俳句と旅と音楽と
俳句と旅と音楽と
初めて聞くチェリストである。HMVの検索リストには名前があるが、実際には何も出て来ない。つまり、CDのデータが何もないのである。
実は、この人のことはHanssler版バッハ全集の中で見つけた。無伴奏チェロ全6曲はこの人の演奏だった。リリンクさんのお眼鏡に適ったのだろう。1998年の録音だが、Wikipediaのデータによると6年後には急逝している。癌だった。これからという人だったのだろう。現代音楽に力を入れていたようで、作曲編曲も手がけていたようだ。
さて、その演奏だが、1番のト長調のプレリュード、古楽の影響かと思うほどテンポが速い。たぶん、人は精神性が乏しいというのだろう。しかし、聴いていてその軽快感は重苦しさがなく、自然に流れているといった感じだ。全体を通して聴くと、フルニエやマの演奏とは違うが、それほど違和感なく最後まで聴ける。これもあり?というような感じではなく、なかなか味のある演奏と言えるだろう。技術的には分からないが、無伴奏チェロの曲として素直に聞けるのではないか。それに、一回聴いてもういいという印象がないのはやはりこの演奏の特徴だろう。(どうもその即興性に理由がありそうだ)
彼は日系ドイツ人の石坂団十郎という弟子にその技術とチェロを残している。この団十郎のCDも決して多くはないが、アンサンブルとして聴くことができる。それもこの先の楽しみだ。
ボリス・ペルガメンシコフまたはペルガメンシチコフ(Boris Mironovich Pergamenshchikov / 1948年8月14日 レニングラード - 2004年4月30日 ベルリン)は、旧ソ連出身のロシア人チェリスト。
6歳でレニングラード音楽院にてエマニュエル・フィッシュマンに入門し、チェロと作曲の学習を開始する。1970年にプラハの春国際音楽コンクールにて優勝し、1974年にモスクワ・チャイコフスキー国際コンクールにおいて覇者となる。音楽活動は急速に開かれてゆき、協奏曲や室内楽の演奏に活躍した。
ギドン・クレーメルとともにオーストリアのロッケンハウス音楽祭に定期的に出演した。1977年に西側に脱出し、1982年に米国に、次いで日本にデビューする。
1977年から1992年までケルン音楽高等学校で教鞭を執り、1998年から2004年までバーゼル音楽院ならびにベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学でも教壇に立った。
2004年、癌により急逝。55歳だった。
弟子に石坂団十郎、クラウディオ・ボルケス(ジュネーヴ国際音楽コンクール第1位、カザルスコンクール優勝)がいる。
愛器は1735年製のドメニコ・モンタニャーナであった。
ヘンスラー社から単体で出していたCDのデータとレビューがあったので以下に貼り付けてみる。
J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲(全曲)
チェロ:ボリス・ペルガメンシコフ
(録音:1998年/使用楽器:Montagnana(1735年製))
1番から聴き始めましたが、プレリュードから「語るな~」という印象。
ペルガメンシコフという人は、音色に乗る情感が豊富で、得意の現代作品はもちろんどんな音楽にも生命感を与えるチェリスト、という印象を持っています。このバッハもそうで、よい意味で二度と同じ演奏はできないだろうというような柔軟な即興性があって、何度聴いても新しい発見に溢れます。それが一度だけの珍しい表現として消化されること無く、強く印象に残り続ける説得力には敬服してしまいます。
例えば3番のブーレなど自由の極みで、粋な装飾の多様とテンションの上下、聴いたことの無い上向音型に楽譜を弾き換えてスリリングに迫ったり、すこぶる楽しい。それでもバッハらしい様式感が損なわれないのは、作品の懐の広さかペルガメンシコフのマジックか。抽象的な表現になりますが、ずっと耳にしていると「楽器」というより「声楽」を聴いているような気持ちになります。他の演奏には感じ得ない程に、演奏者が再現したい音楽が自然に伝わってくる演奏です。
また、重い音も軽い音も、去る音も居座る音も、熱い音も涼しい音も・・・チェロは多彩な音色を持つと言われますが、その表現力の可能性の広さを改めて教えてくれるようにも思います。どんな役柄も完璧にこなしてしまう稀代の名優の名演技、といったところでしょうか。
インターネットは実に便利だ。このひとがペルガメンシコフその人だ。55歳で他界するなんて、なんともったいないことか。
2013年3月12日火曜日
ペルガメンシコフのチェロ