倉梯山防空砲台跡
2016.03.27
という訳で、舞鶴戦争遺跡巡り二日目です。前夜の錨泊地となった綾部PAを早朝に出発。4月前にもかか
わらず気温は2℃と流石の冷え込みで、起きた時は車内の結露もルーフの上もばりんばりんに凍っておりま
した。
舞鶴東ICから一般道に入り、倉梯山(くらはしやま)の登山口に向かいます。この倉梯山防空砲台とは、太
平洋戦争当時に海軍が建設した7つの防空砲台のうちの一つで、舞鶴湾に侵入してくる敵艦隊を迎え撃った
港湾入口の砲台とは違い、港湾設備や市街地に対して爆撃を行う航空機に対しての迎撃の為に作られた防
空砲台です。昨日のうちに登山口の場所の確認は済ませておいたので、迷う事なく到着しました。
あれ?こんな時間から登山口に車が一台停まっていますが、先客かな?早朝ハイキングの人だろうか・・・
と思ったら、50過ぎのオジサンが軽トラの中でスポーツ新聞を読んでいます。早朝配達仕事の時間つぶしか
な?
とりあえず準備を整えて出発です。軽トラの横を通り過ぎた時、中にいたオジサンが
「あれっ?この先入るの?上まで行けない様になってるって聞いたよ。まあ実際に入ったことないけど」
えええええ、それは聞いてないんですけど・・・。まあ、行けるところまで行ってみますよと笑顔で返し、坂道を
上って行きます。
はじめはキレイなアスファルトだった登り坂は、すぐに周囲からの灌木に覆い隠され、やがて杉林の中を通
る山道になりました。勾配は穏やかで、足元にはフカフカの枯葉が堆積して歩きやすいですが、その分やや
滑りやすいなあ。危険を避ける為になるべく路肩から離れたところを歩いて行きます。
徐々にクマザサが勢いを増して行く中、よく見ると地面に人の足跡が残っているのを発見。藪の所々に肩の
高さで小枝が折れた新しい痕があり、つい最近誰かがここを通った様です。
ふと見ると、山肌に小さな標石が立っていました。何か書いて有る様ですが、んん〜、真正面からの順光の
お陰で、掘り文字が見えづらいなあ。海界・・・ってあるのかな?ここから先は海軍の管理地、という名残でし
ょうか。
そしてそのすぐ近くには、明らかに人の手によって掘り込まれた竪穴がありました。いや、これは竪穴という
よりも、地中に埋めた甕が割れてその内部を覗かせたという感じかな。地表部分の厚さは2〜3pぐらいしか
なく、知らずに上に乗ったら踏み抜いてしまいそう。落とし穴式の罠みたいです。
途中何度もキツイ藪に行く手を阻まれますが、山道は徐々に高度を上げてきました。そして登り始めてから
30分ほど経った頃、倉梯山防空砲台の入り口となる切り通しに到着しました。なんというかモロ山の裂け目
といった感じで、削り取った斜面の補強は全くなし。旧海軍の施設らしからぬ乱暴な仕事ぶりですが、完全に
に崩壊してしまったのかなあ。
その背後にはコンクリ製の古びたガードレールが、斜面に沿っていくつもありました。山道はこの切り通しで
クランク状に曲がる為、車両の通行上危険な箇所だったんでしょうか。
その切り通しを撮影しようと移動した場所には、悉く先人の足跡が。考える事は同じの様ですね。さてはた
だのハイキングではなく、私同様に遺跡目当ての人だったのかも。
切り通しをクリアして、緩やかな山道をさらに登って行きます。大した登り坂ではありませんが、いつの間に
か舞鶴東ICを眼下に一望できる高さまで来ています。
さらに立ちふさがる藪をこぎつつ進んで行くと、足元の柔らかい地面に幾つかの獣の足跡を発見。これはも
しかして・・・熊?その割には小さい気がしますが、おそらく1歳に満たないこぐまちゃんでしょう。となると、くま
ママが近くにいる可能性もある訳か。
緊張感を覚えつつ周囲への警戒を厳にしますが、ニオイにしても音にしても、私よりクマの方がよっぽど先
に探知するので、気をつけようにも意味が無いんですよねえ。頼むからそっちの方から避けてくれと念じつつ、
進んで行きます。
先程の切り通しから10分ほど歩いたところで、右手の山肌に明らかな人工物が見えてきました。おお、とう
とう砲台に差しかかったのか。
灰白色のコンクリ造りの建物が、山の中に半ば埋まる様にして建っています。ぶ厚い苔に覆われた屋根の
庇は崩れ、外観の傷みはかなり酷い印象。一見して斜面を掘り込んで作った風に思えますが、山の斜面を背
にして建てられた建築物が、徐々に崩れ落ちてきた土砂や木々に飲み込まれている途中の様です。
外観こそかなり傷んでいますが、内部は意外にもキレイな状態です。左右の壁面の高い所にある小さな窓
は外からの土砂で完全にふさがっていますが、窓枠部の分厚さを見るに、相当頑丈に作られている模様。
幅3m、奥行き5m程の室内の床部には、少し深めの側溝がありますが、室内に水場の跡は見られません。
入口周囲にドアをつけた跡もありませんが、これは木枠ごと腐り落ちてしまったのかも。
それにしても、この建物は一体何の為に建てられたんだろう。山道を上って来て最初にある建物なので、警
衛詰所か何かかな?だとしたら、この付近に門柱があっても良さそうですが、それらしきものはありませんで
した。あれ?建物前の広場から降りて行く斜面の途中に、これも明らかな人工物を発見です。掩蔽の入り口
っぽいですが、妙な形状だなあ。
降りて行けそうなルートを探していると、眼下に大きな貯水槽を発見。木が生い茂る斜面を、苦労しながら
ずり降りていきます。おお、結構大きい水槽ですよ。水底は濁っていて見えませんが、6m×2m程の大きさ
があり、水面までは1m近くあります。内部の壁にはボルトで何かを止めた跡がありますが、これは梯子か揚
水ポンプの類かな?
そしてそのすぐ横手に、建物の入口がありました。真っ白いコンクリの表面にはオレンジ色の苔が生え、ま
るで変な塗装が剥げた後の様。そしてこの入口を固めたコンクリの厚さがもの凄く、6〜70pはありますね。
もはや耐爆仕様と言ってもいい位。
内部は幅3m、奥行き8mほどですが、その大きさの割に狭く感じるのは、外壁の分厚さによる圧迫感のせ
いでしょうか。アーチ型の天井は結構な高さがあり、これも逆に左右方向の窮屈さを際立たせている様。
室内の床部には、何かを固定したと思しきコンクリ製の土台が残っています。周囲から突き出た鉄筋と円
筒形の跡は、まるでエンジンか何かの燃焼試験を行う場所の様ですが、この場所でそれはないか。恐らく電
力供給のための発電機が据え付けられていたんでしょう。
上の広場からここまで降りて来る階段もあったと思われますが、今はその痕跡すら見られず。人が作ったも
のを長い年月をかけて自然に戻して行くシステムの中に、今自分がいる事を実感します。
上の広場に戻り、再び坂道を上って行きます。さらに険しくなる藪を漕いで行くと、右手の山肌に沿って背後
へと折れて行く山道の分岐点に差し掛かりました。そしてそのすぐ横手に、またしても右手の山にぽっかりと
開いた掩蔽の入口が。こちらは最初から山の斜面に掘り込んで作られた様ですが、上部に大きなシダ植物が
生い茂り、まるで偽装を施したかの様。薄暗い時間帯だと、気付かずに見逃してしまいそうです。
内部は狭く、幅1.5m、奥行き4m位。内壁はキレイなもので、ちょっと掃除すれば今からでも使えそう。こ
の先に砲台なり兵舎なりがあるとすると、先程の警衛詰所と思われる建物までの中間点にある、ちょっとした
資材置き場か何かでしょうか。でも、その割には大げさな造りだなあ。となると、やはり燃料や弾薬などの危
険物が一時保管されていたんでしょうか。
さらに先へと進みます。傾斜こそ緩いものの、倒木が次々と行く手を阻む山道は結構ハード。腿上げ運動
的な動きを余儀なくされるので、これは明日の筋肉痛が思いやられます。
さて、かれこれ登り始めて1時間が経ちますが、周囲の風景を見てもそろそろ山頂に近いかな・・・と思って
いると、不意に山道の勾配がなくなり、樹木が乱立しているものの妙に開けた場所に出ました。んん〜、ここ
が頂上部かな?
ひと息つきながら周囲を見渡すと、右手の少し高いとろに不自然にまっ平らな地形が目に入りました。何か
ありそうですよ。倒木を踏み越えつつ近づくと、真っ直ぐに伸びた苔まみれの基礎の向こうに、小さな四角形
の赤レンガ構造物が幾つも見えました。よく見ると、階段の様な跡もありますね。恐らく木造兵舎が腐り落ち
た跡に、建物の基礎部分だけが残った様です。
それにしても、かなり大きい建物だったんだなあ。幅6m、長さ18m位ありそうです。基礎にはコンクリと赤
レンガが入り混じった部分がありますが、これは炊事場や洗い場、トイレの跡でしょうか。
よく見ると、すぐ隣にも同じ様な基礎の跡が残っていました。細長い木造建築が2棟、並んで建っていた模
様です。お、これは割れた屋根瓦かな。ガラス片もありますね。地面を掘り起こせば、茶碗や湯呑、ガラス瓶
といったものも出て来るんだろうなあ。
さらに奥へと進んで行くと、今度は地面に大きな水槽を発見。内部は落葉の堆積が酷いですが、あまり深く
はなさそう。地面とほぼ同じ高さにあるところを見ると、これは飲料水や防火用水ではなく、風呂の跡かな?
結構な広さの湯船になりますが、兵舎の規模から察するに、これ位大きな風呂があってもおかしくはないでし
ょうね。となると、この辺りが洗い場だったのかな。
そしてその奥にも、先程の建物と同規模の基礎跡が残っていました。大きな木造兵舎が、少なくとも3棟は
あったんですね。往時はさぞかし賑やかだったであろうこの場所も、今は木々に飲み込まれて僅かにその痕
跡を残すだけ。人の声もとうに絶え、聞こえて来るのは微かな鳥の鳴き声のみ・・・。
そんな場所にこうして一人佇んでいると、無人無音のこの空間に、荘厳な音楽が満ちている気がするのが
とても不思議だなあ。耳が聞こえない人は、こうして視覚から得たイメージをもとに、脳内で自分にしか聞こえ
ない音楽を構築しているのかも・・・などと、訳の分からない事を考えてしまいました。
それにしても、ここは明らかに当時の兵隊さん達の生活の場ですね。そう離れていない場所に舞鶴市街防
衛のための防空砲台がある筈ですが、登ってきた道は山の斜面で途切れていて、そこから先へ行けそうな
道は見当たりません。
もしかして、さっき見つけた山肌に沿って反対側へ折れて行くあの道の先が砲台なのかなあ。となると、そ
の分岐点に掩蔽があったのも頷けます。よし、さっきの場所まで戻ってみましょう。
お、すぐに建物の基礎跡が見えてきましたよ。倒木と枯葉に殆ど埋もれていますが、苔の生えた基礎がは
っきり見えます。5m四方程の正方形の建物の様ですが、一体何の建物だったんだろう。
その脇には小さな階段があり、降りて行くと不自然に開けた場所に出ました。木々が繁茂してはいますが、
これは明らかに人の手で切り拓かれた広場。そしてそこにもありました。先程の兵舎跡と同様に、細長い兵
舎の基礎部分が2棟、向かい合わせに残っています。
それにしても、大きな建物が確認できるだけでも5棟もあったとは、かなりの規模だなあ。こちらの方が暗く
じめじめしていますが、弾薬を湿度の高い場所で保管するとは思えないので、こちらが兵隊さんの生活空間
だったのかも。また、この場所は袋小路的な地形になっていて、砲台へ通じそうなルートは見つからず。
しかしよく考えて見ると、この倉梯山防空砲台は港湾入口の防衛のための砲台ではなく、港湾設備と市街
地防衛のための防空砲台です。となると、尾根筋に隠れる様にして洋上の艦艇を攻撃していた陣地とはまる
で性格が異なり、上空や前方にむけてとことん視界が開けた場所に砲台があったはず。
うーん、ここまで来て引き下がるのも癪なので、先程の兵舎広場から上の方に行けるルートを、もう一度探
してみるか。
という訳で、先程の兵舎広場に再び戻ってきました。兵舎があった場所の背後には、高さ7〜8m程のちょ
っとした斜面があります。兵隊さん達がここを上って砲台に行ったとは考えづらいですが、何らかのヒントの様
なものが得られるかも。安全そうなルートを探して、慎重に斜面を這い上がります。
枯葉が堆積して滑りやすい斜面を、木々にしがみ付きながらどうにか登りきりました。おお、ここは完全に尾
根道ですね。山頂部の絵に描いた様なトンガリが、ずっと先まで続いています。いやー、ほんとに逆V字型に
尖っていたのか、倉梯山。北斜面と南斜面のそれぞれに足を掛けて立っているとか、子供が描いた漫画みた
いです(笑)。
尾根筋に縦横無尽に伸びた木の枝が行く手を遮りますが、うまい具合に北斜面の少し下がった所に獣道が
あり、滑り落ちない様に用心しつつ進んで行きます。まあこれだけ木々がごちゃごちゃに生えていれば、少々
滑り落ちても何所かで引っかかるでしょう。
おお、目の前には舞鶴東港に面した市街地が一望できます。うん、対空砲台を作るなら、この場所しかない
気がしますね!足元に散らばる鹿の足跡と黒豆の様な糞もそう言っている様。
と、ここで不自然な地形を発見。尾根筋のど真ん中に、直径4m程の穴がぽかっと開いていました。まるで
山頂部の火口の様です。自然の窪地でしょうけど、こんな尾根のど真ん中にそんなものが出来るのかなあ。
キレイな円形を見ても、まるで人為的に掘り込んだ跡の様に思えますが・・・。
倒木と植物、枯葉に埋もれかけてはいますが、確かに砲座に見えない事もありません。しかし大きな高射
砲を置くにしては、地形があまりにも不安定すぎるなあ。となると、観測所?いや、上空の敵機を下から照ら
し出す探照灯ぐらいなら、問題なく置けそう。
また、上空から発見され易い場所にわざとダミーの砲座を作った、という可能性もありますが、このすぐ後
側には兵舎があります。ダミーを作るなら、もっと離れた場所だろうなあ。
恐らくこれは、偶然キレイな円形を描いて出来た自然の地形でしょうね。とはいえ、思いつきのデタラメで登
った尾根道でこんな意味ありげな地形を発見するとか、なかなか面白い気がしました。
今回の探索では残念ながら砲台跡にたどり着くことは出来ませんでしたが、帰った後はより詳細な下調べ
を行ったうえで、次の第2次探索を企画したいものです。
という訳で、倉梯山を撤収。途中の下り道で、これはどう見てもクマだろ・・・という足跡を発見。私の手のひ
らよりもひと回りぐらい小さいですが、中央部の大きな肉球と細長い指の跡がハッキリと見えます。ひたすら
遭遇しない事を祈りながら下山。
すると斜面の下の方でガサガサと音が聞こえ、心臓の鼓動が跳ね上がりましたが、あ、鹿か。白いお尻を
跳ね上げながら逃げて行く様子が確認できました。
山道は徐々に高度を下げ、朝通った舗装路に差しかかりました。登山口の前で待っていた私の車を見た時
は、心底ほっとしましたね(笑)。ああよかった、無事戻ってくる事が出来た。まるで
「よう相棒、気は済んだか(笑)?」
と言われた気がしました(笑)。
その後は西舞鶴のいつもの魚屋で、鮮魚を購入。夕食に間に合わせる為に、急いで帰宅しました。
今回辿りつく事がかなわなかった二か所の砲台について、後から調べてみたのですが、浦入砲台は接近ル
ートを完全に勘違いしていた模様。そして倉梯山防空砲台ですが、こちらは行きどまりだと思っていた斜面の
先に、さらに奥へと続くルートがあった様です。多分あの斜面には階段があったんでしょうけど、それが完全
に埋まっていたんだろうなあ。
登ろうと思えば登れた斜面だっただけに、そこで引き返してしまった判断ミスが痛いですが、その時点で集
中力は切れかけていましたし、無理して登っていたら事故を引き起こしていたかも。あれはあれでよかったん
でしょう。何度も繰り返しますが、ソロ探索に無理は禁物。再度しっかりと調べなおした上で、次回のお楽しみ
とする事にしました。
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