葦谷砲台跡

2016.03.26


       一車中泊二日で、舞鶴の戦争遺跡を見て来ました。初日に見て回ったのは、舞鶴湾東側の国見山にある
      葦谷砲台跡。明治33年に陸軍によって作られ、西側の対岸にある金ヶ岬砲台と共に舞鶴湾入口の護りを固
      めていた金剛力士像の様な砲台であります。
       当日は早朝に大阪市内の自宅を出発し、0855に国見山のふもとにある舞鶴ふるるファームに到着。職員
      の方に車を停める許可を貰い、山歩きの準備を整えます。空気は冷たいものの空は快晴で、実に見事な遺
      跡探訪日和
。ふるるファームの赤い屋根越しに、真っ青に輝く若狭の海が見えました。

       0908、意気揚々と出発。駐車場を出てすぐの瀬崎トンネルを、徒歩で通過します。私の普段の生活圏内
      にトンネルというものがないので、歩いて通るのはなんか不思議な気分ですね。
       そのトンネルを抜けると、目の前には火力発電所の巨大な煙突が聳え立っていました。山沿いに火力発電
      所脇の外周道路
に入りますが、新幹線でも余裕で通れそうな巨大なダクトが這い回り、ゴウンゴウンと低い
      唸り
をあげる人気のない火力発電所がちょっと不気味。舞鶴地方総監部北吸桟橋からの体験航海ではお馴
      染みのこの火力発電所ですが、近くで見るとこんなに大きかったのか・・・と驚きです。

       しばらく歩いて、0920国見山参道入り口の分岐に差しかかりました。右手に登って行く参道に入れば葦谷
      砲台跡
、左側の火力発電所沿いに海側に出れば浦入(うらにゅう)砲台跡・・・でいいのかな?とりあえず、葦
      谷砲台跡へ向かいます。
       枯れ葉が堆積した歩きやすい舗装路は徐々に高度を上げて行き、すぐに火力発電所を見下ろせる高さに。
      そのまま20分ほど登ったところで、道はT字の突き当たりに差しかかりました。ここは参道の標石がある右
      手に折れて行きます。

       電波塔らしき大きなアンテナが近づいてきて、さてそろそろ頂上が近くなる筈ですが・・・お、右手に大きなコ
      ンクリ水槽
を発見。戦時中のものなのか随分と古びてはいますが、傷みは少ないみたいですね。内部に水は
      なく、降り積もった枯葉が見えるだけ。塩ビのパイプとバルブがありますが、これは何らかの目的で再利用
      ようとした跡かな?下から水を引いていたのでしょうか。

       そこからもう少し上って行くと、急に視界が開けてきました。ほほう、ここが山頂部の広場か。左手には高い
      電波塔
があり、南無阿弥陀仏と刻まれた小さな石碑掘っ立て小屋、あとフェンスのない支柱だけが所在な
      さそうに佇んでいました。
       よく見ると、掘っ立て小屋の基礎部分は崩れかけた赤レンガです。小屋そのものはくたびれきっているもの
      の、基礎部分ほど古くは無さそう。戦前に何らかの目的で作られた赤レンガの建物の跡を、戦後に改築した
      のでしょうか。

       その赤レンガ部は細長い形状で、建物の基礎というよりも水場か煮炊き場の様に見えますね。掘っ立て小
      屋は閉鎖されていましたが、上から内部を覗きこむと粗末なトイレでありました。
       広場の奥には石垣で補強した切り通しがあり、その先には赤レンガ造りの掩蔽が2つ並んでいました。上
      部の換気口を除いて、どちらも入り口はコンクリートで閉鎖されていて中には入れなくなってます。右側の掩
      蔽からは配管が伸びていて、90度曲がって地面に突き刺さっていますが、これは何の為の配管だろう。

       お、もう一つの切り通しを挟んで、左手奥の方にも2つ続きの掩蔽がありますよ。前の広場には井戸らしき
      ものがあり、覗きこむとすぐ下に暗い水面が見えましたが、よく見るとこの井戸、真っ直ぐ円筒状に掘り込ま
      れているのではなく、地下にちょっとした空間が広がっている模様です。となると、今私が立っている足元のご
      く浅い所には、貯水タンク的な構造物が埋まっている
訳か。

       なんだか足元が急に崩れ落ちる様な気がして、慌ててその場から離れます。まあ私の体重程度で崩落する
      事はないでしょうけど、なにぶん戦前に造られたまま放置されたも同然の物件です。私は基本ソロ探索ですし、
      用心するに越したことはありません
       また、すぐ近くには30cm四方程の深い穴が落ち葉に埋もれそうになっていて、気付かず足を突っ込んだら
      エライ事になりそう。慎重に慎重に。

       ふと耳を済ませると、閉鎖された掩蔽内部から何かの音が聞こえます。思わずドキッとしてしまいましたが、
      これは・・・水滴が落ちる音・・・かな?反響の具合から察するに、掩蔽内部はさほど広くはなさそうですが、な
      んだか水琴窟みたいでちょっと風流かも。
       しかし、こんな山頂近くに作られた掩蔽の薄い天井部分からも、地下水が落ちて来るのか。となると、内部
      は水浸しでかなり脆い状態なんだろうなあ。中には入れないのは残念ですが、立ち入り禁止も止む無しです
      ね。

       中央の切り通しの奥には、また掩蔽が。こちらは閉鎖されておらず、内部に入る事が出来そう。掩蔽の正
      面には大規模な補修が入った様で、入口の枠は頑丈そうなコンクリートで完全にやり直してありました。左右
      の窓にはごついガラスが取り付けられ、これだけしっかりと修理してあるのは珍しい。何かの目的で再利用
      る為に、特に念入りに補修した様に見えます。しかも左右の窓には、ゴツい鉄格子までありますね。もともとこ
      ういう構造だったものを、改めて再現したのでしょうか。

       内部は落ち葉の吹き込みも少なく、落書きやゴミの不法投棄も無し。極めて良好な保存状態です。赤レン
      ガで固められた壁面には漆喰が塗られていますが、半ば剥がれ落ちた状態。
       そして奥の方には、異様に頑丈そうな金属扉が横倒しにしてありました。なんだこりゃ。かなりの分厚さがあ
      り、窓部分にはご丁寧にも鉄格子が。なんというか、危険人物を幽閉していた様な物々しさです。弾薬の類を
      保管していたならこのぶ厚さにも納得がいきますが、その扉を外して入口の枠だけをコンクリで補強する意味
      がわからない
なあ。改修工事の途中で投げ出したのかな。

       掩蔽の左右には広い空間があり、どうやらここが葦谷砲台の砲座部分の模様。よく見ると右側にはチェー
      ン
が張ってありますが、これは立ち入り禁止?でも、その脇には人一人が普通に出入りできる空間がありま
      すし、車両の立ち入りを禁止してあるのかな?そもそも立ち入り禁止と書いてある訳でもないですし、これは
      どう解釈すべきか・・・。
       右側はさておいて、とりあえず左の砲座を見てみましょう。広々とした砲座の右側にはヒョウタン型の深い
      竪穴
があり、池みたいになっています。ん?もしかしてこれが砲床?それしては随分深いなあ。水面まで7~
      80㎝はあります。余程大きな火砲があったのか?いや、でも、その割には砲床の径が小さいですね。

       また、ヒョウタン型というのも変な感じです。丸い砲床の横の部分が崩落してこうなったのかと思いましたが、
      それだと直径2mもないサイズの砲床になってしまい、砲台の規模的に小さすぎる気がします。
       あと、こういう楕円形の砲座の場合、内部には2つの砲床が並んでいるのが普通ですが、もう一つある筈の
      砲床が見当たりません
。片方だけ完全に埋まってしまったというのも不自然ですし、最初から右側の砲床しか
      なかった
のかな?それも何か変だなあ。
       続いては、その左側にある掩蔽へ。こちらは扉ごと持って行かれた蝶番の跡だけを補修したのみで、左右
      の窓ガラスもない状態。内部の大きさと構造は、先程の掩蔽と同じですね。それにしても、内部はほんとキレ
      イなまま
だなあ。惚れ惚れします。

       また、その掩蔽の入口の向かいには、山肌を掘り込んで作られた石垣の壁がありました。何だろうこれは。
      掩蔽内部の弾薬類が爆発した際に、爆風を左右の通路にではなく、上部に逃がす為の構造かな。
       その掩蔽の奥にも、砲座がありました。先程と同様の規模ですが、こちらは左側にだけ砲床と思われる直
      径3m程の穴ぼこ
があり、深さが2m近くあります。これ、本当に砲床なのかなあ。まるで砲そのものを地下
      収納式にしたみたい
ですが、それに意味があるとは思えませんし・・・。

       続いては、砲台の最も左端にある掩蔽へ。深く掘り込んだ通路の奥に、2つの掩蔽がL字型に作られている
      のが珍しい。というか、この通路部分も掩蔽として十分な大きさがあるので、実質3つの掩蔽をT字型に連結
      させた様な状態
ですね。

       正面奥の掩蔽は扉と窓の間の柱が崩落し、赤十字マークみたいになっています。そして内部は意外と狭く、
      4m×4m程。事務所として使うとしても、3~4人も入ればいっぱいです。

       その隣の掩蔽は、先に見た2つと同じ様な規模。幅4m、奥行き12m位はあります。それにしてもこの、
      下でL字状になった掩蔽部、なかなか美しい構造だなあ。地形の問題でやむを得ずこうなったんでしょうか。

       その後は砲座横の階段から、尾根筋へと上がってみます。意外な事にそこは大きな広場になっていて、
      づくりのベンチが置いてありました。若狭湾をバックにしてグループ写真が撮れそうな小さな雛段もあります
      が、背後が急斜面なのでちょっと怖いかも。
       ここは砲台跡の再開発を目論んで造られたのかなあ。空気はやや冷たいものの暖かい陽射しが降り注ぎ、
      新人ウグイスの下手くそな鳴き声が聞こえるこの場所は素晴らしいの一言ですが、殆ど知られる事もなく打ち
      捨てられているのは勿体ないなあ。いや、それだからいいのかも

       ふと見るとそこら一面にふきのとうが咲き誇っています。どれもすっかりトウが立っていますが、もう二週間
      早く来ていれば、自家製ふきのとう味噌で綾香のぬる燗を一杯・・・というたまらない組み合わせが楽しめた
      のか。惜しい事をしました(笑)。

       上って来たのと反対側の斜面から降りて行くと、一番右側の砲座広場に出ました。あれ?ここ、さっきのチ
      ェーンの向う側ですよ
。立ち入り禁止の意味が全然ありません(笑)。まあこれ位いい加減な規制にしてくれた
      方が、こちらとしては好都合ではありますが。お役所仕事万歳ですね。そう言えばこないだの友ヶ島でも、似
      た様な事があったっけ。
       右端の砲座ですが、こちらも左側にだけ3mぐらいの深い穴があいていました。それにしても、火砲を固定
      するのになんでこんな深い穴が必要だったんだろう。また、なんでどの砲座にも砲床が1つしかないんだろう
      か・・・。謎の多い砲台だなあ。

       そしてその砲座の外側には、左端と同じ様なL字型の掩蔽がありました。こちらもあちこちレンガが欠け落
      ちているものの、保存状態は良好。横に並んだ3つの砲座の周囲に掩蔽を配置した形ですが、砲座数の割
      に掩蔽の数が多い様な気がしますね。他の砲台とは、役割が異なっていたんでしょうか。
       あと、観測所を見に行かないと。おそらく尾根筋の外側にある筈ですが・・・と下ってきた斜面を戻っていくと、
      お、ありました。斜面の途中に外側へと延びて行く階段を発見です。木々で埋まりかけた塹壕を進んで行くと、
      赤レンガに囲まれた土管の様な狭い場所
が見えてきました。恐らくここが指揮所ですね。

       そしてその外側には、地面をドーナッツ状に掘り込んだ観測所が。中央の円筒状の台は、測距儀を乗せて
      いたんでしょう。

       となると、反対側にも観測所がある筈ですが・・・と探しに行きますが、こちらは倒木と藪が酷く、かなり荒れ
      ています。辛うじて確認できる赤レンガの塹壕をたよりに進んで行くと、鬱蒼とした木々に囲まれた左端の観
      測所
に辿り着きました。

       ふと思いつき、そのまま尾根筋を移動して行くと、いとも簡単に先程の展望広場に出ました。左右両翼の観
      測所に関しては、砲座からの通路ではなく尾根筋からのアプローチの方が簡単
です。
       ちょっと早いですが、キリのいいところで昼食にしましょう。目の前に広がる穏やかな海、真っ青な空に浮か
      ぶ雲、穏やかな陽射し、爽やかな山の空気。聞こえて来るのはウグイスの鳴き声のみ・・・。ああ、ただのカレ
      ーパンとおにぎりが、こんなにも美味しく感じる場所はない
なあ。

       のんびりとした時間を満喫した後は、下山開始。いやー、よかったですね、葦谷砲台。山歩きの距離も程々
      で足元もよく、砲台の形状は魅力的で保存状態も良好。次はもう少し寒い時期にやってきて、ガスバーナー
      で作った味噌汁にふきのとうを入れて楽しもうかな

       火力発電所脇の国見山参道入り口まで戻ってきました。折角ここまで来たので、すぐ近くにあるという浦入
      (うらにゅう)砲台
を探しに行きますが、道を間違えたのか酷い藪の中に入り込んでしまいました。突き出た枯
      れ枝が刺さってズボンを破くわ血は出るわ、もう散々。もう一度ちゃんと調べ直して、改めて探索に来るとしま
      ましょう。

       日が陰り気温が下がってくる中、瀬崎トンネルを通過して舞鶴ふるるファームに到着。車を停めさせて貰っ
      たお礼代わりに、売店にて肉じゃがコロッケを購入です。山歩きの途中とは言え、あの昼食では物足りなかっ
      たので美味しいなあ。
       その後はふるるファームを出発し、東舞鶴赤れんがパークへ移動。車を置いて、北吸桟橋の艦艇一般
      公開
に向かいます。曇天の桟橋で待っていたのは、護衛艦あたご、ひゅうが、補給艦ましゅう。おおお、今日
      はまたデカイのばかり揃ってますね(笑)
。ひゅうがとましゅうの隣にいると、基準排水量7000㌧のあたごが
      小さく感じます。

       しかし、小さいながらも美しい艦影を描く護衛艦まつゆきがいないのは残念だな・・・と思ったら、対岸のジャ
      パンマリンユナイテッド
の岸壁に、護衛艦せんだいとともに接岸していました。定期点検の模様です。

       それにしても、桟橋から遥かに見上げるましゅうやひゅうが、あたごの存在感は強烈ですね。こんな艦を任
      された艦長の気分って、どんなんだろう。高揚感重圧責任感使命感、そして何よりも喜び・・・いろんなも
      のがごちゃまぜになった、一言では言い表せない気分なんだろうなあ。

       時刻は15時前、3月末の舞鶴では、もうこの時間から冷え込んできます。この後は趣味のスーパーめぐり
      
を満喫し、福知山の櫻湯へ向かいます。舞鶴から福知山まで銭湯に入りに行くの?と思われるかもしれませ
      んが、櫻湯ですよ櫻湯!行くしかありません(笑)。ちなみに舞鶴にも素晴らしい銭湯が一軒あるそうですが、
      土曜が定休なのでなかなか縁がなく・・・一度入りに行ってみたいなあ。
       舞鶴東ICから高速道路に入り、福知山ICで降りて1638に櫻湯到着。おおお、一年半ぶりの訪問ですが、
      前回来た時と全く変わらない佇まいにホッとさせられます。引き戸を開けて中に入りますが、番台が無人なの
      も前回同様。

       あれ?でも、今回は先客がいますね。まあ土曜日のこの時間ですから、誰かがいても当然か。2階に向け
      てあいさつすると、おばちゃんがトコトコと降りてきました。
       しかし、ここでショックな話を聞かされます。今年の1月で福知山市内に残った最後の銭湯となってしまった
      この櫻湯も、あと1年もしないうちに閉める事になるとの事・・・。明治37年築の建物とあって設備の老朽化
      酷く、これまでご主人自らがこまめに修理を行ってきたものの、それも既に限界とか。

       また、現在は湯を沸かす為の薪の入手にも事欠く状態で、最近は薪不足から定休日以外も店を閉める日
      が多く、辛うじて薪が確保できた日のみ、短時間だけ営業しているそうです。うーん、これは地味に堪える話
      だなあ・・・。全盛期は福知山市内だけで11軒もの銭湯がひしめきあっていたそうですが、これもどうにもなら
      ない時代の流れ
か・・・。
       おばちゃんは前回同様に、快く室内の撮影をOKしてくれました。歴史ある古い建物特有の、濃密な時代錯
      誤感の中にいる高揚感
と、そしてこの櫻湯に残された時間はあともう僅か・・・という虚無感がないまぜになっ
      たこの気分・・・。

       と、ここで浴室から先客の2人のオジサンが出てきました。どうやら古くからの常連さんらしく、4人でしばし
      銭湯トークに花を咲かせます。おばちゃんがオーバーに話すので、お2人は私を銭湯巡りの専門家かなにか
      と勘違いしていたのがくすぐったくはありましたが(笑)、この櫻湯に集う人達の、有機的な関わりの中に組み
      込まれるこの感覚
。基本的に単独行動が多い私ですが、うん、これはこれで悪くない・・・
       さて、私もお風呂に入らせてもらいましょう。そうそう、これが櫻湯です。廃業までに、あと何回入りに来る事
      が出来るんだろう。もしかしたら、これが最後になるかもしれないんだなあ。そんな事を考えながら、噛みしめ
      る様にして湯船につかります。

       廃業なんて言わないで、もっと続けて欲しい・・・というのが正直なところですが、事情が事情ですし、年に何
      度も来ない私が口に出していい言葉ではない
気がしました。
       最後はおばちゃんに見送られ、櫻湯を出ます。外はまだ明るいものの、夜の訪れはもう間もなく。徐々に薄
      暗くなり冷え込みを増していく空の下、ぽつんと灯った櫻湯の小さな小さな灯り・・・

       「店を開ける事が出来ない日もありますから、次は一度電話で確認してから来て下さいね(笑)」
       というおばちゃんの言葉が淋しく響きます。うん、また来よう。最後の最後まで、福知山の銭湯の灯りを守り
      続ける櫻湯を見に。
       その後は舞鶴若狭自動車道に入り、1848に本日の錨泊地となる綾部PAに到着。朝早くからの山歩き
      遺跡巡り、そして櫻湯の後で、もうお腹が減って倒れそう。久しぶりの車中泊がお楽しみですが、今夜はなん
      だかしんみりした気分
だなあ。
       明日は早朝より、倉梯山防空砲台跡を探索です。静かな静かな綾部の夜。酔いと満腹感と疲れのままに、
      こてんと寝入ってしまいました。




二日目、倉梯山防空砲台跡に続く
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