「あっ……」
その一言は後に火村ゼミの生徒を虜にした。
資料を作成中、突然背後から発せられたゼミ生の叫びとも取れる声に、
やや疲れを滲ませた火村准教授が訝しく顔を顰めながら見咎める。
「なんだ?この論文の穴を埋めるだけの名案でも浮かんだのか?」
「…いえ、すいません。なんでもないんです」
慌てて取り繕うと、目を通して貰った例を准教授に言ってから研究室を後にする。
見た。確かに見た。
たった今、自分が目にしたものの驚きを早く誰かに伝えたくて足早に廊下を抜け中庭へと急いだ。同じ、火村ゼミの友人と待ち合わせをしていたからだ。
息を切らせるようにして駆け寄った自分に驚いたように友人は笑いかけた。
「なんや、そんな焦って。あ、レポ、うまくいったんか?」
「ち、違うねんって。レポは再提出だったんやけどっ!!すごいもん、見た!」
「はぁ?なんやねん、凄いもんて?」
息を整えなるべく近くでその衝撃の事実を友人に伝えると、案の定。
「えっ!!それって、恋人居るってことやないの!?」
「やろ?きっと、そうやんな?」
やっぱりヒムセンには恋人が居るんだ、と残念そうに呟くと肩を並べて中庭を後にする。
そして、その説はまことしやかにそして迅速にゼミ生から、あっという間に学内へと広まっていった。
知らぬは本人、ばかりなり。
論文を提出しに行った或る生徒が見たもの。
それは、火村准教授の背中についた明らかに別人のものと思われる明るい髪の毛。
その、首筋に微かに見えた爪の痕。
Author by emi