男良谷砲台跡・海軍由良水雷隊深山基地跡
深山第2砲台跡

2017.01.22


       という訳で深山第1砲台跡の見学を終え、続いては海岸沿いにある男良谷(おらのたに)砲台跡海軍由良
      水雷隊深山基地跡
へと向かいます。第1砲台防御壁上の左手から続く鬱蒼とした尾根道を下りますが、多く
      の人が通った跡なのか、足元は均されて比較的歩きやすい状態。時折ヤブが切れて海を見渡せる場所に出
      たりして、なかなか気持ちのいい山歩きです。
       途中から足元は滑らかな岩場になり、上に乗った乾いた土や小石がちょっと危ういなあ。それなりにしっか
      りした靴
で来た方がいいと思います。

       下り道がだんだん急になってきたところで、足元には粗い石段が現れ始めました。さらにしばらく降りて行く
      と、ヘアピン状のコーナーの外側に出ましたよ。左に上がると最初のカーブミラーの分岐点、右に下れば男良
      谷砲台跡ですね。迷わずに折れて行きます。

       幅の広い軍道は足元がよく、さくさくと行程を消化。右手の谷には川筋の跡が見えますが、今は完全に干上
      がっていますね。恐らく雨が降った時だけ川が出来るんだろうなあ。
       ふと見ると、その谷底付近にコンクリ作りの細長い遺構を発見。頭が入りそうな丸い穴が幾つか見えますが、
      あれはカマドかな?となると、すぐ近くに兵舎の跡があるはず。
       お、谷と反対側、左手の山際に建物の基礎が見えてきました。これが将校宿舎の跡ですね。ここに木造兵
      舎
があったと思われますが、今はその基礎が残るのみ。

       そして見えてきたのが、谷底に位置する男良谷砲台跡の掩蔽部。海こそ見えませんが、ここまで来るともう
      海岸沿い。レンガではなく自然石コンクリートで固められた砲台は、砲座、掩蔽、砲座、掩蔽、と横一直線
      の構造
です。

       まずは左側の掩蔽部へ。ここが隣の砲座の弾薬庫になっていたと思われますが、意外と規模は小さいなあ。
      幅2m、奥行き3m程しかありません。満足な量の砲弾類を置けたとは思えませんが、山頂部の砲台とは違っ
      て口径の小さな火砲だったので、この程度の弾薬庫で十分だったのかも。

       掩蔽内部はキレイな状態。カビひとつ見当たりません。コンクリの内壁もサラサラ&すべすべで、夏場は気
      持ちよさそう。

       その掩蔽の隣が砲座になっていて、台車を使って弾薬を運んだと思われるスロープが残っていました。腐葉
      土がぶ厚く堆積して砲床は確認できませんが、海に向いた壁面に2箇所の丸い切り欠きがあるところを見る
      と、往時は2門の火砲があった模様。砲座そのものはかなり狭いので、こうして壁面をえぐって砲の旋回スペ
      ース
確保していたんですね。設計の苦心の跡が伺えます。

       砲座の内壁は四角い自然石を積んで固められていますが、内壁のほぼ全てが弾薬を並べて置くスペース
      になっている
のが物々しいなあ。もしかしてこれは弾薬置き場ではなく、単にこういう形状なだけかとも思いま
      したが、これだけ小さい砲座に置ける小口径の砲なら発射速度も速かったでしょうから、出来るだけ多くの弾
      薬
を砲座の傍に置こうとしていたのかも。

       2つ目の弾薬庫もほぼ同様の状態でしたが、あれ?確かこっち側の弾薬庫って、ゴミ捨て場と化していたん
      じゃなかったっけ?見たところ床も内壁もキレイなものですが、こんな所にまで清掃が入ったんでしょうか。

       海岸に出る前に、先程軍道から見下ろした谷底に分け入ってみます。まず地面から突き出た土管が目に入
      りましたが、これは多分井戸だろうなあ。

       さらに藪の中を入って行くと小さな壕状になった排水路が見つかりました。地中を貫いて海岸方向に抜けて
      います
が、これは谷底に広がる兵舎周辺の水はけを良くする為のものかな?周囲が崩れかけているので慎
      重に降りて行くと、一直線に伸びた暗渠の奥が明るくなっています。見たところかなり頑丈そうですが、流石に
      中を進むのはちょっと遠慮したい気分。

       木々が繁茂した谷底には、兵舎の基礎跡と思われるコンクリ土台カマドトイレ跡と思しき基礎跡が幾つ
      も残っていました。
       あれ?海岸の方から男性が2人歩いてきましたよ。猟銃の様なものを抱えているのでドキッとしましたが、よ
      く見たら釣り竿ケースでした。野生動物と間違われない様、山の中ではいつも目立つ色のパーカーを着用して
      いますが、撃たれでもしたらエライ事ですから。
       続いては砲座左側の藪の中へ入って行きます。確かこちら側に、海軍由良水雷隊深山基地に水雷を運び
      こんでいたトロッコ線路のトンネルがある筈ですが・・・あ、あったあった。薄暗い山肌にぽっかりと、石造りの
      トンネル
が不気味に口を開けています。

       それにしても、出口が見えない真っ暗な廃トンネルというのは一種独特の禍々しさがあります。この手のトン
      ネルは広島県の亀ヶ首試射場で初めて通りましたが、あのトンネルは不気味ながらも出口が明るく見えてい
      たからなあ・・・。少し呼吸を整えて、内部に入ってみます。

       トンネル内壁は総レンガ造りで、薄く漆喰を塗った跡がありますね。床部はコンクリ造りで、線路を敷設する
      為の枕木の跡がはっきりと残っています。雨水が流れ込んだのか凹んだ部分は湿っていますが、水溜まりと
      いう程ではなく足元はいい状態。

       途中からトンネルは緩く右にカーブを描き、徐々に背後からの自然光が頼りなくなります。さらに壁面には
      かいゲジゲジやカマドウマ
が群れ集い、天井からはコウモリが何匹もぶら下がっています。ううう、この雰囲気
      は流石に来るものがあるな・・・と思っていると、トンネル最奥部の落盤現場に辿りつきました。
       おおお、なんというかこの・・・私の場合は引き返せばすぐに外へ出られますが、これが私の背後で起きてい
      たらと思うとゾッとしますね
。落盤はトンネル内ではなく奥の区画にて発生したらしく、上の方に四角いドア枠の
      様なものが見えました。このトンネル自体がいますぐどうにかなる訳ではなさそうですが、そう遠くないうちにこ
      こも立ち入り禁止になる気がします。

       それにしても、この奥が水雷隊の深山基地だったのか。紀淡海峡突破を目論む敵艦隊に向けて水雷攻撃
      を行っていたという事は、この向こうに広大な地下スペースがある筈ですが、これではとても先に進めないな
      あ。どこか離れた場所に別の入口があるかもしれませんが、この落盤を見ると探す気も失せます
       あまり長居したい気分でもなかったので、逃げるようにその場を離れます。背後のトンネル奥から冷たい手
      が伸びて来そうな気がしてつい早歩き
になってしまうのが、我ながら気が小さいな(笑)。酸素が薄かった訳で
      もないのに、無事トンネルの外に出た時は深呼吸してしまいました(笑)。

       そのトンネル前、往時は大きな広場になっていた様ですが、今は完全に藪に飲み込まれています。とは言え、
      よく見るとそこかしこに朽ち果てた遺構の痕跡が残っていて、当時の兵隊さん達の生活の様子が伺えます。こ
      れは洗い場の跡、これは兵舎の上にあった瓦屋根の欠片か・・・。
       そして広場の奥、山肌に手前にあったのがこの謎の遺構。奥の方が煙突状になっていて、煮炊き用のカマ
      ドにしては使いづらそうですし、廃材を処分する焼却場にしてはやけに凝った造りです。大掛かりな暖炉の様
      にも見えますが、何なんだろうこれ・・・?

       宗教的な荘厳な雰囲気を纏っているので一瞬火葬場のカマかとも思いましたが、そんなものをわざわざ兵
      舎の隣に造る訳がありません
。全体の造りの堅牢さを見るに、相当な熱にも耐えられる構造と思われますが、
      もしかして小規模な鋳造作業等が行える、小型の炉のようなものだったのかも。
       背後の煙突付け根左側には、半円状の穴が開いていました。おそらくここに鉄製の扉があり、燃料となる
      炭を追加
したり炉内の空気の流れを調節していたのでは。となると、当時ここは建物の中だった可能性もあり
      ますね。

       その遺構の背後に斜面には、高さ10m程の石造りの水路が引いてありました。斜面の雨水の水はけをよく
      する為のものかと思いましたが、かなりキレイに作ってあるので、もしかしたら上にある湧き水をここまで引い
      て来た、上水道的なものだったのでは?谷底には別に井戸がありましたが、あちらは兵卒用、こちらは将校
      用
の水場だったとか?山肌をよじ登れば水源を確認できそうでしたが、降りるのが大変そうなのでやめておこ
      う・・・。

       その後は砲台を右の方に回り込んで、へと向かいます。あれ?こんな所にスクーターが2台ありますよ?
      不法投棄とは思えないので、多分釣りの人が乗ってきたのでしょう。
       それにしても、この海岸へ抜ける道を造る為に観測所を壊してしまったのは、実に勿体ないなあ。遺跡なん
      てどうでもいい人にとったら、丁度いいところに階段があるからこれだけ残してあとは壊しちゃえ!程度のもの
      だったんだろうなあ。

       階段を上がって少し歩くと、急に目の前がひらけてが見えてきました。おお、てっきり波打ち際スレスレ
      と思っていたのに、結構な高さがあったんですえ。目の前には友ヶ島の東端である地ノ島が、低く降りてきた
      雲を纏う様にして浮かんでいます。
       頑丈な手すりのついた階段を下りてくと、冷たい風が吹くゴロタ石の海岸に出ました。階段のすぐ脇には
      水口
がありましたが、ははあ、これが先程谷底で見つけた暗渠の出口ですね。

       頭ほどもある丸い石がゴロゴロして歩きづらい海岸線の先には、石造りの突堤が伸びていました。海に向け
      て穏やかな傾斜がついていますが、あれは重量物を船に積み込みやすくしていたのかな?だとすると、逆に
      陸揚げの際に大変だった気がしますが、もしかしたら突堤の付け根に牽引用のウインチでもあったのかも。
      艦艇を沈める水雷なんて、相当な重さがあった筈ですからね。安全性を考えても、それぐらいの設備があって
      もおかしくないでしょう。
       よく見ると、海岸に繋がった部分海に突き出た部分とで突堤の構造は大きく異なり、何故か海岸に繋がっ
      た部分が不思議な捻じれ方をしています。なんでこんな事になったんだろう。

       波がなかったので突堤に上がってみると、左右の一部がそれぞれ階段状になっていました。もちろん横づ
      けした船に乗り降りしやすくするのが目的でしょうが、それだけ人や物資の出入りが頻繁にあったのか。それ
      とも片方が海軍、もう片方が陸軍という使い分けだったのかな。当時は凄く仲が悪かったそうですし。
       とは言え、それほど仲が悪かった両者がこんな近くに砲台や基地を造るものでしょうか。軍道を通せる地形
      が限られた
のかもしれませんが、こんな辺鄙な場所で肩を寄せ合って暮らしていた男良谷砲台の陸軍さん
      深山基地の海軍さん、上の人達同士の感情のもつれはともかくとして、現場の人達は意外と仲よくやっていた
      
のかも。

       突堤上から陸側を振り返ると、おおっ、右手の海岸に神殿の様なものが見えました。崖に沿って造られた
      壁の石垣みたいな構造物ですが、高さは12~3mぶ厚さは軽く見積もっても2~3mはありそう。艦砲射撃
      をまともに食らう事を前提とした防御壁と思われますが、これが由良水雷隊深山基地水雷発射施設か・・・。
       往時はこのスリット状の発射口から海底まで、頑丈なワイヤーケーブルが斜めに伸びていて、そのケーブル
      伝いに水雷を発射。着水と同時にエンジンを始動させ、敵艦隊に水雷攻撃を行うつもりだったそうです。
       となると目の前の海の底には、ケーブルの付け根となった基礎構造物が眠っている訳か。スキューバダイビ
      ングの心得がある人なら潜って探索する事もできますが、もう海藻に覆われて跡形も無さそう。それにここは
      潮の流れもキツそうだから、かなり危ないかもしれませんね。

       それにしても、特撮っぽい実に面白いギミックで水雷攻撃を行っていたものです。もっとも、航行中の敵艦を
      崖の内部深くに造られた基地から攻撃するなら、こうするしかなかったかもなあ。射出角度は動かせません
      
が、この狭い水道で敵艦隊が通過する航路はごく限られるので、潮流の方向や速度さえ把握していれば、意
      外と効率のいい迎撃手段なのかもなあ。
       当然ここでは水雷を使った発射試験や実験が何度も行われた筈ですが、崖に面した発射口から飛び出した
      水雷がケーブル伝いにするすると降りて来て、海面への着水と同時にエンジンを始動させ、ぎゅーんと航走す
      る水雷を見た兵隊さん達の高揚感は、相当なものだった気がします。普段仲の悪かった陸の兵隊さん達も、
      思わず拍手してしまったりして。
       潮は満ちている時間帯ですが、海岸沿いに行けば水雷発射口の真下まで行けそうですよ。とは言え、周囲
      には崖上から崩落したコンクリの塊がゴロゴロしていて、発射口の斜面もかなり傷んでいます。いつ大きな石
      が落ちてくるとも限りません
。ドキドキしつつ、なんとかふもとまで辿りつきます。

       真下から覗き上げた発射口内部は、真っ暗。しかし目を凝らしてよく見ると、微かに内部のシルエットが浮か
      んで見えますね。内部に電気が灯っているとも思えないので、恐らく明かり取りか換気の為の窓があるか、も
      しくは内部の壁面そのものが崩落しているか。慣れた人なら発射口伝いにフリークライミングで上って行けそ
      うですが、とても安全は保障できません。
       時刻は昼前ですが、雲が低く垂れこめて薄暗く、風も急に強くなって来ました。さて、そろそろ撤退しますか。
      あれ?発射口のさらに奥の方の地磯から、釣りの人が歩いてきましたよ。もしかして、向うの方にも何かある
      のかな?
しまった、釣り用のブーツを持ってくればよかったなあ。
       その後は来た道を戻ります。空模様は徐々に怪しくなり、雨が降って来そう。
       緩やかな坂道を上りきり、カーブミラーのある分岐点まで戻ってきました。帰り支度をする前に、ここからす
      ぐの休暇村紀州加太の駐車場に残っている、深山第2砲台跡の遺構を見に行く事に。少し歩くと広大な駐車
      車場が見えてきましたが、この敷地に第2砲台が広がっていたのか・・・。今は昔、だなあ。

       駐車場の片隅には弾薬庫の説明板があり、後から整備されたっぽい階段の先に見えたのが、半地下状の
      弾薬庫
。構造は第1砲台の弾薬庫と似たようなものですが、こちらの弾薬庫は随分天井が低いなあ。奥行き
      はあるものの左右の幅は狭く、やけに圧迫感があります。

       がらんとした弾薬庫内には小さなテーブルがあり、なにやらスタンプの様なものが置いてありました。キッズ
      印
とありますが、この周囲を舞台にしたスタンプラリーでも行われていたのかな?試しに手のひらに捺印して
      みましたが、朱肉がカピカピに乾いていて何も残らず。

       少し離れた場所にある加太砲台跡田倉崎砲台跡にも寄りたかったのですが、その敷地に建っている和歌
      山市立少年自然の家が現在建て替え工事中で、近寄る事も出来ず。リニューアルオープンを待って、また次
      の機会に現存する遺構の一部を見に来たいと思いました。
       最後は、この深山砲台群の背後の守りを固めていたいくつかの堡塁群を探しに行きました。天候が怪しい
      のでアタックこそかけませんでしたが、大川山堡塁は峠の入口を確認。高森山堡塁は、ちょっと分かりません
      でした。佐瀬川堡塁はすぐ近くまで来たもののどうやら私有地の中にある様で、これも近づけず。西ノ庄堡塁
      
は今は県立和歌山北高校の西校舎となり、跡形もなくなっているそうです。
       今回渡り損ねた友ヶ島に関しては、暖かくなる前にぜひ見に行きたいなあ。3月に入ると自衛隊のイベント
      ぼちぼち始まりますし、それまでは戦闘糧食だのおでかけだの、溜まりまくっている未発表の記事を少しでも
      更新しないと・・・と頭を悩ませつつ、和歌山県を後にしました。



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