■ 「Y-150」横浜開港105周年大博覧会に寄せて 平成21年9月27日 |
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一市民として、「開国博150」のボランテイアに参加させて頂き、早くも最終日を迎えることとなりました。本活動を通じ、心に映りゆくよしなしごとを発露する衝動を抑えがたく、徒然なるままに書き付くったところ、物狂しいまでの独り言となった次第です。一ボランテイアの衝動に駆られた独り言として、受け止めていただければ幸いです。 そもそも参加をさせていただこうとした動機を申し上げれば、150年前に我が国を開国に導いた先人の苦労に接し、これからの150年を背負う若者たちにどのようなメッセージを託すのか。このことに横浜の地で恩恵を受けている者の一人としてお手伝いできればとの思いからでありました。いうなれば、近代国家建設の幕開けともいうべき世界との交流が、横浜港開港に象徴されており、当時の閉鎖された国の状況を勘案すれば、それに携わった多くの先人たちの苦労は並大抵のものではなかったことが容易に推察されるのであります。 それから150年、幾多の困難を乗り越え、世界に誇れるインターナショナルな都市、とてもハイカラな街「横浜」を創ってこられたのだと思うのであります。私は、地方から出てまいりましたが、多感だった学生の頃には、とても憧れていた街でありました。そして、自分の意思を貫きこの街に住み始めてから、40年近くになりますが、私の憧れは裏切られることなく、この街から多くの恩恵を受けてきております。 知的でオシャレで、先駆者精神と国際的感性豊かなこの街、国際都市「横浜」を私は誇りに思っております。そして、奇しくも開港150周年という記念すべき年に巡り合い、開国博覧会のお手伝いができるということがどれほど誇らしいことかとの思いに突き動かされ、ボランテイアに参加することを決意した次第です。 すなわち、私の思いは、150年前にこの街を、この国をどのように建設していこうかと考え、理想とする街創りに邁進してこられた先人達のDNAを、次の150年に向け、遍く発展、継承していかなければならないのではないか。それは、人類史上未だ成し得ていない真の平和な地球を創造するパイオニアとして、世界をリードする都市「横浜」にしていくことを、新たな「開港」を誓うことで先人達にコミットすることではないか。それこそが、この「開国150博」への期待であり、恩恵を受けてきた私たち市民の義務でもあるのではないか、と思ったからでもあります。 しかし残念ながら、私はこの博覧会に少しばかりの失望を禁じ得ませんでした。パンフレット等、諸種の案内・企画書は、大変立派なコンセプトに基づく活動やイベントに貫かれておりましたが、メインの会場に見に来て頂ける人が少なければ意味をなしません。折角の思い(DNA)を伝えることができず、先人達に申し訳ない気持ちにさえなってしまったように思います。なぜなのでしょうか、どこかに過誤があったに違いありません。 活動日の伝達事項では、想像を超えた来場者数のお話を伺いました。確かに、周辺を含めた会場全体へは多くの来場を頂いたようであり、誠に喜ばしいことと思いました。しかしながら、本博覧会のメインは有料会場であることを考えれば、この発表は大本営発表を想起せざるを得ません。色々な事情や配慮(活動者へのモチベーション等)があったことだろうとは推察されますし、理解もできますが、主催者の自己満足に使われているとしたら、大本営発表といった過去の不幸な歴史に学ぶことは出来ないでしょう。 ただひたすらに、このようなことがないように祈るばかりです。失敗があったら素直に認め、反省して次につなげられなければ、次の150年はあり得ません。我が横浜は柔軟です。一度や二度の失敗にへこたれることはないと信じております。これからこの街を背負う若者たちのためにも、参加した全員が知恵を出し、湧き立つメッセージを出し続けていければと強く思った次第です。 一方で、私はこのボランテイアに参加をさせて頂き、大変多くのことを学びました。そして、とても有意義で充実した日々となり、生涯忘れることのない貴重な思い出を作ることができました。偏に主催者、我々を指導していただいたスタッフの皆さん、多くのボランテイア仲間の皆さん、そして来場していただいたお客様に心から感謝の気持ちを捧げたいと思います。 私は、この期間17回の活動に参加させていただきました。ベイ・サイドでは、「センター補助」や、「はじまりの森」、「トウモロー・パーク」、「ドリーム・フロント」等でのたねまる、案内補助サービス、そして「黒船」の活動を、また、ヒル・サイドでは「貸出所」そして「竹の海原」での案内補助サービスなど多くのサービスサイトと多種の活動を経験させていただき、ボランテイア冥利に尽きた思いがいたします。誠に感謝に堪えません。 ここに、活動を通じて印象に残ったことのいくつかを記述し(ほとんど、独りよがり)、我が「Y150開国博」の思い出とし何時までも記憶にとどめておきたいと思います。ここには何人かの方が登場しますが、特にこの方達には大変大きな影響を受けました。当方の一方的な片思いかもしれませんが、率直に感謝の気持ちをお伝えいたしたく、敢えてご登場を願った次第です。 ■7月15日(水) [早番] ヒル・サイド 「貸出所」→ 見晴らしの丘でのご案内 ・とても暑く、テントも仕舞われるほどの風の強い日でしたが、小学生の団体が元気に野原を駆け巡っておりました。当方が「こんにちは」と大きな声を掛けると、その何倍も大きな声で応えてくれました。感動の極みでした。彼らの顔には横浜の将来を担うに相応しい活き活きとした表情が見られ、頼もしさを感じました。 ■7月22日(水) [早番] ヒル・サイド 「竹の海原」 案内サービス補助 ・学校が夏休みに入り、高校生の2231(キヨカワ)、0050(イロカワ)さん、と同チームになりました。お二人は、同じ高校の同級生だとのことでした。今回が初めての活動とのことで、動作にぎこちなさが見えましたが、何事にも一生懸命に取り組み、その初々しさがとても眩しく、いたく感動してしまいました。 ・その後お会いしておりませんが、郷土を愛する気持ちが、ボランテイア活動の前向きな姿勢から垣間見え、大変たのもしく思ったことを忘れはしません。どうか「竹の海原」での活動を忘れないで、横浜を何時までも背負って行ってくれることを願ってやみません。 ■8月9日(日) [遅番] ベイ・サイド 「黒船」(観光丸) 案内サービス補助 ・本活動は今日で2回目、チームは0006(ヤマグチ)、2439(ハトリ)さんによる絶妙の組み合わせとなりました。計4回の乗下船のアテンドは、実に堂に入ったものであり、お見送り、お出迎えはお客様に大変好評だったように思います。チームワークのなせる業か。 ・活動終了後、チームワークの良さが如何なく発揮。赤レンガの横のビアガーデンにて3人でジョッキを傾け、大いに話し込んだことを忘れません。0006、2439さん本当にありがとう。ビールの味は格別でした。そして、当日大きな地震があったことさえ気付かせなかった最終の船便を、終生忘れることはないでしょう、感謝、感謝です。 ![]() ![]() ■9月1日(火)、3日(木) [早番] ベイ・サイド 「はじまりの森」 たねまる ・「たねまる」のサポートは初めての経験、周りから「たいへんだよ」との声が漏れ聞こえてきました。打ち合わせで、0190(イズミ)さんからレクチュアを受け、緊張に更なる拍車がかかったのを思い出します。 ・0851(ナカムラ)、2602(ミヨシ)さんから、サポートの心得をお聞きし、温かいご指導のもと、何とか役割を果たすことができました。 ・たかが「たねまる」されど「たねまる}を実感。遣ってみなければ分からない、そして、お客さまから受けた感動にはヒトシオのものがありました。 ・それにしても0190さんはすごい、暑い最中での熱きパフォーマンスには、脱帽しかありません。彼女が本イベントを支え切っていた、と言っても過言ではないでしょう。 ■9月15日(火) [遅番] ベイ・サイド 「はじまりの森」 案内サービス補助 ・出だしの会場出口での活動は雨に見舞われ、思うような活動ができず閉口しました。 ・このとき、少しも慌てず、騒がず堂々とした活動を続けられた2377(カザマ)さんに敬意を表します。2377さんから得たものは大きく、感謝に堪えません。 ・この後、「たまくす」の学び舎で0702(タカタ)さんとチームを組みました。彼女の素晴らしいホスピタリテイには舌を巻く思いでした。ペアを組めて本当によかった。 ■9月17日(木) [遅番] ベイ・サイド 「はじまりの森」 たねまる ・「たねまる」の本体になる人が急遽決まった。なり手がいなかったが1080(マツダ)さんが自ら志願されたことで、我々も糾合、急ごしらえの「たねまる隊」となったのです。 ・1080さんは、何せ初めての経験だそうでスタッフから真剣にレクチュアを受けている。これを見て、我々サポートメンバー1629(タシロ)、0881(ヤマムロ)、そして0785(私)の間には、絶対に成功させるとのアイコンタクトによる強い意志が交わされたのです。 ・第一回の滑り出しは、上々の出来栄え。何といっても1080さんの初々しい頑張りが光り輝き、これによって我々のチーム力が目に見えて高まっていきました。 ・圧巻は、二回目だったか。その終了後控室で1080さんがぽつりと我々に囁きました。先ほどパフォーマンスをしていたら、1080さんの旦那さんが「たねまる」に近づき、写真を一緒に取ってほしいと、所望されたとのこと。旦那さんは自らこのようなところで写真を所望するタイプの方では絶対なく、ただただ驚いたとのことでありました。勿論、中に奥さんが入っているとは気が付いておられず、「たねまる」のパフォーマンスに惹かれたとしか考えられず、この話題に我々が盛り上がらないわけがありませんでした。 ・控室は大きな歓声に沸きました。そして、この後のパフォーマンスは完璧な成功を収めることができました。 ・急ごしらえの「たねまる隊」がこのような成功をおさめられたのは、1080さんの頑張りもさることながら、仲間を信じ、成功に向け愚直に行動を起こす最高なメンバーに巡り合えたからだと思います。終了後、ボランテイア室では長々と話が弾み、巡り合わせたチームへの感謝と喜びに溢れた一日となりました。「また一緒に活動をしたいね」ということが、最強で最高なチームであったことの何よりの証です。私には、この期間を通じて一番の思い出となりました。そして最強のメンバーに感謝を捧げたい。 ![]() ![]() 思い出を綴れば限りがありませんが、交流をさせていただいたボランテイアの方々から、一様に故郷を愛する気持ちと、世のために尽くし切る、利他の強い行動力を感じました。それは、過去の先人達が開港を決意し、幾多の困難を乗り越え、今日の国際都市を創造してきたことに敬意と、誇りを感じているからに他ならないと思われるからです。もっと言えば、Challenge The New Frontierとも言うべき開拓者精神のDNAを脈々と受け継ぎ、世のために何か新しいことをせずにはいられないといったSpritに突き動かされているからかも知れません。 だからこそ、ここでは、郷土を愛するということは、遍く世のために何かをすることに他ならず、新たな開港に通じるのだと思います。これこそが、本博覧会へ参加した横浜住人の真の気持であったのではないかと思います。そして、実に多くの方たちとこのような気持ちを共感できたことに、新たな出航を確信した次第です。横浜の住人はきっとやり遂げるはずです、150年後が楽しみです。このような環境を与えてくださった関係各位に心から感謝を申し上げ、一住人としてこの名誉ある、誇り高いDNAを繋いでいくことを誓い、独り言の結びといたします。 ○「横浜開港150周年」Y150会場運営ボランテイア(ブログ)はここから入れます。 □ TOPへ戻る |