佐野洋子

『神も仏もありませぬ』佐野洋子/筑摩書房

スウ(2005/3/24)

●老いて生きること

エッセイ集。自分が63歳になったのが信じられないと言うところから始まる。そう言われてみると自分もいつか63歳になる日が来るのだなあと漠然と思うけれど結局それを信じられていない自分もいる。いつか結婚して子供をうむのだ、と考えていた小学生の頃のような気分だ。

それはともかく、佐野さんは「長生きは地獄だ」と実感を込めておっしゃる。自分のお母さんが完全に呆けて老人ホームに入れてしまったと聞けば納得する。”自分の赤ん坊は1日じゅう抱いていられるけど、老人になった母親は1日中抱いていられない”という言葉にずきんとする。そう、なんだよなあ。

たびたび、老いて生き続ける事の切なさを書いているけれど、その度に"でも、今日死ななくてもいい"という人付き合いと生活を送っている様子が温かくほっとする気がした。今日もただ生きていくのだと。「いつまでも元気で若々しく長生きしろ」という世間の押し付けイメージを蹴っ飛ばす佐野さんの文章は、全然年寄りくさい感じがしなくて軽やかで的確で面白い。

===以下脱線===

この中で、昔は今ほど呆け老人は多くなかったという文があったけれど、現在と昔のその違いはなんだろうか。老人の絶対数が今のほうが多いからとも言えるかな。
今ほど〜の所に、今ほどアトピーの子は多くなかった、花粉症の人なんかいなかった。とか色々言えるなあと思った。いたのかもしれないけど、社会が問題として捉え得るほどでは無かったのだろう。
発症が現代の環境のせいだとしたら嫌な事だけど、当事者とすれば全然認知されていないよりもマシな世の中と言えるのかもしれない。


『あれも嫌い これも好き』佐野洋子/朝日新聞社

スウ (2005.1.15)

●死は生きている時のもの

印象的だったのは、お父さんが亡くなる前、どんどん食欲がなくなって、うなぎだけは食べていたけどやがてそれも残しがちになってしまい、自分は「残り物を食べたい」という気持ちと「父の食欲が無くなって欲しくない」という葛藤にさいなまれていた、とか、
"熊は本能で自分が死にそうになっていても子供の事を考え守る"という話の時、人間は人間であると思いすぎている、クマ並みの野生の本能を殺さずに人間やってゆくのは不可能なのだろうか、と考えるところなど。
死んでしまえば関係ないのに生前葬式のやり方について言い残したり、墓を日当たりの良いところに選んだり、「死ぬ」ということは生きている時のものだと言うのがすごく分かる気がした。

森茉莉を、作家としてというより唯我独尊の人として絶賛しているところもなかなか嬉しかった。
河合隼雄『こころの子育て−誕生から思春期までの48章』という私にとってはタイムリーな本も紹介していたので、それも読んでみたくなった。


『ふつうのくま』佐野洋子/講談社

スウ(2005.1)

「ねえ、あしたもてんきがよかったら ピクニックにこよう。
しあわせは いまのいまにしかないから、あしたもいまのいまになるからね」
ねずみは うれしそうにいいました。


というとこが好きです。 きなさんが、「ツボなくまの本」として選んでらしたので読んでみました。
とてもシブイ素敵な絵本でした。


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