■ 「東日本大震災」に想う 平成23年4月6日 |
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3月11日に東日本を襲った大地震と大津波のあまりの過酷さに言葉を失い、今日までただひたすらに被災者の方へ同情を寄せるだけで精一杯、何も手につけることが出来なかった。 連日の報道にくぎ付けになり、この世のこととは思われない被災の状況を見せつけられるたびに、何か一言を記して自分を納得させようとか、被災された方々への激励にとかとの思いに駆られたが、自然の摂理に抗うことのできない虚しさには勝てず、金縛りの状況に陥りどうすることも出来なかったということである。 さらに言えば、その間の報道等に関して怒り心頭に発したり、貴い人命が救助されたことや、献身的な活動をされている方々のこと等に感動の涙をこぼしたりして、感情の起伏が毎日大きな変動を繰り返したこともあって、まともに頭の中を整理できるような状況ではなかったともいえる。 あれから3週間が過ぎ、ようやっと災害を直視できる平静な感情を取り戻すことができてきた。これからはこの災害への思いについて感じることを記していきたいと思っている。そしてそのことで、未曾有の国難への対応を我々自身が負っていくことを確認し、微力だが行動に移すことで子々孫々へ責務を果たしていければと思い上がっているところである。 少しばかり大上段に構えすぎているかもしれないが、私はこれまで生きてきた中で国への奉仕ということを真摯に考えたことがないのが実感である。まして国難ということ自体が、歴史の片隅に埋没してしまった言葉にしか思いつかないのが正直なところである。 ところが私は国難に2度遭遇している。1度目は先の大戦で空襲を受けたことである。もっとも私は6月に生まれたばかりの乳飲み子であったため全く覚えてはいない。そして2度目は福井大震災(国難とは言えないかも知れないが、私及び我が郷土にとっては国難であった)である。これも3歳の時であったために記憶はほとんどないに等しい。 記憶にはないが、私がここまで生きてこられたのは、奇跡の復興を成し遂げてきた我々の親や、そのまた親達の死に物狂いの献身的な行動、働きのお陰である。子供ながらに国が復興する過程で国難の悲惨さを味わったように思うが、長じて我が世代は国に対して何をしてきたのかと考えると忸怩たる思いがしてならない。 我々は彼らの引いたレールの上をただひたすらに走り、その恩恵を最大限享受してきただけなのではないか、そんな気がしてならないからである。だから今わが国が未曾有の国難に直面しているときに、我が世代が果たさなければならない役割は、我々が国難に 遭遇してきた中で見続けてきた親達の国の復興に向けた行動の一部始終を伝えるとともに、その行動を支えていくことであろう。 被災を受けた流れる画面の中に純真無垢な赤子の姿を見たときに、60数年前に起こった未曾有の国難に遭遇していた自分の姿を想像することができた。そして私達を何とか生かし続け、育てようとした当時の親達の気持ちがこの画面に映る親たちにダブって見えたとき、私はこの子供たちのために国難を克服する責務を果たさなければならないとの強い思いに駆られた。 2度にわたる国難に遭遇したが、私をここまで育て上げてくれたこの国の親たちに対する感謝の気持ちはとても言葉には言い表すことは出来ない。我欲に駆られ過ぎたきらいの生き方に明け暮れた我が人生も終盤の入り口に入ってきたが、今こそその恩に報わなければならないと思っている。それは純真無垢な赤子のために我欲を捨て、少しでもいいから復興に向けた意義のあることをしていきたいということである。 これからは我々も忙しくなっていくことだろう。そして我が世代の逃げ切りが許されないことを覚悟しなければならないことでもあろう。我々に日本人としての矜持が問われていると思う。 □ TOPへ戻る |