■ 「横浜市民ギャラリーニューアート展2010」に参加して 平成22年10月14日 |
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私は、この度2010年9月30から10月19日まで開催されているニューアート展「描く手と眼の快」にボランテイア活動の機会を与えて頂くこととなりました。 絵画という芸術には、作画をすることにも、鑑賞することにも全く縁遠かった私にとってはその入口の扉を叩くことさえ戸惑いの何ものでもなかったのです。そういった私が、何故大げさにもこのようなものを書き留める気になったのかといえば、このボランテイア活動を通じ、未だかつてない心を揺さぶる絵画の不思議な魅力に深い感動を覚えてしまったからにほかなりません。 そもそも、本ボランテイアに参加しようとしたきっかけは「横浜開港150周年記念博覧会」にボランテイア活動でご一緒したYさんからお勧めをいただき、芸術への関心を説いて頂いたからです。 全く無関心だった私にこのような仕事が務まるのか不安な気持ちを抑え難かったのですが、勧められるままに応募いたしました。ところが応募した後で「ニューアート」であることを知り、不安な気持ちにさらに拍車が掛ったことを告白しておきたいと思います。風景画や人物画というものが私の理解出来得る絵画芸術の全てであって、あえて失礼を顧みずに申し上げれば、線と点だけで構成された絵画に私の理解できる絵画芸術はなかったからであります。 不安な気持ちを払拭しきれないまま9月13日に事前研修を受けました。思えばこの日が、私に心を揺さぶる絵画の不思議な魅力を覚えさせる序章の幕開けを幇助した幸運な日となったように思います。斎藤さん(学芸員)のお話は無関心な私に目を開かせる魔力が漂っていたように思います。案内パンフレットに印された画だけからは感じ取ることが出来ないその絵画が示す作家の心情や意図等々、ゆったりとしたその語り口にどんどん引き釣り込まれてしまったのです。私の頭の中に変化が起こった瞬間でした。明らかに序章の幕開けは斎藤さんの絶妙な解説によってその幕が静かに切って落とされたのです。 そしてその日、「ハマーキッズ・アートクラブ」の事前研修にも参加させていただき、スタッフの方達と共に赤羽先生ご指導によるトレーニングを受けました。まさかニューアートともいうべき絵画を描かさられるとは思いもしませんでしたが、童心に還り無我夢中に絵具を塗りたくった2時間ばかりの時間がどれほど豊饒で、充実していたことか。それは、私に心を揺さぶる感動を芽生えさせる舞台の展開始動に、見えざる意図が与えてくれた貴重な時間であったように思います。 感動の舞台は9月29日の内覧会へと展開し、第二幕へ誘う(イザナウ)見えざる意図の導きを意識せざるを得ませんでした。それは、現物を目の当たりにしそこに佇んだ時に、作品からかつて覚えたことのない心の揺さぶりを感じたからです。私にとってはカオス以外の何ものでもない画面に何故圧倒されてしまうのか、茫然とたたずませ、呼吸することさえ忘却させかねないこれらの画面にくぎ付けとなってしまったことをどのように理解すべきなのか・・・。凡人の疑問は水面の小波(サザナミ)のように広がっていくばかりでした。 斎藤さんが、静かにしかも熱く、その作家の歩まれてきた足跡や画風への思い、聞きようによれば絵画を通じて表現を試みている作家の哲学というものについて解説をしてくれました。凡人の私の心にも響く分かりやすい解説になるほどと疑問が氷解していく思いがいたしました。さらに、見識豊富な先輩のボランテイアの方達からいろいろと語り掛けられ、絵画の見方を教示して頂いた時にその理解に一層拍車が掛り、今回ボランテイアでお手伝いする意義はもとより、絵画芸術を通じて人生を一層豊かにしていけるかもしれない、との小さな手応えをつかんだような気がいたしました。 勿論理解出来たといってもほんの表層の一部で、理解出来た内には入りませんが、私をその門の前に立たせ、扉を叩かせたことだけは紛れもなく、この幸運に巡り合えたことに心からの感謝を捧げるしかありません。正に、この日に第二幕が切って下されたのだと記憶にとどめることにしました。そして、さらに第三、第四の幕開けがあることを予感していた自分がいたこともその記憶には付け加えておきました。 私のボランテイアの初日は10月5日の午前中でした。付け焼刃の知識や理解だけで来訪者に接するということは、どう考えても私には重荷でありました。家を出た時から会場に入った後も重圧から解放されませんでした。その時、1階の「綿棒」の展示品を不思議そうに眺めておられる方がおられ、しばし佇んでいましたので、「これは綿棒なんですよ」とお声をおかけしたところ「ええっー、どうして綿棒が?」、専門家の方でしたらこのような疑問を発することはなかったかもしれません。第三の幕開けをしつらえた女神が私をお試しになったこととしか思えず、夢中になってご説明をさせていただきました。 それは、前日までに、パンフレットの隅々まで目を通し、かつ斎藤さんの解説を何遍も思い返していましたので、説明につかえることはありませんでしたが、所詮詰め込み知識の切り売りで無機的であったおそれは否めず忸怩たる思いがいたしました。ところが、その方から次々と質問やらご感想が寄せられました。質問にお応えするというよりむしろその方と同じような疑問を共有することと、感想を開示し共鳴し合うなかで鑑賞することの喜び、意義深さを分かち合えた気がいたしました。 お互いに気がつかなかったことを交流することが、作品を見る新たな視点を開発しているようにすら思えました。そして「ありがとう」といってお礼を言われた時に何とも言えない満足感と、作品が発する汲みきれない作家の訴求の深さを感じました。そして、心が揺るがされる感動は、思いを同じにするものとの言葉の交流によって倍加するのではないかとの思いが強くよぎったことを書き留めておきたいと思います。 正に第三の幕は、訪問者という女神が開けてくれたのだと思います。その後、何人もの女神が立ち寄ってくれました。心を揺るがす感動が倍加に倍加を重ねていったことは言うまでもありません。絵画芸術への扉を開き一歩中に踏み入ることが出来た喜びを表現する言葉が見つからないまま初日を終えました。 二日目は10月6日の午前中にアサインされていました。前日に受けた感動の余韻を引きずりながら来訪者をお待ちしている間、作品を改めて眺めていると、連鎖する煩悩への「おののき」と「やむなき恭順」、そしてそれらに対する「怒り」と「挑戦」、さらには、それらを乗り越えた「喜びの雄叫び」とも思える人の喜怒哀楽の模様がカンバス一面に表現されているように見えてきたのです。その中の一つが、あたかも煩悩を解脱して悟りの境地に達したかとも思わせる「曼荼羅」に見えた時には、鑑賞者の心を揺るがすカオスの波動に言葉を失うほどの驚きと感動を覚えました。 よく見れば、自分がどのように生きてきたのか(いこうとしているのか)、それは巨大で一筋縄ではない煩悩への挑戦であり、決して平たんな道ではないことが無数の太い曲線と大胆な絵の具の配色に象徴されているように思えました。そして、その煩悩を乗り越えようとする難渋の道で、流した汗や涙、行き詰りに直面した眩暈や吐息、持って行きようのない焦りのはけ口を紛らわそうとする怒りに見える苦悩の象徴が、煩悩に歪められた曲線を取り囲むように、小さい点と細い線によって一つひとつ丁寧に描かれているのを見た時に、作家の人生に対する激する深い思い入れを垣間見た気がしました。 かなりの時間を要したに違いないその制作の一刻、一刻に刻まれた作家の執念が「これでもか」と問いかけてくる迫力に気圧される思いがしました。 なぜそのように思えたのか、私の頭の中をよぎるものがありました。それは、60有余年を生きてきた私の経験を思い出したからかもしれません。取り立てて言うほどのことではありませんが、その大半の会社生活では失敗や苦労の連続で順風満帆だったと 思える日は一日もなかったように思われます。 それこそ血ヘドを吐きながら地獄の底を這いずり回る日々で、病魔に襲われ、今では笑い話に昇華しましたが、悲嘆にくれたことも一度や二度ではありませんでした。そういった中で、地獄の底に一本の蜘蛛の糸を垂らしてくれた先輩や友人に救われ、心底からの笑みで喜びを謳歌できた時に有為転変する人生の意義を思い知らされました。人生を楽しく、幸せに過ごすことが出来たらこれに越したことはないと思いますが、その代償として何倍もの苦労や困難を覚悟しなければならないことを知ることが、この世の習いであって、それを避けて人生を謳歌することは出来ないのではないか。そんなことに気付きつつも苦労を忌避したがっている自分に、絵画が問いかけてきた意義は大きく、第四の幕明けを意識させられた二日目が始まりました。 第四の幕開けは、改めて虚心坦懐に絵画に向かい自分の経験した苦労の一部を問いかけることでした。絵画はそれなりに応えてくれたようにみえましたが、カオスの領域を超えてはいませんでした。先ほどは心も震えるほどに感じたのにと思いながら、もっと深く、もっと激しく問い始めた時に明らかに絵画の見え方に、絵画の応え方に変化が生じ、心を揺さぶり始める感動の波長が息づいてきたのです。そして訪問者と共に感想を交換しながら、さらにさらに問い続けた時に、これらの絵画は鑑賞者が大きく問えば、大きく返してくれるという不思議な魔力があるのではないかということに気付きました。 言うなれば、自分の心の内の経験(煩悩、苦労)の多寡、経験の深浅をカンバスの鏡は正直に映し出しているようにみえ、自分の懊悩を問う試練の場にも見えました。そして、その鏡の中から作家も悶え苦しみそれを乗り越えようとする執念が垣間見え、それに共感させられた時に元気を出して幸せに生きていってほしいとの熱きエールが送られている気がしてなりませんでした。 正に不思議な体験で、絵画芸術が私に与えた影響は測り知れません。これからの人生をより豊かにしていくのに、絵画芸術への関心抜きには考えられないことを学ばして頂いたことを申し添えておきたいと思います。もっと早めに目覚め、遭遇していたらもっと豊かな人生を過ごせたかもしれないと悔やまれますが、これからさらに第五、第六といった新しい幕開けが予感され、それらへ一層興味を掻き立て、真摯に向き合っていくことが出来れば、もっと意義のあることだと思うことにしました。 そのように思いなおすことで、残り2日間のボランテイア活動に悔いのない取り組みをして、未知の領域の幕開けを確かなものに出来ればと思っているところです。 私をこのように導いていった頂いたギャラリーの皆さんとYさんに、そしてとても親切に教えてくれた先輩のボランテイアの方達や、とりわけお立ち寄りを頂き感動を分かち合う素敵さを教えて下さった女神たちに心から感謝の気持ちを捧げたいと思います。 最後に1ボランテイアのつぶやきを付け加えこの感想文を締めくくりたいと思います。人生の荒波に翻弄されることは、よほどの人でない限り、誰もが等しく背負わされた宿命だと思います。難渋する苦労に苛まされ生きていくことは生易しいことではない、願わくは、多くの方達にこの絵画を見て頂き、人生のことについて静かに向かい合って頂けたらと思わずには居られません。 この絵画芸術が何かヒントを与えてくれるに違いないからです。 そして、これからも市民の心を豊かに育む素晴らしいイベントを開催していって頂けるよう熱いエールをつぶやきながら、この感想文を締めくくりたいと思います。 以上 参考 : 出品作家 ○ 石山 朔(さく) 1921年満州生まれ ・2007年「石山朔 O sole mio」 ・同年「瞑想する色彩」等の個展 ○ 赤羽 史亮(ふみあき) 1984年長野県生まれ ・2009年 代表的な個展「輝く暗闇」・2007年「トーキョーワンダーシド2007」グループ展 □横浜市民ギャラリーのホームページへはこちらから入れます。 ⇒入口はこちらから □ TOPへ戻る |