「よう、有栖川!なんだ、休講か?」
「天農…、そうや。折角来たっていうのに。ムダ足やった」
前もって知らされている休講以外の予定は全て教務課の掲示板に当日貼り出されるようになっている。そのボードの前に、呆然と立っていた痩躯に見覚えがあって声を掛けた。
優しい色合いの生成りのシャツに淡いグレイのカーディガンを羽織って細身の黒いパンツをはいているソイツはなんとも雅な名前の持ち主だ。
少し湿ったような髪は男にしては驚くほど細く柔らかで、透き通るような白い肌によくあっていると思う。
「なんや、暇なら付き合うか?ラウンジ行くとこやねん」
「そうやね…」
尚もぶつぶつと言いながら振り返って歩き出した、その身から。
ふっと香った匂いに思わず苦笑した。
甘い洋煙の香り。
「…なんや、天農?気持ち悪いで?」
「あ、ああ。いや。なんでもない」
前を行く有栖川から漂った香りは、英都の俊才が好む香りだ。
ちなみに飲んでいる席以外で有栖川が煙草を吸っているところを未だ見たことが無い。
「なあ…」
「ん?なんや天農?」
思わず、呟いてしまった。
いや、なんでもないと言って足早にラウンジへと向かう。
“お前、火村と一緒に居ただろう”
呑み込んだ呟きは、きっと正解だと思う。
そして、聴かれた有栖川は少し照れたようにはにかんで、笑うのだろう。
鮮やかに、嬉しそうに。
今この瞬間に隣に居るわけでもないのに、その存在は明らかに傍に在る。
なんでもない様な顔をして。
それでも見えない何かで其れを護るのだ。
決して踏み込ませない様に。
密やかに、確実に。
Author by emi