どこまでも蒼く、雲ひとつ無い空 -2-






気を…。

引きたかったのかも、しれないと思った。


笑っている顔を見るのが。たぶん、とても好きで。


それなのに、思わずといったように漏れた言葉に自分でも何故だか酷く、…驚いた。



『笑うなよ…、アリス』


きっとそれは。俺以外の誰かへ向けられるアリスの笑顔に対して、漏れた本心だったのだろうと思う。

笑っていてほしい、と思うのは、きっと…。

きっと、俺の隣で…なんだろうな。


滑稽な自分の気持ちに呆れつつも、口は違った意味を言葉として発していた。ま るで、気を、引くかのように。

お前に、笑って欲しいから…。
だから誘ったんだ。


「…行くか?」

「え?ほんま?って風を切るの意味、ちゃうで?」


ああ、ソレだ。その、笑顔だ。

そう言って笑うお前が、笑ってくれるお前が…。






初夏の陽気にじっとりと汗ばんでしまう位、暑かったが気にもならない。なぜなら、肩に置かれたアリスの掌から焼けおちてしまいそうな熱が伝わってくるから。それが全身へと、まるで浸食するように広がって、指の先まで熱いから。


風を切って走る。

風を受けて、その風に負けない様に声を張って会話するものの、届かない声に耳元へ近づくアリスの顔に。

また、熱くなった。


「ぅっは〜!暑くて気持ちええなぁ!」
「…んだ、それ、アリス。意味、わかんねぇし」


行き先を決めていた訳ではなかったが、なんとなく、天気に導かれる様にして自転車を走らせる。


高い空は見渡す限りの青空で、照りつける日差しが夏の訪れを感じさせるけれど。頬に吹き付ける風はやはり夏のそれとは違って少しだけ、涼やかだった。

あまり規制が厳しくないとはいえ、自転車の二人乗りは禁止されているので、なるべく人通りの少ない裏通りを選んで走り、暫く走っているうちに見た事もない小さな公園を見つけた。


「あ、火村!火村!こんなとこに公園がある!なんや、初めて見たなぁ…」

肩に置いた手を弾かせるようにしてアリスが叫ぶのに、ただ頷いて答えると公園の横に設えられた駐輪場へと滑り込んだ。いくら風が涼しいとは言え、平面の道を二人乗りで走っていた為であろうか、着ているシャツがしっとりと張り付くくらいには汗をかいている。ひょい、という疑似音と共にアリスが下りたのを確認してから停めると、まっすぐに水飲み場へと向かい、懐かしい形のじゃ口をひねった。


さああ、と涼しげな音と共に勢いよく水が上がる。

「…っは、ふ〜」
「ほい、おつかれさん」


喉を潤して、掛けられた声に横を向くとにこにこしたアリスが小さめのタオルを差し出している。

「…さんきゅ」

それを片手で受け取り、ついでに顔にも水を掛け…軽く頭を振って水を切る。

そして。

「…ぅら!アリス!」
「うわっ!何すんねん、火村っ!」


ついでに手で掬った水をアリスめがけて振りかけてやった。

ぎゃぁ、と大げさに声をあげたアリスはわたわたと慌てて顔に掛かった水滴をぬぐう様にして半袖のシャツに顔を擦りつける。信じられへん!とか口調は怒っている風な事を言っている癖に、ちっとも怒っていない瞳が楽しそうに笑っていた。

それを見て、俺も笑った。

「あ〜、思ったよりも暑ぃな。これで5月じゃ夏はヤバい」
「そう?オレは思ったよりも涼しかったで?」


さぁさぁと水しぶきをあげていた水道を止め、近くにあった日陰のベンチへと腰を下ろすと水を被った為であろうか、火照った肌に吹き付ける風が心地よい。首を傾げるアリスの髪を掻き回す様にしてやった。

「な、なにすんねん!」
「…、アリス。そりゃ、お前は後ろに乗ってただけだからな、涼しいだろうよ。ありえねぇだろ、その発言」


「そんな事ないで?後ろやって結構大変なんやて!」
「…どこらへんが?」

顔を紅くしてそれでも、懸命に言葉を探すアリスの頬を突いてみる。…突いてくれと言わんばかりの膨れっぷりだったんだ。


「バ、バランスとったりとか…?」
「っぅか、聞いちゃだめだろ。…ま、いいけどな」

はぁ、という大きな息とともに背をそらせベンチにもたれかかると、生い茂った新緑の間から木漏れ日が挿してきらきらと揺れている。遠くから小学生だろうか、ざわざわとした声と、通りをゆく車の音と。…腕をあげて背凭れに掛けると、瞳を閉じてみる。

「…ええねぇ、たまには。こんなんも」
「ああ、そうだな…」

同じようにしたアリスが隣で深呼吸をすると、挙げた半袖の腕の先に。柔らかい髪を感じて誘われる様にして指を絡めた。少しだけ長めのアリスの髪は柔らかくしなやかに指先から零れては絡まる。まるで腕の中に収まる様な体勢で、髪を弄る指先を咎める事無くアリスは瞳を閉じたままだ。


…誤解、しちまうよな。

実は人一倍警戒心が強いのを知っている。

慣れ親しんでいる、そんな風に見えても。
…肝心な部分へは踏み込ませない、そんな境界線を持っている事に気が付いていた。それなのに。これじゃまるで…。


無防備、すぎるだろ?



誰にでも、アリスは笑う。
だが、誰にでも、警戒しているのだ。


…自分、以外には。誰にでも。

誰にでも、優しいアリス。
誰にでも、微笑むアリス。

でも、俺にだけは、怒るし泣くし、…笑う。


なんだかなぁ…。

そっと、盗み見た横顔には警戒心など微塵も感じさせないだけの柔和さがある。触れた指先すら、そのままに。意識さえ、明け渡しそうな位の…。



特別、をくれるお前に。

…抱いている想いは、やはり特別、なんだろうと思うよ。

さあぁ、と吹き抜ける風に木々が揺れ、木漏れ日が一層の強さを増して二人に降り注ぐ。
未だ風は涼しさを含んでいるけれど、やがて暑さを孕む頃には…。


己の気持ちに、特別な意味を見出すことが出来るのだろうか。


あの雲の向こう側に…。


繋がる想いは、あるのだろうか。

Author by emi