放射能汚染とどう向き合っていくのか




◇ 原爆と原発は核爆発によるもの ◇

かつて、私たちが経験した原爆による健康被害。 あのときも現在も、国は「被爆による原爆認定」に対し消極的でした。 
それは、莫大な補償問題が発生するからで、原爆の問題に対して見て見ぬふりをしています。 それでは今回の原発事故についてはどうでしょうか。 60年近く経過した今でも、当時と全く変わっていません。
ましてや改善しようと努力するどころか、放射性物質の処理方法も確立しないまま、全国でのガレキ処理も積極的に推進するなど、国策としての基本方針が酷くなっていく一方です。

「復興支援」はとても大切なことです。 狭い国土で人々が強力し合い、支えあうその姿はとても大切なことで、被災地に住む人間として
大変感極まりる思いはありつつも、複雑な気持ちでいっぱいです。 それは、全国に放射性廃棄物が持ち込まれ汚染されてしまうのではという憤りの想いが溢れているからです。
8000Bq(ベクレル)以内であれば国は問題がないということについて、世界中の国々では日本に対し白い目で見ている現状だということを海外メディアが報じています。 まさに、朝鮮半島の情勢を伝える日本と、現地では情勢を封印し報道しないという格差と同様の事態が起こっているようです。 それが、ここ日本で…

私たちが訴えたいことは何なのか。 それは、二度と争いや核の被害を繰り返してはいけない・・・ ただ、この一言に尽きます。 何故そのことをここまでしてなぜ訴えるのか。 それは、核の脅威を目の当たりにしてきたからこそ訴えているのです。

いくら文章で綴られても、いくら口で説明されても、あのときの大惨事が伝わらなくて当然でしょう。 実際に被爆体験した者でなければ分からないぐらい、言葉では言い表せないぐらいの悲しい物語があり、それは恐ろしく切ない人生経験でした。
ぜひ、私たちの体験談をお聞きになってみてはいかがでしょうか。 リンクページからVTRメッセージを視聴することも可能です。
これからの将来を担う方々にとって、必ず参考になるお話になるものだと確信しております。


また、「原爆」と「原発」は別物だ! よくこういう台詞を耳にします。 


おっしゃる通り、別物と錯覚してしまうかも知れません。 しかし、それはまったくの誤解に過ぎないと思います。 原爆は戦争で原子爆弾で使われていた「核が爆発」し、広島や長崎の地が放射能汚染されました。
原発は、原子力発電所で使われる「核が爆発」し、東日本一円が放射能汚染されました。

「戦争」と「事故」の観点から見ると、まったくの別物ではあるようですが、「核が爆発し汚染された」ことにはまったく変わりはないのです。 しかも今回の原発事故の影響は広範囲にわたり汚染されたことから、事の重大さは深刻で「核の汚染」という結末に変わりはなく、ひとくくりに「別物」と決めつけるのは間違いでは?と言っても過言ではありません。

広島・長崎は、ある種ピンポイントで高線量の放射線や熱線が一気に放たれました。 例えるならば、1999年9月に茨城県東海村の核燃料加工施設で起きた臨界事故(←クリックでリンク)を思い出してみてください。 広島・長崎では、JCOの事故と同様の被害を多くの人々が経験し、もがき苦しみながら帰らぬ人となっていきました。

福島での事故はチェルノブイリ級かそれ以上の事故と想定され、まだ原爆ほどの被害報告は出ていないものの、これからチェルノブイリ原発事故と同様の事態が日本で起こるものと思われます。 医学的・科学的根拠を求められた場合に答えようはありませんし、批判されることもあるでしょう。 しかし、根拠として言える事はただひとつ、私たちがこれまで体験したうえでの警告そのものが答えなのです。


私たちはこれからをどう生きていけばいいのでしょうか。 気をつけていかなければならないことを簡単に取り上げます。
Haginokai 2012 Miyagi Japan.
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