テーマの小部屋 >> 家族 |
ひとくちに家族と言ってもいろいろとありますね。 会報では、REIさんの「自分が家族を持つ側になると、家族というものに対する思い入れが若い頃とくらべるとずいぶん違ってきます」という言葉が印象的でした。 |
●妥協しない語りかけ
10歳の黒人少女クローバーが主人公。お父さんが白人女性と再婚したと思ったら、その3時間後に事故で死んでしまうというヘビィな話。
ふつうの継母、継子関係でもけっこう大変だと思うのに、いきなり黒人の子供、白人の母なのだ。
そして間をとりもつはずの父親はもういない。
料理の味付けから生活習慣までが違う中で、最初はぎこちなかったものの、最後はお互いを少しずつ尊重し合い、希望を見出してゆく。セアラ・ケイト(義母)は本当にゲイテン(死んだお父さん)の事を愛していて、クローバーに優しくうちとけようとする態度がよく分かる。クローバーもその気持ちに答えたいとは思うものの、周囲の伯父さん、伯母さんからはケイトの悪口を言われて困ったりする。その微妙な心理がクローバーの口から語られるので分かりやすい。どちらが悪いという問題ではなくて、感情の行き違いなのだ。
セアラ・ケイトは努力する。伯母さんに相談を持ち掛けたり、クローバーをしかったり。ようするに、語りかける事に対し妥協したりしない。
クローバーも、セアラ・ケイトがお祈りをしない事を直接質問した時、「思ってる事を口にするってこんなにたやすいことだったんだ」と気づく。家族が話をし合う、というのは基本的な事のようでいて案外肉親どうしでもおざなりになっている。
セアラ・ケイトと親類や村人が本当にうちとけるきっかけは、ケイトがジム伯父さんを助けたことだったけれど、それがなくても時間をかけた努力の中で、人々はうちとけていったのかもしれない。
●長く付き合う羽目に陥ってしまった、他人の集まり
このテーマ、個人的にはちょっと難しいです。
何しろ「家族とは、長く付き合う羽目に陥ってしまった、他人の集まりである」というのが我が家の率直な考え方なので。
弟は早めに一人暮らしを始めたので良いのでしょうが、他人と一緒で居心地の悪い家でどのように過ごすか、というのがうちの家族の永遠のテーマだったりします。
・・・なんていうのは、少し大げさですけど。
でもたくさんの本を通じて世の中には途方もない家族関係があることを知りました。
子どもの頃に受けた精神的な傷は、一生に亘って影響を与えるといいます。
一番傷つきやすい時期に一番居合わせ、影響を与えるのが家族だから、親近者の虐待ほど子どもにとって残酷なものはない。
アリス・ミラーの著書などにはそのことがすごく具体的に書かれていて衝撃をうけました。
『魂の殺人』『沈黙の壁を打ち砕く』 (どちらも山下公子訳/新曜社)などの著作は難しいところもありますが、興味のある方は読んでみて下さい。
現実的には、この頃AC(アダルト・チルドレン)の本が目につくようになりました。
虐待でないにしろ、一番近い親などに何らかの精神的外傷を与えられて、辛い人生を生きるようになってしまった人々・・・という例が多く見当たります。そして、どれかひとつふたつの例が分かるというのが大半の人ではないかと思います。
きっと子供のころに何一つ傷を受けなかった人間なんていないでしょうね。
でも、どんな傷であってもその過去より、これからどう人生を切り開いていくかが本当の問題だと思います。
そんな中で一つ大きな問題になるのは、今後新しい家族を築いていけるかどうか、ですね。殊に女性には未来がかかってますから。
誰もが完璧とは程遠く、純粋でもなければ人生から超越してしまったわけでもない。でも、誰もが親になることや家族をもつことを否定してしまったら・・・これも大変困ったことですよね。
さて、ここからまた個人的な話なんですが、実は5月に弟夫婦に赤ちゃんが誕生しました。私にとっては初めての姪です。
---この歳で初めて赤ちゃんをだっこしました。・・・で私はふと思いました。
家族なんて面倒だと思いつつ、新しい家族を持てるような余裕というか希望があったらいいなあ、と。
たまたま「花日和」の皆さんは女性で、お子さんのいらっしゃる方もあれば、これから子供を持つ方もいると思うので、その時思い出した本を挙げておきます。
『幸せなのになぜ涙が出るの』アグネス・チャン著(労働旬報社)です。
子供を持つことへの肯定的な意見がとても納得のいく形で書かれているところがありました。ぜひ読んでみて下さい。
スウ(2002.5.27)
むかしのを、ひっぱりだしてしまいました。今年いしさんは結婚されて、新しい家族を築いていかれるわけで、5年前のこの文章を今よむと、なんだか感慨深いなあと思うのです(^e^)。 |
●お気に入りの巣で
とても変わった家族。どこかにいそうで、でも冷静に考えればいないなぁ、という家族。
お父さんもお母さんも、きょうだい同士も、自分の考え方ややり方がはっきりしていて、この家族のなかだけのきまり、暗黙の了解というものをかぞえあげれば切りが無い。
そういうものを、詩のようなさりげなくきれいな流れで書いていて、読んでいてとても心地良かった。
---じょんじょんじょんと、歩いて帰る。長女のそよちゃんが妊娠中であるにも拘わらず出戻った理由、というのをはっきり書いていないのだけど、
この、じょんじょんじょんは母の言いまわしだ。
どういう意味なのかはわからない。
でも私たちきょうだいは、てくてくのかわりにじょんじょんで育った。
さ、じょんじょんじょんとあんよして。
「自分のお気に入りの巣」で子供を育てたかったんではないか、もっと言うと子供を大事な家族に持って帰ってきた、そんな気がしてしまうほど、この宮坂家は根底から結束が固い。
あからさまにべたべたしている訳ではないけれど、「うちでは」という事に特徴がありすぎて、そよちゃんは津下さんとの生活になじみきらなかったのではないか。勝手にそんな想像をしてしまった。
良し悪しではなく「これでやってきた」という細かな事々が、そのひと自身をつくる。
家族はそれを家という巣のなかで意識的にも無意識にも、育て続けていくものなんだろう。
娘の夏休みの宿題の読書感想文用に購入したのですが、内容があまりにも壮絶なので、「どうしよう・・・」と悩んでいるところです。
いわゆる自伝ですが、彼女の生い立ちは壮絶なものです。
こんなこと書いてしまっていいの?と思うような内容もたくさんあります。まだ彼女は30代、私とそんなに変わらない年齢なのに、育つ環境によって、こんなにも違うものかと驚かされました。
前に「命」を読んだことがあって、それでもかなり驚きましたが、人間的にはあんまり好きになれないタイプだなと感じました。
でもまた柳の本を読む気になったのは、どうして彼女のような人間ができあがってきたのか興味があったからです。(私は人間観察が好きなんですよ)
それで、この「水辺・・・」を読んでよくわかりました。やはり、「環境」が人間の成長に大きく影響するんですね。
もちろん、持って生まれた性格も大いに関係あると思います。しかしながら、物心がつかないうちの「環境」というものは自分ではどうにもできないもので、また、親に養ってもらっているうちも、自分からは変えることができないような気がします。
親の愛情というものは、子供にとって一番大切なものだということがよくわかりました。
ふと感じたのですが、彼女は早死にしてしまうのではないでしょうか。
そんな生き方のような気がします。
●自伝でも小説でもないという スウ(2002.3.3)
これと「命」も私は読みましたが、やっぱり壮絶のひとこと。ここまで自分をさらけ出して、自分はいいかもしれないけど子供や家族はいいのか?とすごく思う。でも、「記憶はひとつの物語でしかなく、ひとは往々にして自分のいいように創作しているものだ」という言葉がキーワードで、これは自伝でも小説でもないのだ。(と、著者はいう) 自分のなかから溢れ出さずにはいられなかった”言葉の土砂”が、生きているのが嫌になるような状況のなかでも、彼女の才能、生きる糧として、世の中に認められていった事が、救われるような気がしたことでした。 |