じめじめと湿気の多いこの季節。
おさまりの悪い頭をどうにかしたくてアリスは
髪を切った。
生まれついての猫っ毛に加え、細く少し癖のある髪質は長くなってもあまり邪魔と感じない。
それでも、10センチほど切ればさすがに頭が軽くなるから不思議だ。
切ったその日から何日かだけ、感じることが出来る首周りの軽さ。
アリスはその感覚が好きだった。
それまで、顔を覆うようにして伸びていた髪が綺麗さっぱりとなくなったことで
頬のラインや細い首が顕わになって一層頼りなく見える。
染めたわけでもないのに少し茶色い髪は全体の雰囲気を明るくしており
鏡の中に映る自分はまるで学生のようにも見える、と思った。
黒く、硬い髪質の火村とはあまりに違う。
二人で揃って初対面の相手には必ず言われる。
本当に、同じ歳なのかと。
学生の頃からそうだった。
どちらかといえばその頃歳相応に見えていたのはアリスの方で、
火村は今とあまり変わらない落ち着きを呈していたように思える。
だから、火村に対してふけてるなぁ、という感想の方が多かったのに。
いつの間にか実年齢が見た目に追いついていたらしい。
変わらないのはアリスの方で、こちらはいつの間にか実年齢に置いていかれていた。
そっと額に掛かった髪の一房を摘み上げる。
じっと見つめている自分の瞳の大きさに時々戸惑うことがある。
そんなに大きな瞳をしながら、いつだって現場では何も見えていないのに戸惑うのだ。
もしかしたら色素の薄いアンバーに近い琥珀色のせいなのかも、と一時期は本気で考えた。
見ていない様でその実、なんでも見透かしているような火村の漆黒の瞳を思い出して。
切れ長の瞳は思ったよりも小さいくせにアリスの何倍も見えない何かを見ている。
その、闇よりも暗い瞳で。
実際に其処に無いモノにまで視線を廻らせては獲物を打ち落とすのだ、彼は。
射るような視線、それなのに。
時折アリスにのみ向けられる蕩けそうに優しい視線も、
躰の芯から痺れてしまうほど焼き尽くすような視線も。
呆れ返るくらい瞳で物を言うのだ。
ほとり、と濡れた髪から雫が頬へと垂れる。
と、水音が止んでからも一向に出てこないアリスに痺れを切らしたのだろうか
足音と共に洗面所のドアが開かれ漆黒の瞳を持った火村が入ってきた。
「・・・・アリス?」
その、切れ長の瞳は大きく開かれていて驚きを滲ませている。
「・・・なに?」
鏡越しに目線を合わせて、ああ、と気がついた。
濡れた髪から堕ちた雫は、頬を伝い。それはまるで涙のように。
怪訝そうに答えたアリスから杞憂に過ぎ無いと感づいた火村が、やや苦笑しながら
アリスの肩に掛かったままのタオルを掴むとそっと髪を掻き回した。
「・・・あまりに遅いからまた寝ちまったかと思ったよ。ほら、乾かしてやるから来い。
濡れたままじゃ風邪ひくだろ、アリス」
「・・・ん」
おとなしく引かれるままにしてソファに座る。
さっき、鏡越しに心配そうに見つめる君が、そっとついた安堵のため息を知ってる。
柔らかく私を包み込むようにして背後に座る君が、思わず洩らした吐息。
ぼうと音を立てて温かい風が髪を絡めて雫を祓う。
大きな掌と長い指で丁寧に乾かしていく仕草は私だけに向けられた限りなく甘いもので
あまりの心地よさに瞳を閉じた。
手を伸ばせばいつも届く位置に君が居た。
大阪と京都。
距離こそは離れているものの、年に一回しか逢えないという空の恋人達よりは遥かに近い。
その白髪交じりの髪が実は洗うと柔らかくてさわり心地がいいのだと知っている。
落ち着いて見えるその見てくれが実は寝起きになると存外可愛いのだと知っている。
何でも見透かす鋭い眼差しが、見えない心を必死で繋いでおこうとしていることも。
だから。
いつだって君の心は私と共に在る。
「・・・・なぁ、火村」
呟きはドライヤーの風がかき消していく。
構わずに空を見上げて囁いた。
「珍しく、晴れてるなぁ・・・・、逢えるとええね・・・」
髪を弄っていた掌が離されると同時にかちりとスイッチを切る音が響いて返事が聞こえた。
「・・・・・そうだな」
なんや、聴こえてたんか・・・。
声に出さないまま、火村の胸に背を凭れ掛けて空を見る。
其処は珍しく晴れた夜空。
河を挟んだ対岸からカササギに運ばれた愛は無事に届いただろうか。
何時かの夜に恋を無くした。
今はいつも傍に愛を感じる。
哀しみの酒涙雨など、降らなければいいのに・・・。
珍しくもセンチメンタルな想いに少しだけ、笑った。
「なんだ、アリス・・・?」
「なんでも、ないよ。火村・・・」
なんでもない。
君が、ここに居るだけ。
私が君を想うだけ、君も私を想う。
君のそんなところが、愛おしくて堪らないんだ。
いつかの七夕、せっかくなので今夜再アップ!と思ったけれど・・・。
Author by emi