舞鶴ツアー2014 (一日目)

2014.03.22



       さて、2014年のイベントシーズンもいよいよ開幕。今年の一発目は一車中泊二日の日程で、舞鶴近辺の
      海軍・自衛隊関連の見所
を回って参りました。春先からなんだかんだで身動きが取りづらかった私ですが、よ
      うやく行動開始です。
       当日は早朝に自宅を出発。中国自動車道から舞鶴若狭自動車道へと車をひた走らせますが、もうすぐ4月だ
      と言うのに京都北部の山間部は気温0℃。トンネルを越えるたびに昨年の米子遠征を思い出させる真っ白な霧
      
が視界を遮り、走りにくい事この上なしであります。
       舞鶴らしい天候に悩まされつつ、0750に西舞鶴ICに到着。0815に建部山(たてべやま)登山道入
      り口の駐車場に車を乗り入れます。この頃には春らしい青空が広がってきました。
       舞鶴湾西側に位置する標高316mの建部山ですが、ロシアのバルチック艦隊の入港を阻止すべく明治32
      年に陸軍舞鶴重砲連隊が建設した建部山堡塁砲台の跡が、今も山頂部に残っているとの事。
       山頂までは約3qと少し距離がありますが、昨年の鶴原山に比べればはるかに楽なハイキングコースです。
      まあ運動がてら山歩きを楽しみつつ、戦争遺跡を見に行ってみましょう。


       手早く荷物をまとめて、0820駐車場を出発。山の麓には小さな畑が広がり、ちょろちょろ流れる小川も
      あってなんとも長閑な風景。すぐに登山道入り口に突き当たりますが、あれ?なんかトタン板で封鎖してある
      んですけど・・・。
なんだこりゃ。
       もしかして登山禁止なの?えええええ、ここまで来たのに・・・。しかし駐車場には大きな案内看板も出て
      いましたし、目の前には『これより登山道』という標識があります。登山禁止とも入るな危険とも書いてませ
      んし、これはどうしたものやら。


       もしかしてこれは、山から下りて来る野生動物による食害を防ぐ為のトタン板なのかな?そう言えば、途中
      で見た畑には電気柵が張り巡らせてあったなあ。
       それなら問題ないかと解釈して、トタン板をまたいで登山道に足を踏み入れます。鬱蒼とした木々に覆われ
      た薄暗い山道を進んでいきますが、いやあ、ワクワクして来ますね。昨日まで降り続いた雨のせいか足元は非
      常に悪く、ヌルヌルになった粘土質の地面や降り積もった濡れ落ち葉を踏んでは、何度もすっ転びそうになり
      ました。

       山全体に降り注いだ雨は所々で小さなせせらぎになっていて、登山道が小川みたいになっている箇所も。足
      元を取られない様に気をつけながら、慎重にクリアして行きます。


       その後は普通の山道です。風もなく静かな休日の朝、木々の間から聞こえてくるのは小鳥の鳴き声せせら
      ぎの流れる音
だけ。ああ、こういうのは久々だなあ。
       ところによっては膝の高さまでシダ植物が生えていて、脚絆を巻いて来て正解。これが無かったら今頃脚ま
      わりはびしょ濡れだったなあ。薄い布一枚で結構な保温力もありますし、今や遺跡巡りの山歩きには欠かせな
      い装備品
であります。


       そのまま25分ほども歩いた頃、前方に案内板を発見。山頂まであと1.5q。ちょうど中間点です。見晴
      らしは今一つですが結構な高さまで来ていた様で、木々の間から舞鶴湾が見下ろせます。


       頂上まであと1qの地点まで来ると、道幅が広がり勾配も緩やかになり、随分歩きやすくなりました。倒木
      にはびっしりとが生していて、ひたすらゆっくりと進んでいく自然の時間の流れが見える様。
       登山道を埋めた笹の藪を膝でかき分けつつ、ひたすら前進。かれこれ50分が経ちますが、そろそろ山頂部
      かな・・・おお、前方に石造りの基礎崩れた赤レンガの壁を発見。これですね!


       すぐに建部山山頂部と思われる平らな場所に出ました。枯れた繁みの奥に見えるのは、山肌をくり抜いた形
      で5つ並んでいる半地下状の掩体
。ようやく建部山堡塁砲台跡に到着であります。


       掩体の前は風通しのよさそうな広場になっていますが、今は枯れ草樹木に埋もれています。端の方には
      明パネル
が設置されているものの、打ち捨てられ放置された状態が続いている様で、程良い荒れ果て具合
      とも言えない味わい
を醸し出しています。その説明パネルによると目の前の掩体は弾薬庫らしく、砲台はその
      上部の奥の方にあるとの事。


       まずは弾薬庫内を探索します。アーチ状の天井部赤レンガで固められた壁面で構成された標準的なカマボ
      コ型で、幅は約5m、奥行きは12m程かな?取り付けられていたはずの鉄扉は、戦後復興期に持ち去られた
      らしく、その後は補修の跡もなくボロボロのまま


       海上からの砲撃を想定して、弾薬庫自体は相当頑丈に作られていますが、雨の多い土地柄とあってか、カビ
      やコケによる浸食
は呉江田島あたりの戦争遺跡よりもキツイ感じですね。


       落ち葉が吹き込んだ室内のあちこちに水たまりがありますが、これは地下水の漏出なのか昨夜の雨の跡なの
      か。落書きは僅かに見られるものの大して目立たず、放置されたごみ類も殆ど見当たりません。


       時折上空をセスナ機が通過して行きますが、弾薬庫内に響くプロペラ音がなんとも不穏な気分。日露戦争当
      時はひたすら水平線の向こうを睨み据えていたであろう建部山堡塁砲台ですが、その後の太平洋戦争では何か
      に使われたんでしょうか。
       5つ並んだ弾薬庫は奥の通路で繋がっていて、どの部屋も同じ構造。天井部にある大きな穴は、換気孔
      声管の跡
でしょうか。


       向かって一番左端には、もう一つ別の小さな入口がありました。内部は左側に部屋がある様ですが、陽の光
      が入らないので真っ暗
。誰かが立っていたらちびりそうだな・・・とドキドキしつつライトで照らしますが、
      内部は8畳ほどのがらんどうの地下室。奥の方には焚火をした様な跡がありますが、こんな所で火を使ったら
      あっという間に酸欠になりそう。何に使った部屋なんだろう。


       ちなみに室内には、通路側に向かった窓が2箇所ありましたが、通路側から見た窓は壁の奥の方に掘り込ん
      だ形
になっています。相当分厚い壁面だという事がよく分かりますが、掘り込みの幅が人の肩幅よりも狭いた
      め、体を横にしてようやく奥にある窓に近づける程度。何かの窓口のようにも見えますが、何に使った跡なん
      でしょう。


       5つ連なった弾薬庫の向かって右端には、上部砲台へ向かう階段が。その周囲には、濾過槽付きの井戸と思
      われる深い縦穴がいくつも開いています。水面までは3m程ですが、落ちたらちょっとエライ事になりそう。
      
周囲に気を取られて足元が疎かになりがちなので、ソロ探索時は十分すぎる位の注意が必要です。


       柵も手すりもなく、苔と落ち葉で滑りやすくなっている石造りの階段を慎重に上って行きます。ここが建部
      山のてっぺん
ですね。立ち木のお陰で視界は効きませんが、風通しがいいのでなんとなく分かります。


       少し歩くと砲台跡が見えてきました。2つ並んだ砲台には、それぞれ12pカノン砲が2門ずつ設置されて
      いた筈ですが、今は降り積もった腐葉土と生い茂る木々に埋もれて、その面影はありません。
       少し離れてみると、なんとなく不自然に開いた空間が木々の間に確認できます。恐らくこれが砲床跡でしょ
      う。中央部に丸く固まって生している苔の塊が、砲を固定した基礎部分の跡かな。


       2つの砲台の間とその左右は土盛りになっていて、それぞれに1つずつ、合計3つの砲側庫が作られていま
      す。内部に入る通路はクランク状になっていますが、これはロシア艦隊からの砲撃を受けた際、爆風や破片が
      直接弾薬庫内に入らない為の設計
なのかなあ。


       そのお陰で室内には太陽光が入らず、ここも内部は真っ暗。幅約2m、奥行き約3mの小さな部屋ですが、
      下の弾薬庫から運びあげた砲弾を一旦留め置いて、ここからカノン砲に運び込んで装填していたんでしょう。


       また、何故かどの砲側庫にも『坂上二郎』という落書きがありましたが、二郎さんはこんな事しないはず。
      もしかしたら、坂上二郎というグループ名の暴走族が参上して、征服の証として書き残して行ったのかもしれ
      ませんが、その名前は暴走族としてどうなんだろう。それ以前に、休みの日にみんなで山登りする暴走族って
      のも、ちょっとなあ。


       こういった史跡に落書きがあるのは甚だ情けない話ではありますが、当時の人達の危機感と現代社会の危機
      意識との落差
が浮き彫りになり、ある意味興味深くもあります。
       幸い本来の役割を果たす事なく、こうして順調に朽ち果てるままになっている砲台ですが、当時この砲台に
      詰めていた砲兵さん達は、今の日本を見てどう思うんでしょうか。バカ野郎、もっとしっかりせんか!と怒り
      だすか、それとも何という羨ましい平和ボケ!と驚くのか・・・。
       上空にはいつの間にか雲が広がり、急に空気が冷え込んできました。さて、見る事ができそうな所は一通り
      見た様ですし、そろそろ下山しましょう。


       滑りやすい登山道は、登りよりもむしろ降りの方が緊張を強いられますが、帰路は40分ほどでスムーズに
      下山。途中何気なく頭上を見上げると、上の方から転がり落ちて来たと思われる太い倒木の幹がか細い枯枝に
      引っ掛かっていて、僅かな揺れで真っ直ぐに登山道に突き刺さりそうになっていました。うわあ、上って来る
      時は足元に気を取られて全然気がつきませんでした。これ、何かの拍子に外れて頭の上に落ちてきたら、ほと
      んどギロチンみたいなもん
だなあ・・・。何もなくてよかった。


       と言う訳で、建部山堡塁砲台跡の探索は無事終了。江田島の鶴原山に比べれば難易度の低い物件でしたが、
      なかなかぐっと来るものがありました。
       その後は27号線を走って東舞鶴港へ移動。おお、北吸桟橋の護衛艦が見えてきました!あの特徴的なデコ
      っぱち
は、あきづき型護衛艦!と言う事は、先日舞鶴に配備されたばかりのふゆづきがいる様ですね。楽し
      みだなあ。
       市役所横の駐車場に車を預け、赤レンガ倉庫群を眺めつつ文庫山学園へ移動。三連休の中日の割に人気が無
      く、長年歴史の風雪に晒された赤レンガ倉庫群も落ち着いた佇まい。いいなあ、こういうの。古いものをきち
      んと手入れして、観光資源として上手く活用しているのは素晴らしい。


       登り坂の途中からは、北吸桟橋東側が一望できます。目の前にはAOE425輸送艦ましゅうDD118
      護衛艦ふゆづき
DDG175護衛艦みょうこう。あと東端の方にはAMS4301多用途支援艦ひうち
      グボート
が2隻。桟橋の西側にも何隻か入っている筈ですが、ここからでは見えません。


       俯瞰で見るましゅうの大きさには改めて驚かされますが、やっぱりこの、イージス艦みょうこう護衛艦ふ
      ゆづき
が並んでいるのが印象的。VIPとその身辺警護を担当するSPみたいです。
       バックにはジャパンマリンユナイテッド巨大な赤白クレーン群鮮やかな色合いの商船、そして東舞鶴湾
      の山々の緑
が背景になり、如何にも舞鶴らしい美しい光景。


       その後は市役所裏の船溜まりへ。昨日から今年の営業を開始した、港めぐり遊覧船に乗り込みます。連休の
      遊覧船はなかなかの盛況で、私の後からも乗船客が続々とやってきます。
       ほぼ満員の遊覧船は、1200に出港。右手に掃海艇が集まる桟橋がありますが、今日は訓練で出払ってい
      るのか、停泊していたのはMSC681掃海艇すがしま一隻のみ。普段の緊張感とは対照的な、呑気で長閑な
      いい雰囲気


       何もない頭上には、何処までも広がる舞鶴港の青い空。大きな白い雲がいくつも浮かび、遠くの山々にはま
      だ雪が残っています。ああ、いい休日だなあ


       海自OBの方が務める案内アナウンスはなかなか堂に入っていて、港内の様々な見どころをよどみなく解説
      してくれます。舞鶴警備隊が常駐する隊舎や新日本海フェリーが入港する前島埠頭、太平洋戦争当時の地下防
      空指揮所
銃器砲台が今も残る東山舞鶴教育隊の表玄関である桟橋、艦艇乗組員が防火防水訓練を行う施設、
      そして呉の新しい象徴とも言うべき真っ白なクレインブリッジも見えてきました。


       ここで遊覧船はくるりと回頭。港の入口に錨泊していた海保の巡視船PLH10だいせんの横をゆっくりと
      通り過ぎ、舞鶴航空基地の沖合を通って再び東舞鶴港内に戻って行きます。


       舞鶴海軍工廠を引き継いで生まれたジャパンマリンユナイテッドの広大な敷地には、巨大な船体のブロック
      がいくつも並べられ、組み上げられるのを待っています。
       お、造船所の埠頭にいるのは、PG824ミサイル艇はやぶさ。 前甲板の76mm速射砲各種レーダー
      機器
、艦橋後部のRIBや後甲板の艦対艦ミサイル等は軒並み取り外され、かなり大掛かりな定期整備に入っ
      ている模様です。あるべきものが何もないので、妙につるんとした変な感じ


       そして遊覧船は港内最奥部を回って、自衛艦が停泊する北吸桟橋に差しかかります。水船や油船、交通船
      がひとかたまりに停泊していて、舞鶴地方隊の港湾業務を一手に引き受ける小さな働き者達も、今日はのんび
      りと休日を過ごしている様。
       そして2隻のタグボートの隣には、PG828ミサイル艇うみたかの姿が。相棒のはやぶさが定期整備に入
      っている為、万が一の際のスクランブル要員としての任務を一手に引き受けています。
       続いてははつゆき型護衛艦9番艦、DD130まつゆき。はつゆき型も徐々に退役が進んでいますし、この
      特徴的な後部三段甲板を見る事が出来るのも、そう長くはないのかも。


       その前方にいるのはDDG177護衛艦あたご。水面に近い所から見上げると、さすがに凄いボリューム
      す。なんというか、甲板の上に小さい山が一つ乗っかっているみたい。


       そしてその向こうには、DD181護衛艦ふゆづきDDG175護衛艦みょうこうの姿が。お目当てのふ
      ゆづきは桟橋側なので、みょうこうの巨体に隠れてよく見えないのが残念ですが、その分明日の桟橋の一般公
      開が楽しみだなあ。ふゆづきは昨年8月に岡山県玉野造船所での進水式を見守ったので、あきづき型の中でも
      非常に親近感のある護衛艦です。


       それにしても、イージス艦が2隻にあきづき型が1隻なんとも豪華な顔ぶれです。舞鶴基地を代表する巨
      漢揃い
というか、まるで相撲部屋にいるような気分。
       そして巨漢と言えば、忘れてはいけないのがAOE425補給艦ましゅうです。基準排水量で13500ト
      ン、あまりにデカすぎて遊覧船の甲板からでは全体像が全く掴めません。海面の高さから見上げるましゅうは、
      なんだか魚眼レンズから覗いた様な不思議な形でした。


       最後は再び多用途支援艦ひうちと掃海艇すがしまの脇を通り、30分の港めぐりはあっという間に終了。い
      やー、面白かったなあ。
       時刻は1230。午前中の山歩きもありましたしお腹が減ってきました。今から東舞鶴駅前まで出るのも時
      間が勿体ないですし、市役所前のコンビニで何か買って食べようかな・・・と思っていたら、赤レンガ倉庫の
      間の広場に移動販売の小さなバンを発見。何を出してるんだろう?と覗いてみると、おお、カレーの屋台です。
      
海軍カレーの類ではない様ですが、これも何かの縁でしょう。よし、お昼はこれに決定。


       メニューはたねふねカレーのみという潔さ。盛りは3種類から選べる様なので、一番大きい“お皿サイズ”
      いっときましょう。出てきたたねふねカレーですが、おお、これはかなり美味しいなあ。トマトの爽やかな酸
      味
を軸にしたカレーで、さらりとしたスパイスの香りが印象的。トゲトゲしさのない程良い辛さもいい感じで、
      晴れた日の海辺にぴったり。適当に見つけた屋台ですが、これは大当たりであります。
       その日その日で各地を回って営業しているらしいたねふねカレーですが、こういう突発的に出会う美味も、
      遠征イベントの醍醐味ですね。


       その後は先程船上から眺めた前島埠頭へ移動。パラパラと散らばっている釣り人に混じって、北吸桟橋を撮
      影
です。光線は左側方からで、最近の護衛艦の斜め平面構成な艦橋は、どうにも陰影がハッキリしすぎるなあ。
      これはこれで悪くありませんが、午前中の方が撮影に向いているのかな、ここは。


       前島埠頭での撮影を堪能した後は舞鶴地方総監部へ移動して、海軍記念館の見学です。警衛所にて見学手続
      きを行いますが、その間にも次々と見学者を乗せた車がやってきます。最近は何処のイベントに行っても自衛
      隊の人気
に驚かされる事が多いのですが、ここも例外ではない模様。
       敷地内の緩やかな坂道を歩いて海軍記念館を目指します。道路にはゴミ一つ落ちていませんし、真っ青な空
      には国旗と総監旗が翩反と翻っています。自衛隊の敷地内にいるんだなあ・・・と実感。


       旧海軍機関学校の大講堂を利用して作られた海軍記念館ですが、てっきり赤レンガ倉庫の様なレトロ調かと
      思いきや、意外とモダンな造りでした。正面玄関から入ってすぐの所には海軍旗をバックにした東郷平八郎提
      督の胸像
が置いてあり、連合艦隊解散ノ辞を朗読したテープが厳かに流れています。日露戦争前はここ舞鶴鎮
      守府
にて司令長官を務めていた東郷提督は、やはりこの舞鶴の地にあっても重要な人物なのでしょう。
       またこの胸像ですが、戦後米軍に廃棄される事を恐れた当時の関係者が、土中に埋めて隠したまま行方不明
      になっていた
のですが、昭和38年に西舞鶴港の埠頭の土中からたまたま発見され、海上自衛隊に寄贈された
      事がきっかけとなってこの海軍記念館が作られたそうです。


       館内には、幕末の海軍創設期から日清日露、そして太平洋戦争を経て現在の海上自衛隊に到るまでの歴史や、
      海軍と舞鶴との関わり、舞鶴に縁のあった歴代軍人海軍機関学校に関する分かりやすい説明があり、他にも
      さまざまな資料展示品がありました。
       またこの東舞鶴市街は、海軍基地の建設に伴って設計された海軍ありきの計画都市だったらしく、当時から
      市街地の東西を走る大通りに『八島通り』『敷島通り』『三笠通り』等と、戦艦や駆逐艦の名前をつけていた
      
との事。
       へー、そんな昔からの由緒正しい名前だったんですね。てっきり海軍で町おこしとばかりに、勢いで最近つ
      けた名前なのかと思っていました。
       最後は講堂を見て、海軍記念館の見学は終了。入場許可証を警衛所に返却する際に、いつもこんなに沢山の
      見学者が来るんですか
、と隊員さんに尋ねた所、
       「いやー、今日は桟橋での一般公開がありませんでしたので、知らずに見に来た人達がこっちに流れて来た
      みたいですよ(笑)」

       との事でした。


       その後は舞鶴地方総監部を出発し、西舞鶴へ通じる国道27号線をコンビニの駐車場から撮影。緩やかな傾
      斜のかかったなんでもない直線道路
ですが、実はこの道路、旧海軍の緊急用滑走路としても使える様に作られ
      たそうです。なるほど、先に海軍基地が出来て、それに合わせた都市設計が行われた名残が、こんな所にもあ
      るんですねえ。今でこそありふれた4車線道路ですが、当時はなんでこんな何もない所にとんでもなく広い道
      路を作ったの?
と、誰もが驚いたそうです。


       その後は道の駅地元スーパーを物色し、綾部市まで移動。市街中心部のパーキングに車を預けて、本日の
      締めくくりとなる松本湯を目指します。夕暮れにはまだ早い綾部の街中ですが、人気は少なくしんと静まり返
      っています。
あちこちに料理旅館らしい古い和風建築があり、なかなかいい雰囲気だなあ。
       すぐにお目当ての松本湯を発見。おお、ここもなかなか。古い和風旅館っぽい佇まいで、小さな小学校の修
      学旅行が似合いそう。重そうな玄関の瓦屋根、なかなか立派な松の木、色あせた暖簾・・・実にいい感じであ
      ります。


       内部はトラディショナルかつクラシックな、昭和の銭湯の雰囲気がそのまま残っていて、板敷きの床木製
      の番台、靴箱、脱衣箱
等はどれも手沢で黒光り。まるでここ綾部の歴史が染みついている様です。
       お湯はかなりの高温で、拡張した毛細血管に動脈血が轟々と音を立ててなだれ込み、一気に押し流された疲
      労物質が全身の毛孔からお湯の中に溶け出して行く感じ
。あー、やっぱり熱い風呂はいいなあ。
       全身熱々のユルユルになって、さっぱりした気分で松本湯を出ます。夕方とあって空気はさらに冷え込んで
      きましたが、湯ざましには丁度いいですね。いやあ綾部、なかなかいい街です。一時間ほどの滞在でしたが、
      なんか気に入りました。

       その後は高速に乗って、本日の錨泊地である綾部PAへ移動。静かなPAなので、車中泊にはちょうどいい
      塩梅だなあ。
       今日一日の満足感と程良い疲労感に浸りつつ、夕暮れの山々を眺めながら飲むビールは事のほか美味く、道
      の駅で仕入れたのどぐろの醤油漬けも驚くほど日本酒に合いました。明日は午後早いうちに出発するので、朝
      から前島埠頭での撮影赤レンガ博物館を見て、その後は北吸桟橋にて護衛艦ふゆづきと久々の再会です。
       とっぷりと日も暮れ、急激に気温が下がり始めた綾部の夜。車内で寝袋にくるまると、ストンと眠りに落ち
      ました。




舞鶴ツアー2014(二日目)に続く
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