頭を強く打ったか、何か得体の知らない物を食べたに違いない。

himura ver
「テーブルに皿を並べながら新妻になったような気がした」
「気がしただけで止めておき!」

間髪をいれずに返しが出来た私を誉めて欲しい。咄嗟とはいえちゃんと火村の言葉に反応をして突っ込む事が出来たのは…奇跡以外何物でもないだろう。この状況で。あきれ顔を通り越して恐怖さえ感じる私に構う事無く、飄々とさえしている火村を見てふと、いやぁな予感が脳裏を横切って行った。


「……まさか火村、エプロンの下は」
「アブソルートリー」
「ぎゃああああ」

思わずあげてしまった叫び声は、それこそあきれ顔の火村によって虚しく叩き落とされる。お前はそんなに心が強いヤツだったか?夜中に飛び起きるくらい繊細で未だに魘される位には弱るときもあると思っていたが…オレの感違いなのか?

「何が勿論や!強い肯定なんていらんねん!」
「お前…俺の苦労を台無しにしてくれるな…?アリス、せっかくお前が喜んでくれるかと恥ずかしい思いまでして用意したのに…。若い頃ならもっと楽しんでくれただろ?」

「あほ〜!!!」

何が、だろ?だ!この生き物はきっと火村英生の皮を被った他の何かに違いないのだ。もうもうと立ち込めるおいしそうな香りにつられて近寄ったなら最後、きっと頭からバリバリと喰われてしまうだろう。

「…ま、そう来るとは思ってたけどな。仕方ねぇな、取りあえず着替えるか」

あまりにあほらしくて去っていく後ろ姿を見ている事など出来やしなかった。脱力しきった私は力なくテーブルに着くと、着替えをして戻った火村を思いっきり睨みつけてやった。…今度こそ、本物か?

「なんだよ、アリス。ほら、喰うだろ?」
「…喰うけど。けど!」

語尾に力を込めてやったというのに、至って普通な火村は調子っぱずれの鼻歌まで歌って終始ご機嫌だ。意味がわからない。本当に頭でも打ったんじゃなかろうか。そうは思ってみても、一向に気にする様子の無い火村はどこ吹く風で嬉しそうに鍋で踊る具を取り分けている。なんだか意味がわからないまま、先に入っていたアルコールと空腹がアリスから疑問を少しずつ削いでいった。


この時点で気が付けていればよかったんだ。よかったんだが、コレよりも酷い状況にまさか陥るなんて…誰が想像できただろうか。そんな事に気が付ける位なら事件現場では私が名探偵だ。だが、残念な事に名探偵でも無ければ占い師でも無い私には近い将来起こりうる災難になど気が付くよしも無かった。



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