2012.11.25
さて、今年最後のイベント参加となった呉江田島遠征二日目、0510に携帯のアラームで目が覚めました。
外はかなり冷え込んでいて、この時間だと流石に真っ暗ですね。お陰で星がきれいに見えています。この辺
りは空気も澄んでいるんだなあ。
手早く準備を整え、錨泊地である道の駅たけはらを出発。本日は一旦呉市内に戻り、江田島市に入って
西能美島の端っこにある戦争遺跡三高山堡塁跡へ向かいます。
大君の信号で左に折れ、カーナビの指示通りに進んで行くと徐々に道幅が狭くなり、いい塩梅に人の気配
も途絶えて来ました。
西能美島の海沿いを走る県道36号線の最西端を越えた所に山側へ入って行く道があり、ここを右折。ぐ
んぐん上って行くと次第に道路には落ち葉が散乱し、ガードレールも枯れ草で埋まって見えない位。
標高を上げていくにつれて時折道路には握り拳大の落石が散らばり、中には子供の頭ぐらいある岩もあ
るのが恐ろしいなあ。
さらに坂道を上って行くと、道端に『砲台山→600M』という看板を発見。かなり近い所まで来た様です。眼
下に見下ろす広島湾は波一つなく凪いでいて、浮かんだ小島の間を小さな漁船が白い航跡を引きながら進
んでいます。雲量はありますが青空も覗いており、今日はいい天気になりそう。
看板の→方向にある坂道を上がって行くと、目の前には三高山堡塁跡のある創造の森公園全体の案内
看板が。どうやら北側と南側に砲台跡が分かれている様ですが、まずは規模の大きそうな北部砲台跡へ行
ってみましょう。
この三高山堡塁跡は日露戦争がいよいよ避けられなくなった明治期に、バルチック艦隊の広島湾への侵
入を阻止する事を目的で築かれた西日本最大級の砲台だそうです。
幸いこの砲台が活躍する事なく日露戦争は終結しましたが、太平洋戦争中は砲台の代わりに探照灯が設
置されていたとの事。現在は公園の一部として保存されており、比較的足場もよく見学し易い戦争遺跡とな
っています。
道路の脇にはお洒落なログハウスがあり、管理事務所か何かかと思ったら公衆トイレでした。その隣には
防火水槽跡がありますが、コンクリ地面があるだけで水槽の跡型は見られません。よく見るとマンホールが
あるので、浄化槽かなにかとして地下が再利用しているのでしょうか。
広い駐車場に車を入れ、木製の案内標識に従って人気が全くない公園内を歩いて行くと、うわっ、あった、
これが三高山堡塁跡か!コンクリの床面を大きく丸く掘り込んであり、ここに28センチ榴弾砲が据え付けら
れていたんですね。穴の中には空き缶が入る様な小さな穴ぼこが沢山ありますが、これは巨大な榴弾砲を
ボルト留めした跡でしょうか?
その横にある小さな階段を下りて行くと、地下の砲側庫がありました。別の場所にある弾薬庫から運び出
した弾頭や装薬を一旦ここに移動して、砲撃時には隣の榴弾砲に装填するつもりだったんですね。本来は
頑丈な鉄の扉がついていた筈ですが、戦後復興時に鉄の国内価格が急騰した際に、何者かによって持ち
去られた様です。
蝶番ごと強引に引っぺがしたのか外観はかなり痛んで見えますが、内部はキレイなままで壁面もサラサラ
の手触り。天井部には換気のための小さな通風口があり、そこから入り込んだ雨水を排水する為の小さな
側溝もきちんとついています。
しかし何て言うんでしょうねえ、こうして誰も居ない遺跡の様な地下室に入っていると、ある筈のない重い鉄
の扉が背後でガシャーンと閉まる音が響く様な、ドキドキ感とザワザワ感がありますね。
コンクリートで固められた地面はかなり荒れ果てていて、所々樹木の根が盛り上がってコンクリートを割っ
ています。この時期はマムシの心配はありませんが、降り積もった落ち葉がこういった危険個所を隠してい
るので、足元に十分気をつけながら歩いて行きます。
左側にはもう一つ砲台跡があり、同じような砲側庫がありました。その隣には天井の低い小部屋があり、
ここが弾薬庫になっていた模様。うーん、雰囲気あるなあ。今日は日曜日なので、他の誰かがいるかも・・・
と思っていましたが人気は全くなく、遺跡散歩には素晴らしくいい塩梅です。
弾薬庫脇の階段を上がって行くと、少し高くなった所に観測所がありました。前方の視界は樹木で隠れて
いますが、日露戦争当時の砲兵さん達は、ここからいつ来るかもしれないロシアのバルチック艦隊を思い浮
かべていたのでしょうか。中央部にはレンガを積み重ねた丸い台がありますが、これは探照灯か測距儀で
も置いてあったのかなあ。
観測所の周囲をぐるりと回り込み、先程の砲台跡を少し高い場所から撮影。途中に幅1mも無い尾根道
みたいな場所があり、足を滑らせると15m位下の駐車場にまっさかさまなのでちょっと緊張。少し前に降っ
た雨のせいか、濡れ落ち葉が滑りやすい状態なのも要注意です。
少し高い場所から見た砲台跡は色とりどりの落ち葉に埋もれるようになっていて、何だかメルヘンな雰囲
気ですね。もうちょっと陽が高くなると、もっとキレイに見えるかも。
北側にある砲台の前には説明板があり、砲側庫の隣には小さな部屋がありましたが、こちらは先程の弾
薬庫よりも大きいなあ。ボロボロながらも入口はレンガ造りで、休憩所か待機所になっていたのでしょうか。
その横の階段を上がると先程と同じような観測所がありますが、こちらは観測所の外側を回り込んでいる
塹壕の様な通路があります。肩幅ギリギリの狭い通路なので、何らかの作業には不向きですが、何の為の
通路だったんだろう。
一番北側の砲台の奥には長い下りの階段があり、降りた所には地下兵舎が2つ並んでいました。内部は
やや痛んでいるものの結構広く、小学校の教室位はあるでしょうか。2つ並んだ兵舎は奥の方で連結されて
いて、なかなか使い勝手が良さそう。中央部にはコンクリの枠の跡がありましたが、かまどか何かがあった
のでしょうか。
ちなみに兵舎の向こうにも小さな地下スペースがあり、そこには動力盤がありました。何でこんな所に?ボ
イラーか何かの配管もありますが、はて、この辺に電力が要りそうなものは一つも無いのですが・・・。
また兵舎の前のレンガ造りの壁には、
『あぶない!壁に寄り掛からないでください』
との注意書きが。壁自体がモロに傾いている上に大きなひび割れもあるので、これに寄りかかるのは勇気
が要りそう。
地下兵舎の向こうには、炊事場とトイレの跡が。炊事場はまだかまどの形が分かりますが、その他はレン
ガが崩れている上に雑草と落ち葉に埋もれ、もう土に還る寸前ですね。
さらに奥の方には林内作業所がありますが、これは戦争遺跡でも何でもない新しい建物で、雨どいも入口
のランプも新品。さっきの動力盤はこのためだったのか。
林内作業所周囲は見晴らしのいい高台になっていて、眼下の三高港を含め小島の浮かぶ広島湾を一望
できます。少しモヤってはいますが、牡蠣の養殖いかだが沢山浮かんだ実に平和でいい風景。
先ほど降りて来た階段の奥にある穏やかな山道を下って行くと、ここにも落ち葉に埋もれた建物の痕跡が。
案内板には無かった建物跡ですが、なんだったんでしょう。
その後は駐車場を通って南部砲台跡へ向かいます。こちらは北部砲台跡ほど整備されておらず、完全な
山道ですね。とは言え、落ち葉の堆積した道には重機か何かが通った跡があって、歩きづらいなあ。坂を上
ったところには先程と同じようなレンガとコンクリの跡がありましたが、これも炊事場か何かかな?その割に
は火で痛んだ跡も無いし、トイレの個室にしては小さすぎる様な・・・。
そこから先は道が二手に分かれていて、秘境の香りがしそうな右手に向かいます。雑草に埋まりかけた石
積みの壁がずっと続いていますが、膝の高さ位しかないので、塹壕にしては変だなあ。単に砲台周囲を回る
道だったのでしょうか。
しばらく歩くと少し広い道に出ましたが、こちらは北部砲台跡とは違って鬱蒼たる山の中。湿った腐葉土の
香りが漂ってきて、なかなかいい感じ。森林に飲み込まれた古代文明の遺跡を探している気分です。
どんどん荒れ果てて行く山道を進んで行くと、南部砲台跡に到着。ああ、さっきのY字路を左に行けばすぐ
ここだったんですね。結局砲台の外周をぐるりと回って、元の場所に戻った形です。
南部砲台跡は北部よりも地形が複雑で、なんかドキドキするなあ。まずは地下の兵舎を見る為に階段を
下りて行きますが、うーん、何だこりゃ。兵舎の前には四角い生簀の様な水槽が3つ並んでいて、防火水槽
か何かだったんでしょうか。水面には不気味な油膜が張っていて、怪しい事この上無し。
おっと危ない!よく見ると落ち葉で埋もれた足元にもぽっかりと水槽が穴を開けていて、中途半端に被せ
てある石のフタを踏み抜くところでした。ヘタしたら骨折位はしたかもしれないなあ。そういう意味では、こう
いった遺跡探訪は単独ではやらない方がいいのかもしれません。
北部砲台の地下兵舎もそうでしたが、ここもさすがに造りはしっかりしています。広島湾に押し寄せるロシ
ア艦隊を迎え撃つと言う事は、当然反撃をくらう事も想定しての事でしょうから、この地下兵舎も防空壕的
な意味を含めて、相当頑丈に造られている模様です。
兵舎隣の階段を上がると、砲台跡らしき広場に出ました。すぐ隣には砲側庫もあるので間違いなさそうで
すが、地がは腐葉土に埋め尽くされて丸い砲台の跡は見られません。
それにしても昔この砲台にいた人達は、どんな思いで日々を過ごしていたんでしょうか。水平線の彼方に、
やがてやって来るであろうバルチック艦隊の姿を思い浮かべたり、目の前で空襲を受けて燃え上がる呉の
街を、ただ成す術なく茫然と眺めていたのでしょうか。
それでもここで沢山の砲兵さん達が顔を突き合わせて飯を炊き、顔を洗い、ヒマな時には花札のひとつも
楽しんでいたのかもしれません。当然馬鹿な話や助平な話で盛り上がった事もあったでしょうし、酔った勢い
で殴り合いのケンカの一つもしていたかもしれません。
目を閉じて耳を澄ませても、聞こえてくるのは遠くで鳴いているかすかな鳥の声ぐらいですが、今から想像
しても相当辛かったであろう時代でも、その当時生きていた人達にとってはそれなりに大笑いしたり噴き出し
たりした事もあったんだろうなあ・・・なんて事を、ぼんやりと考えていました。
南部砲台跡は地形が複雑な分規模は小さく、これで一通り見て回った様ですね。いやあ三高山堡塁跡、
比較的交通の便がよく整備の行きとどいた戦争遺跡だとは聞いていましたが、なかなかどうしてかなりグッ
と来ました。ここから目と鼻の先にももう一つ戦争遺跡があるのですが、予想以上に三高山堡跡が素晴ら
しく、時間をかなり使ってしまったのでそろそろタイムアウトです。また次に訪れた時のお楽しみにとって置
きましょう。
その後は呉市内に戻って昼食を摂り、自衛隊桟橋で行われる護衛艦あぶくまの一般公開に向かいます。
途中音戸の瀬戸の手前にて連休らしい渋滞に巻き込まれましたが、11時過ぎに潜水艦桟橋前に到着。
おお、すっきりと晴れて潜水艦も護衛艦も昨日よりもいい色ですね。潜水艦を眺める事の出来るアレイか
らすこじまという遊歩道では、中学生ぐらいの地元の子供達が釣りに興じていますが、この辺では潜水艦な
んか珍しくもなんともないのか、まるで気にしていない様です。
まだ時間には十分余裕があるので、アレイからすこじまの端にあるクレーンを見に行きます。この辺りは
戦時中は呉海軍工廠の本部になっていて、このクレーンで海軍艦艇に魚雷などを積み込んでいたとの事。
終戦直前に呉一帯はアメリカ軍の激しい空襲に晒されましたが、このクレーンは奇跡的に無傷で生き残り、
戦後は復興のために最後まで働き続けたそうです。
そういった歴史背景を知らなくても、何とも言えない雰囲気を漂わせていますね、このクレーン。長年潮風
を浴びてボロボロですが、このグリスとサビとペンキの匂いが漂ってくる様なメカっぽさが堪りません。中に
入る事が出来るみたいなので、ちょっと覗いてみましょう。
うーん、この歯車だのハンドルだのチェーンだのモーターだの、もう素晴らし過ぎて涙が出そう。ちなみに
操作室の床の鉄板はかなり痛んでいるので、見学時は注意が必要です。しかしこの痛み加減を見ると、そ
う遠くないうちに内部の立入禁止やクレーン自体の撤去も考えられますね。後になって、あの時見ておいて
良かったと思う日も来るのでしょうか・・・。
そうりゅう型の後方に停泊しているおやしお型潜水艦ですが、よく見ると全身牡蠣殻だらけになってます。
この後はドック入りしてキレイにして貰えるのかもしれませんが、相当長期間深海に息をひそめて任務にあ
たっていたんだろうなあ。乗組員の方々ともども、ゆっくりと疲れを癒して貰いたいものです。
あと、潜水艦桟橋の手前に係留されていたこれは一体何なんでしょう。見たところ、艦艇の支援のために
使われる浮桟橋の一部の様ですが、下半分が赤く塗られていますし喫水の数字もありますし、これ自体が
船になって何かを運んだりするのでしょうか?殆ど弁当箱の様な船とも思えない形状ですが、フレームつき
の天幕もあるし、甲板から逆U字型に突き出た換気口もあるし、若干艦尾に向かって傾斜しているところを
見ると、主機も搭載されているのでしょうか?うーん、よく分かりません。
光線状態のいいそうりゅう型を思う存分撮影した後は、いよいよJR呉駅前にてお昼ご飯です。朝はコンビ
ニのおにぎりをパクついただけなので、いい具合にお腹が減りました。
という訳で、JR呉駅ビル1Fのお好み焼き『徳次郎』さんへ。ここは前回来た時も食べたのですが、美味し
かったんですよねえ。
カウンター席で徳次郎スペシャルを注文し、焼き上がって行く様子を眺めます。店員さんがコテを操るたび
にかなりの重量がありそうなカウンター席全体が微妙に揺れ、見た目よりも遥かに重労働なんだろうなあ。
しばらくして出て来た徳次郎スペシャルですが、やっぱり広島風のお好み焼きは美味しいですねえ。地元
大阪風のどっしりした重量感も捨て難いですが、広島風は野菜が多いのでとても軽やかでジューシー。ボリ
ュームは凄いですが胃腸にも優しく、実に満足のできる味わいでした。
さてお腹も一杯になった所で、この後は自衛隊桟橋へ向かいます。正門から車を乗り入れて駐車場に預
けた後は、徒歩で大きいほうの桟橋へ移動。以前は小さいほうの桟橋で一般公開が行われていましたが、
こっちへ来るのは初めてだなあ。歩いて行った先には厚生センターの建物があり、目の前には長大な桟橋
に停泊している護衛艦の群れが!おおお、これだけまとまった数を見ると、流石に迫力が違いますね。ここ
で一般公開開始の1300まで少し時間を潰しますが、案内係の隊員さんは護衛艦をバックに記念撮影をせが
まれていて忙しそう。ちゃんと笑顔で丁寧に対応しているのが立派です。
目の前にはあぶくま型護衛艦が2隻とあさぎり型、むらさめ型が1隻ずつ。隣の桟橋にはたかなみ型が
1隻とあと練習艦かしま、護衛艦いせとおおすみ型輸送艦がいますね。それにしても、かしまも十分立派
なサイズですが、それを完全に飲み込む様な護衛艦いせの巨大さが改めて凄いなあ。
という訳で1300、本日の公開艦である護衛艦あぶくまに乗艦開始。この時点で埠頭には長蛇の列が出
来ていて、2〜300人位はいるんじゃないでしょうか。これでは急いで乗艦しても人の頭しか撮影できそう
にないので、ここは敢えてタイミングをずらして最初に乗り込んだ人たちが帰り始めてから乗艦する事に。
しばらく桟橋から他の護衛艦を眺めていたのですが、よく見ると停泊している護衛艦うみぎりの右舷ファラ
ンクスに、青いツナギを着た隊員さんがへばりついています。どうやら定期的な整備作業らしく、オバQの様
なレーダードームをキュッキュと拭いていますが、あの人命綱とかつけてないんじゃ・・・。
桟橋からはかなりの高さがあり、ちょっと足を滑らせると大変なことになりそうですが、怖くないのかなあ。
しばらく時間を潰していると、乗艦者の群れは後甲板にまで移動していて、前甲板は随分空いて来ました。
では、そろそろ私も乗艦させて頂きましょう。
隊員さんの敬礼に会釈しながらラッタルを上がり、左舷通路から前甲板に出ます。うーん、基準排水量で
2000トンというすっきりほっそりな艦ゆえか、小さな76o速射砲が大きく見えますね。
隣にいる護衛艦せんだいの76o速射砲の前には、なにやらモワモワした茶色いものが置いてあります。
まるでテングサを干しているみたいですが、あれは一体?
隊員さんに尋ねてみると、どうやらあれは76o速射砲の発射時に飛び出してくる空薬莢が、甲板を傷つけ
ない様にあらかじめ敷いておくクッション材だそうです。そう言えば、夏に姫路港で見た護衛艦はるゆきの前
甲板には、まるで巨大な深海イカと戦ったかの様な丸い傷跡が沢山ついていたなあ。
その後は艦中央部のアスロック発射機へ。このアスロックを発射すると、周囲はロケット噴射で煤だらけ
になってしまうので、近くにあるクレーンや三連装短魚雷発射管にはちゃんと防御壁が作られています。実
際にこのあぶくまはつい先日実射訓練を行ったばかりらしく、甲板には塗装をやり直した跡がくっきりと残っ
ていました。
ちなみに煙突の隣にあったこれが、訓練で使用される模擬標的の入っているキャニスター。潜水艦のスク
リューそっくりの音を発しながら水中を進む魚雷の一種で、その音を水中ソナーで探知して、アスロックを発
射するとの事です。
後甲板には、艦尾の護りを一手に引き受けるファランクスが、まるで胸を張るかのように立ちふさがってい
ます。台座の部分には巨大な免震ゴムがかまされていて、この辺りはビルの免震装置と基本的に一緒なん
ですね。
残念ながら艦内の公開は無く、以上で護衛艦あぶくまの見学は終了。ふと見ると、桟橋には護衛艦あぶく
ま搭載の折り畳み自転車が2台止めてありました。しかしこれ、あちこちサビサビだなあ。金曜カレーを食べ
させてくれたら、キレイにして差し上げるんですけど(笑)。
ちなみにこの桟橋のすぐ隣には米軍の弾薬貯蔵関連の施設があるのですが、お休みの今日は施設内に
陽気なクリスマスソングが鳴り響き、サンタやトナカイの飾り付けが見えました。いやあ、やはり海自とは随
分雰囲気が違うなあ。このフェンスの向こうは合衆国ですからね。
最後は駐車場から、輸送艦くにさきと護衛艦いせを撮影です。実にいい天気ですが、昨日もこれ位晴れて
いてくれればなあ(泣)。まあ、また次のお楽しみという事にしておきましょう。
ふと見ると、桟橋の片隅には潜水艦の姿が。周囲に人影が無く国旗も自衛艦旗も掲げていないと言う事
は、近いうちに用廃処分となる潜水艦なんでしょうか。最新のそうりゅう型潜水艦が次々と誕生して装備の
更新が進む一方で、こうして任務を全うし、国防の最前線から静かに退いて行く艦もあるのですね。
何と言う名前の潜水艦かは分かりませんが、これまで本当にごくろうさまでした。あなたが育て、苦楽を共
にしてきた数多くのサブマリナー達は、今も他の艦や違う部署で日々の職責を立派に果たしている事でしょ
う。本当に今の今までごくろうさまでした。私は自衛官ではないので、心の中で敬礼。
最後は少ししんみりとした気分になってしまいましたが、最後の最後にこの潜水艦を見る事が出来て、そ
れだけでも呉に来た甲斐があった様な気がします。
潜水艦を見て、海軍兵学校を見て、てつのくじら館を見て、神原湯を見て、三高山堡塁跡を見て、護衛艦
あぶくまを見て、最後は表舞台から姿を消す潜水艦を見送る。今年最後のイベントに呉江田島遠征を持っ
てきてよかったなあ・・・と思いつつ、帰りの高速道路を大阪に向けて車を走らせました。
さて、以上で2012年の私のイベント参加は全て終了です。観艦式こそ外してしまいましたが、何だかんだ
で結構あちこち見て回る事が出来ましたね。それもこれも当S.A.Sを温かい目で応援し、ご理解頂いている
皆様のお陰であります。しばらくはシーズンオフとなりますが、来年も色んなイベントで色んな発見を、皆様と
共有する事が出来れば幸いです。
それにしても、今年は戦闘糧食関連の更新があまりはかどりませんでしたねえ。チマチマ食べているので
レポートも随分溜まっています。入手したまま手をつけていない糧食もありますし、シーズンオフは時間の許
す限り、こちらの更新を進めていきたいと思います。
このレポートを上げる直前にはようやく政権が交代し、これからは前政権の間に失われた沢山のものを取
り戻すべく、新たに仕切り直しとなりました。その中には憲法改正と自衛隊の国防軍への改編という項目も
含まれていますが、名前や呼び方だけが変わるのではなく、それに伴ってきちんと責務を果たす事が出来
るだけの予算と隊員さんの身分の保障、なによりも軍人としての社会的地位、名誉の確立といった事につ
いても、しっかりと考えて頂きたいものです。
海外派遣や大きな災害派遣等が重なりただでさえ仕事が増える一方なのに、必要な訓練を行うための人
員や予算までもが当たり前の様に削られ、その上で名前のみの変更が先行し、現場の負担だけがただた
だ重くなっていく・・・そんな事では絶対にいけません。
その一方で、全国各地で行われているイベントに訪れる人達が劇的に増えているのは、とてもいい兆候だ
と思います。どの様な感想を持たれるかは見る人によって様々ですが、多くの国民が自衛隊を頼りにし、支
持している事が隊員さん達に伝わればいいですね。私も自衛隊を応援しているように見せかけて、来年もよ
り一層下らないHP運営に日々邁進して行きたいと思います(あっ、逆!逆!!)。
という訳で、今年ももう残り僅かとなりました。ご覧頂いている皆様、隊員の皆様、お体にはくれぐれも気を
つけて。よいお年をお迎えください。
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