■ Sさんの「痔日帰り手術療養記」                 平成25年2月28日
 

 <痔日帰り手術療養記>
 記録者:S 58才、男性、福生市在

 本編の記録者Sさんは、会社の早期退職優遇制度を利用し2012年10月末に退職。
 本編は、この際と考え彼が永年悩まされてきた痔の退治を決意し、手術治療の一部始終を赤裸々に綴った渾身の記録である。 ここにその一部始終を開陳して痔主でお悩みの皆さんに福音をもたらせられればとの思いから掲載するものである。 お暇な折にお読みいただければ幸いです。


            目   次
       
初診(平成24年11月5日 月曜日)
       事前準備
       手術当日(平成24年11月26日 月曜日)
       手術後初日(平成24年11月27日 火曜日)
       術後2日目から術後15日目までの日々の記録
       完治に至る経過の記録


■初診(11月5日月曜日)
ネットで探し当てた恵比寿駅前の東クリニックを訪れ、院長先生の診断を受ける。
ちなみに、通院で痔の診断を受けるときは、ズボンとパンツを下げて診察室の脇のベッドの上に壁向きに横になり膝を深く曲げてお尻を突き出す姿勢を取る。看護婦さんがかざしてくれるバスタオルの前で下半身裸になるのは最初はさすがに躊躇するが、慣れとは怖いもので2度目からは何とも思わなくなる。
院長先生は、見るからに、またお話を聞くからに、穏やかで、経験豊かで、説明もわかりやすく、安心してお任せできるという印象で、また、費用見積りも予想していたより格段に安い額だったので、元よりその積もりであったこともあり、迷うことなくその場で手術と決める。入院だと提携先の病院になり予約は年越し、日帰りだと当院ですぐにでもできるということだったので、今後の就職活動のことも考え、日帰り手術に決めて日程を予約。
執刀は院長先生にお願いし、手術予定日時は先生の予定のとれる日で11月26日15時と決まる。

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■事前準備
手術直後は、できれば近くのビジネスホテルにでも宿をとってそこから通院した方が楽ですよ、との先生の薦めもあり、ネットで探したところ、白金の北里研究所裏にあるウィークリーマンションが、クリニックから歩いて10分ほどと距離が近く、宿泊費も手頃で、何よりも長期滞在型宿泊施設のためケイタリングとかを一切気にせず、アパート感覚で連泊生活できるというところが魅力でそこと決め、余裕もみて3泊予約。
あとは手術当日を待つのみ。

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■手術当日(11月26日月曜日)
朝から雨。
予約していたウィークリーマンションに先にチェックインを済ませた後、15時少し前に東クリニックへ。 15時ちょっと過ぎまで待った後呼び出しを受け通路一番奥の手術室へ。
手術室は、畳1畳ほどの手術台の周りを、カーテンで目隠しした2組ほどの更衣用と休養用のブースが囲んでいるだけのシンプルな造りで、手術台がなければ一見更衣室のような外観。

看護婦さんの指示に従って、更衣ブースで下半身すっぽんぽんになり、手術用のガウンに着替えた後、手術台にうつぶせになり、下腹部に腰枕を当ててお尻を浮かせる格好をとらされる。

そのままの姿勢で、右腕の静脈に注射針を刺して点滴をセットし、次に尾?骨の上あたりに麻酔注射を打たれて手術の開始を待つ。 点滴薬の影響か麻酔の影響か、意識はあるもののうとうとしている状態で、先生がいつ来られていつ手術が開始されたのか覚えがない。「終わりましたよ。」という看護婦さんの呼びかけに(え、もう終わったの?)という感じで意識が戻ったが、ほんとうにあっという間に終わったという感じだった。

「切り取ったのを見ますか?」と看護婦さんが言うので、怖いもの見たさに「見ます。」といって、手術台にうつ伏せのまま目の前で間近に見せてもらう。

ステンレス製の小さな角皿の上に、手の指を第二関節あたりから切断したのとちょうど同じくらいの太さと長さの赤黒い不気味な肉の塊りが3つごろりと転がっていて、想像以上の大きさにぎょっとする。いまさらだが、これだけのものを切り取る手術をして、日帰りで本当に大丈夫だろうかと不安がよぎる。(ままよ、何とかなるさ。)

その後、「足がふらつくから気を付けて。」と気遣う看護婦さんに支えられながら手術台から降り、すぐ横の休養用のブースへ移動し、リクライニングシートで横になって安静休養。

それほど時間を置かず、次の患者さんが続けて入ってきたらしいのがカーテン越しに聞こえる会話でわかる。今度の患者さんはどうやら女性らしい。看護婦さんの指示に、短く「はい」「はい」と不安そうにか細く返事している声からすると比較的若い女性か。「ショーツも脱いでくださいね。」と指示されているのも聞こえてきて、つい先ほどの自分のことを思い出し想像して何だかおかしくなる。 カーテン越しに聞こえてくる看護婦さんと患者さんの会話から、小生のときと同じように手術台にうつぶせになり点滴をセットされている様子なども手に取るようにわかる。「終わ りましたよ。」と看護婦に告げられて患者の女性が「えっ?」と驚いて反応しているのもまるきり同じだ。

この患者さんが手術を終えて別の休養ブースに入ったと同じ頃合に、看護婦さんの指示で休養ブースを出て、更衣ブースで着替えを済ませ、受付待合に戻ったのは16時30分頃だったろうか。

待合コーナーのソファーには、いかにも肛門や腸の専門の医院らしく、ごくふつうのクッションのほかにドーナツ型のクッションもいくつか置いてある。ほかの患者もいるが、恥ずかしさなど忘れてそのひとつを取り寄せ、お尻の下にそっとあてがい会計を待つ。 待っている間に女性の事務員の方が紅茶とクッキーを持ってきてくれた。日帰り手術を受けた人だけの特別サービスらしい。ありがたくいただく。

しばらくして、女性の患者さんが奥の方からそろりそろりと戻ってきて、同じソファーの列の少し離れた位置に座った。その人にも小生と同じように紅茶とクッキーが出てきたのをみると、この人が小生の次に手術を受けた人らしい。何となく仲間意識を覚えて、「ご苦労様」と声をかけてあげたい気持ちになったが、さすがに異性だし、怪しく思われてもいけないので、心の内にとどめることにした。

会計は、手術代に、7種類の薬と交換用ガーゼ2カートンを入れて締めて2万と千円とちょっと。驚くほど良心的な値段にびっくりするやらありがたいやら。

会計を済ませた後はまっすぐ今夜の宿のウィークリーマンションへ。
クリニックと宿の間はほぼ直線の道のりで、歩いても10分ほどの距離だが、路線バスが短い間隔で運行しているので、大事をとってそちらを利用。

夕食は妻が持たせてくれたおにぎりとソーセージとカップラーメンがあったので、翌日の朝と昼の食事用に、宿のそばのバス停前のコンビニで、牛乳とサンドと弁当を購入して宿に戻る。

手術が終わった後、痛み止めの薬を2錠もらって服用してはいたものの、3箇所にメスを入れてあれだけの大きさのものを切り取っただけあって、局部の鈍い疼くような痛みはずっと治まらず。

一日宿にいては退屈だろうし、余裕の時間もずいぶんあるだろうと事前予想して、読書や年明けの資格試験準備用に本やテキストを持参していたが、肉体的にも気分的にも、余裕どころか一切何をする気にもならない。宿に戻ってからは、大して観たくもないTVを、チャンネルを頻繁に変えながら観るともなく観てずっとベッドで過ごす。これだけ見れば、宿での生活も入院生活と実質ほとんど変わらない。

夜になり寝る時間になっても、患部の痛みに加えて、恐らく興奮状態で神経も高ぶったままなのだろう、目が冴えて全然寝付けない。それでも途中何度かうとうととはしたが、 結局最初の夜は睡眠らしい睡眠はほとんどできず。

この日は、朝はふつうに食事をしたが昼食は抜き、昼時に浣腸して腸の中をきれいにしてから手術に臨んだので、トイレに立っても大の方は出ず小のみちょろちょろという程度だが、ろくに眠れないからしょっちゅう目を覚ましては小用に立つ。

患部には手術後の処置でガーゼを当ててあるが、肛門部に何か詰まっているような違和感があり気になるので、小用に立ったとき、恐る恐るガーゼの内側に指を差し入れて肛門の出口辺りを触って確かめてみたところ、止血用だろうか、ガーゼのようなものが丸めて詰め込んである。いまはまだよいが、もし明日の通院前に便意を催したら、そのままうんちと一緒にトイレに流してしまう訳にもいかないから、そのときは、仕方がないから自分で肛門から抜き取って用足ししなきゃいけないのだろうか。傷だらけの肛門から無理矢理抜き取るなど、考えただけでも身震いがする。

想像するのも恐ろしいので、翌日の通院までは便意を催さないようひたすら祈り、あすは朝一番で通院しようと心に決める。

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■手術後初日(11月27日火曜日)
願いも空しく明け方強烈に便意を催し、いまにも漏れそうなので大慌てで寝間着の浴衣を脱ぎ捨てパンツひとつになってトイレに駆け込む。

排便の前に、患部に当ててあったガーゼをそそくさと取ると、幸いにも、肛門に詰め込んであったガーゼが血を吸ってどす黒い塊まりみたくなって自然脱落。自分で抜き取らなくて済んでほっと胸を撫で下ろす。

便は下痢便のような柔らかい便で、傷口に染みてその痛いこと甚だしい。痛む肛門にトイレットペーパーをそっと押し当てるようにして恐る恐る拭く。次は患部を清潔にしないといけないのだが、宿のトイレは生憎ウォッシュレット式ではなかったものだから、狭苦しいユニットの中で窮屈な思いをしながら裸のまま隣りのバスタブに体を移動し、シャワーを適温に調節してからしゃがんで患部をよく洗う。

思うに宿泊療養を選択するときは、ウォッシュレット式トイレは宿泊室に必須のアイテムである。後日自宅に帰ってからは、ウォッシュレットで患部の洗浄が楽にできるのでトイレの後いちいち浴室に駆け込む必要がなく、このときばかりはウォッシュレットの有難さを身に染みて感じたものである。実に偉大な製品である。きっと同じように痔を患った人が身に詰まされながら開発したものに違いない。

バスタブから出た後は、2枚重ねたガーゼを患部に当てて落ちないようサージカルテープで固定する。
小生、下着はふだんはトランクス派だが、ガーゼを当てている上からはブリーフの方が押さえが利き安定して按配よいと考え今回は用意してきたブリーフを着用。さらに、下着やパジャマや寝具を汚さないよう、妻に頼んで用意してもらった女性用のナプキンも装着して万全を期す。

そんなこんなで朝からバタバタと慌しいときを過ごし、診察開始時間の9時を待ちかねたように宿を出る。
先生に排便はあったかと聞かれたので、下痢みたいな柔らかいやつですけど一応ありました、と答えると先生にこりとして、順調です、今日から入浴解禁、患部はいつも清潔にして、できれば腰湯で日に何度か下半身をよく暖めてください、とのこと。 手術後まずお通じがあることが順調な回復の第一歩ということらしい。 イチジク浣腸様の座薬も追加でもらう。 通院を終えてまっすぐ宿に帰る。

宿に帰ってから下痢がひどくなる。肛門の傷口の痛みと弛みでただでさえ制御が利かないから、下痢を催すと、大慌てでズボンとパンツを脱いで下半身裸になり、新しいガーゼをつまんでトイレに駆け込む。肛門にはガーゼが当ててあってそのままでは排便できないから、大慌てで剥がして便座にしゃがみこむ。こうしている途中にも、ちびちび漏れ出してきて、もう気が気ではない。

用を足した後はバスタブに移動してシャワーで清潔に洗い、痛みがひどいときは暖まると楽になるのでそのまま湯を張って腰湯を使う。痛みがなかなか退かないときは、さらに湯を張り足して入浴することも。その後は前述と同じ要領で、トイレ・バスから出て患部にガーゼを当てる。

トイレに立つ度にこの繰り返しで、おまけに下痢が治まらず、しょっちゅうベッドとトイレ・バスの往復で気の休まる暇もない。痛みはひどいし、バスにしゃがんでシャワーでお尻を洗ったり、出てきて下半身裸のまま蟹股になってガーゼを当てているときの格好たるや・・・・・我ながら惨めで哀れで、日帰り手術などずいぶん無謀な選択をしたものだと、このときばかりはつくづくと後悔したものである。

しかしながら、入院したらしたで、毎回の下の世話やガーゼの処置まですべて看護婦さんがやってくれる訳ではなかろうから、結局は自分でやることになるのだろう。それに病室にトイレはないから、廊下を渡ってトイレまでの行き帰りも、小生のように下痢など重なったらそれはたいへんだ。おまけに、トイレまで行って使用中だったりしたら目も当てられない。 それを考えると、こうして個室で宿をとった方が、誰にも気兼ね遠慮なく自分の世話だけに没頭できるし、部屋の中ですべてが完結するので、そういう点ではむしろ楽かもしれない。

入院、日帰り、どちらも一長一短あるが、ただし日帰りで一番困るのは、ひどい出血とか、激痛とか、その他事態急変のときだ。こればかりは宿の部屋に独りでいると心細いことこの上ない。もしこの瞬間大地震に襲われでもしたら、地震の直接の被害では死なずに済んだとしても、見ず知らずの場所での避難生活の中で、患部の処置を十分にできずに感染症とかに罹ってしまって、手当ても十分受けられないまま病態が悪化して惨めな死に方をするなんてことになるかもしれない。数日前東北北関東が震度5弱で揺れた直後なのでそんな不吉な想像も浮かんできたりする。「地震の避難生活の最中に痔が原因で死にました」なんてあまりにも惨め過ぎる。

この悲惨な状況から脱け出すために、せめて下痢だけでも治まってくれればと思い、薬に一緒に付いていた効能書きをひとつひとつ丁寧に読んで確かめてみたところ、7種類ある薬のうち「カマグ」何とかという白い粉薬がどうも便を柔らかくする効能があるらしいことがわかったので、夕食時からこれだけ服用を止めてみることにする。

ところで、宿にしたウィークリーマンションは、IH調理機や最低限の調理道具、食器を備えてあって、簡単な自炊ならできるようになっている。手術後初日の状態は前述の通りたいへんな状態ではあったが、それでも午後ともなると、大方は様子もつかめて多少は心の余裕も出てきたので、折角だから自炊をやってみようと思い立つ。 フロントから丼と皿を借用し(鍋、やかんは部屋に備え付け)、夕刻、下の状態がいくらか落ち着いた合間を縫ってすぐ近くのコンビニまで買出しに出る。

おあつらえ向きに、すぐ近くのローソンに、コンビニには珍しく、肉や野菜、果物類を 独身・単身者にお手ごろな量と価格で品揃えして置いてある。あと2泊しかしないのに醤油や塩など調味料まで一式買い揃えるのは無駄だなと思いながら陳列棚を物色していたら、簡単にできるうどんの関西風出しの素のパック入りがあったので、夕食はうどんと決めて食材を購入。

かくして、夕食には手作りの関西風味の肉うどん(うどん2玉に、具は豚肉、小松菜、細ねぎ)を食す。 惨めな単身療養生活の中にも、こうしてちょっぴり創造的?な営みを取り入れることで、気が紛れていくらか心の余裕も生れてくる。大事なことだ。

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■2日日(11月28日水曜日)
この日は通院せず1日宿で過ごす。
前の晩から便を柔らかくする薬の服用を止めたお蔭か、下痢はだいぶ治まってきた。が、排便時、便が1度で出きらず何度か小出しになるため、立て続けに何回もトイレに通う状態が続き大いに閉口。なにせ、トイレ通いの度に、痛い思いをするのはもちろん、洗浄(あまり痛いときは腰湯か入浴)、ガーゼ当てという、憂鬱かつ面倒な一連の所作を繰り返さなければならない。

そんなトイレ通いの合間を縫って、午前中またローソンに買出しに出て昼食と夕食の食材を購入。 前日購入したうどんの出しの素が残っているので、お昼もうどんにする(うどん1玉、鶏肉、小松菜、太ねぎ、細ねぎ、えのき)。それだけでは淋しいので、ローソンで100円で売っていた焼き芋を買ってきてごはん代わりにする。

宿泊生活最後の晩餐は、レンジで暖めたインスタントごはんに、メインディシュは、鶏肉に太ねぎ、えのき、細ねぎにトマトを、うどん用の関西風出しの素でことこと煮た肉野菜スープをいただく。

■3日目(11月29日木曜日)
ウィークリーマンション療養生活も今日で終了。
マンションを10時前にチェックアウトしてその足で手術後2回目の通院。
先生は院長先生とは別の方だった。院長先生は、NTT総合病院に出張診療もされていると聞いていたから今日はその日か。 経過は順調とのこと。そういわれれば、まだ3日目だが、手術直後の悲惨な状態からと比べると確かに格段に楽にはなってきている気はする。傷は縫ってあるのか聞いてみると、内側の方は縫ってあるが、外側は縫い目に汚物が溜まってそこから雑菌が入り化膿することもあるので、敢えて縫わずにルーズにしておくのが一般とのこと。道理で激しく沁みる訳だ。抜糸するのか聞くと、自然に溶けてしまう糸を使用しているのでその心配はしなくていいとのこと。安心する。

通院後山手線、中央線、青梅線と電車を乗り継いで福生の自宅へ帰宅。
妻に事前に連絡しておいた通り、自宅療養生活に入っても、症状や生活パターンが安定して落ち着いてくるまでは、寝室を別にした方がよかろうとの考えから、空き室になっている息子の部屋に寝具を移してもらい、そこを当分の間自宅療養の場とすることにする。

■4日目(11月30日金曜)
排便は回数が減り朝と夜の2回になったが、痛みでいきめない所為もあってか1度では出きらず、しばらく間を置いて2度、3度とトイレ通いしなければならない。その度に傷口が染みて痛んで苦痛。

毎度ガーゼを当てる処置も相変わらず面倒で、排便後しばらくは痛みも続き、痛みが治まらない間はいつまた便意を催すかもしれないという不安もあって動きがとれず、ふつうの生活にはなかなか戻れない。 1回の排便が1度で完全に済むようになるだけでもずいぶん楽になるのだが・・・。

■5日目(12月1日土曜日)
朝排便。全部出切るのに2度トイレ通い。傷口の痛みと滲血のため、大事をとり午前中ずっとベッドで横になる。
午後は医療保険請求の封筒を投函するため近くの郵便局まで外出、帰りは若干遠回りして軽くウォーキング(というより散歩)。この間ずっと大事をとっていたので、自宅に帰ってからは初めての外出・ウォーキング。陽の光がまぶしい。

■6日目(12月2日日曜日)
そろそろふだんの生活に戻していくべく、朝は6時半前に起床しラジオ体操の後朝食。
部屋に戻ったらすぐ便意を催しトイレへ。1度では出きらず2度通う。 夜寝る前にも便意を催し排便。これは1度で済む。

排便時の傷口の痛みがひどい。ほかの症状がなくなってきたから相対的にそう感じるのか、それともこの時期の特徴的症状か判然せず。特に手術前脱肛が顕著だった部位の痛みがひどい。それだけメスも深く入って傷口も広く深いということかもしれない。

■7日目(12月3日月曜日)
朝7時頃排便。1度で済む。排便時の痛みは相変わらず。
午前、1週間目、3回目の通院。 経過は良好。飲み薬がなくなりイチジク浣腸タイプの座薬のみとなる。

次の通院は1週間後。 夜の排便は1度で済むも大き目の便が出て傷口が広がったか出血おびただし。その後の 疼痛も治まらないため、寝床に入ってからもなかなか寝付けず憂鬱。

■8日目(12月4日火曜日)
朝7時頃排便。1度で済む。だいぶ規則的になってきた。
昨夜からの疼痛は寝ている間に治まり、朝の排便後も多少の痛みはあるも前日に比べればだいぶ穏やか。 午後、ハローワークの説明会に外出。途中休憩10分あるも、3時間近く座りっぱなしはさすがにまだ辛い。

夜排便。1度で済む。いよいよ規則的になってきた。が、硬い便が出きらないで残っているような感触があり、恐る恐るいきんではみるが出ず。患部がまだ腫れていてそれが残便感をもたらすのではと推察したりしてみるが、確認しようもなし。 便が出ないのに無理にいきんだのがよくなかったか、排便後の鈍い疼痛は前日と同じで、この日もなかなか寝付けず。

■9日目(12月5日水曜日)
ふだんの生活パターンに戻ってきた。ただし、トイレは、以前は1日に朝だけ1回で済んでいたが、いまは朝と夜の2回になっている。まだ肛門がしっかり元通りになっていないので便の溜めが利かないということか。

今日は午前中、健保の手続きのため市役所に車で外出、その後1時間ほどゆっくりウォーキング、午後はケーズデンキへ車で買い物と急に活動量を増やしたところ、ケーズデンキで買い物の途中に急に便意を催し、家まではとてもがまんできそうにないので、トイレがウォッシュレット式であるのを確認の上、思い切ってそこで用を足す。こういうこともあろうかとガーゼを持参していたので、排便後はガーゼをお尻ではさむように押し当てて応急処置。まだナプキンも当てているので、万一ガーゼがずれても心配はない。

これで外出先でもウォッシュレット式のトイレさえあれば特に問題はないことが確認できた。

■10日目(12月6日木曜日)
朝の排便は2度通い。これで終わりかと思っていたら、3度目の便意がハローワークに出かける直前に催してきて大いに慌てる。 夜の排便は1度で済む。ただし残便感があり、出そうと思って相当いきんだので、鈍い 不快な疼痛が当分の間続く。

■11日目(12月7日金曜日)
朝と夜の2回排便。朝夜ともに1度で済む。
依然残便感あり。いきんだ後は鈍い疼痛が続く。 出血はほとんど治まってきた。

■12日目(12月8日土曜日)
朝6時半起床早々に便意催し排便。
朝食の後1時間ウォーキングして戻ったら便意を催し2度目のトイレ。依然残便感あり、鈍い疼痛も続く。残便感がずっと続いて治まらないので、3度目のトイレに入り思い切りいきんでみるが、柔らかい便がちょっぴり出ただけ。それでも硬い便が出口まで出掛かってそこで止まっていてもうひとがんばりすれば今にも出てきそうな感覚が局部にあるので、意を決して肛門の出口辺りを指で触れてみたところ、便と思わしきものが出かかっている様子はなく、肛門の粘膜の柔らかいぷっくりとした感触が感じられるのみ。

手術の傷が癒えきらず肛門の内側がまだ腫れあがった状態を、過敏になった局部の神経が便が肛門を圧迫しているように感じているのかもしれない。それなのに無理にいきむから傷口がますますうっ血して疼痛をひどくしているのかもしれない。 以上の推論の通りとすれば、無理にいきむのは却って治りを遅らせることになるので、次からは残便感があっても我慢していきむのは止めることにする。

夜の排便は1度で済み。残便感あるもいきむのを止めたら、排便後の鈍い疼痛はなくなりはしないものの、無理にいきんだときほどではないようだ。

■13日目(12月9日日曜日)
朝食後朝の排便。排便時の出血はほぼ治まってきた。
その後1時間ウォーキング。歩いている途中で肛門が沁みてきたので、帰ってから洗浄のためトイレに入り、便も出そうな感じなので少しいきんでみたが、朝の残便がほんのちょっぴり出ただけだったのでそれ以上いきむのは止める。

夜の排便でも依然残便感があり、しばらくして2度目のトイレに行くもほとんど出ず。いきむのは自重。しばらく軽い疼くような痛みと便が残っているような感じが続いたがだんだん治まる。

■14日目(12月10日月曜日)
朝排便。1度で済み。 排便後も肛門が少し沁みるので大事をとりウォーキングは中止。 午後は1週間ぶり4回目の通院。

家を出る直前(15時頃)に便意を催しこの日2回目の排便。
「ちょっと指を入れますよ」の言葉の後、先生が指を肛門の奥の方までぐいぐいと押し込んで何やら探っておられる様子。 以前、同じように痔の入院手術をした経験のある大先輩から、傷がふさがってきた頃に、傷口を整えるとかいって、肛門に指を押し込まれてぐりぐりと思い切りやられて、あまりの痛さに飛び上がるようだったという体験談を聞いていたので、先生の指が入って来たときは、(もしかしてこいつがそれか)と思わず身を硬くして構える。が、思ったよりあっさりと終わり、痛みもそれほどでもなかったのは幸いであった。

経過は至って順調、肛門の形もきれいに整っているとのことで、お酒も運動もぼちぼち始めて構わないとのこと。次の通院は2週間後でよいことになった。 ぐっと気が楽になる。2週間前の手術直後の修羅場が嘘のよう。

通院の後、大阪から出てきた大学時代の友人と二十数年振りに会って新宿で早速一杯やることに。ふだんならもう3、4杯いってしまうところだが、我慢してビール中ジョッキ1杯、芋焼酎お湯割り2杯に抑えておく。その後帰宅してからも特に問題なし。

■15日目(12月11日火曜日)
朝排便。するすると快便で残便感もなく1度で済む。
結構大量の便が出た割には出血もほとんどなし。昨日のお酒の影響も特になし。 自覚症状も、肛門外縁部の沁みるような痛痒い感じだけとなり、奥の方で疼くような痛みは消える。 夜10時ごろ排便。
<毎日の記録はこれにて終了>

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■18日目(12月13日木曜日)
朝の排便は質量ともに申し分なし。量が多かった所為かうっすら出血。 夜の排便もなくなり朝のみ1日1回。いよいよ手術前の生体リズムに戻ってきた感あり。

■23日目(12月18日火曜日)
滲出物がなくなったので昨晩からガーゼを当てるのを止め、パンツもブリーフを卒業し ふだんのトランクスに切り替え。 排便時の軽い痛みとその後の肛門外縁の痛痒感はまだ残ってはいるが日に日に軽減。

■1ヵ月後(12月25日火曜日)
午前、5回目の通院。
肛門の手術痕はほぼ完治したと思われるが、外縁の一ヵ所(4時方向)が炎症を起こしているみたいでひりひり染みるような痛みが去らないのでそのことを問診で先生に伝え実際に診てもらうと、やはり炎症を起こしていたようでその場で早速処置。

2回目の通院のときも確か説明を受けたが、切開して内痔核を除去した後の傷は肛門の内側は自然に溶ける糸で縫合するが、外側に面した切開傷の端の部分は、血液など傷口からの滲出物が傷の内部に溜まって雑菌と混じって炎症を起こしたりしないように、それらの排出口(ドレイン)として、あえて縫合せず開放のまま残しておくらしい。

治癒の順序として、内側の縫合した部分がまず先にふさがってから最後に外側のドレイン部分がふさがれば問題ないが、順番が逆になって、内側がふさがりきらないうちに外側の方が先にふさがり始めると排出口の役目を果たさなくなって、そこに雑菌とかが入り込んで炎症を起こすということがたまにあるらしい。小生のはそれだった。

それと縫合部分の糸が溶けきらずに少し残っていたようで、それも雑菌が繁殖し炎症を起こし易い環境を作っていたらしい。 思い起こすと、炎症を起こした部分は、手術前も脱肛が一番ひどかった部分で、その分痔核も大きく手術痕も深かったので、炎症を誘発しやすい条件が揃っていたということもあるのだろう。

処置としては、残っている糸を抜いてしまって傷口をきれいにした上で、外側のふさがりかけていた部分にもう一度メスを少し入れてドレインを再形成するというもの。 診断に続き、「痛いですががまんしてくださいね」とすぐ処置が始まったが、糸をつまんで引き抜くときのその痛いこと。思わず「痛てっ!」と声が出てしまった。

この処置もものの数十秒で終わり、ガーゼを当てて診断終了。
傷口の炎症がなければ今回で通院は最後の予定だったらしいが、結果として年明けもう一度通院することになった。 糸を抜いたり、メスを入れたりした後なので、しばらくはまた痛みや出血が続くものと覚悟していたが、午後になると痛みはすっかり消えてしまって、出血も夕方ガーゼを取り換える頃にはもう止まってしまっていた。 その夜は用心のためガーゼを当てて寝る。

■年明け通院(1月8日火曜日)
暮れに処置してもらった患部の炎症も完全によくなり、肛門の整形状態もまったく問題なしとのことで、術後経過診療終了のご託宣。 これにて一件落着。

万歳あぁぁい!万歳あぁぁい!

 
 

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