■ 「Y-150」横浜開港キャンドルカフェに参加して       平成21年12月25日

 私は、横浜開港150周年祝賀年のファイナルイベントに位置づけられ、今年第4回目を迎えた「横浜・開港キャンドルカフェ2009」に、3日間、ボランテイア活動の機会を与えて頂くこととなりました。その活動を通じ、私は、かつて経験したことのない、深い感動を享受することが出来ました。誠にありがたく、感動に揺さぶられた心情を書き留めることで、感謝の気持ちを伝えることが出来たら、との思いから筆を執った次第です。

 そもそも、本ボランテイアに参加をさせていただこうとした動機を、少し大げさに申し上げれば、「開国博150」のボランテイアに参加させて頂いた折にも述べましたが、(別文:「横浜開港150周年大博覧会」に想う、をご参考)、150年前に我が国を開国に導いた先人の苦労と、開拓・先進性に満ち満ちた歴史と伝統に接し、これからの150年をどのように考えていくべきなのか。そして、先人達のDNAを、次の150年に向け、どのように、遍く発展、継承していくべきなのか。このことに横浜の地で恩恵を受けている者の一人としてお手伝いできればとの思いからでありました。

 イベントの初日(12月19日(シフトA−T))、「出航ゾーン」での作業がアサインされました。当日は快晴でしたが、とても寒く、地べたを這いつくばって、私の想定を超えた、途方もない数のキャンドルの台座を、一個一個セッテイングしていかなければならないことを知らされたとき、外気の寒さが更に厳しさを増したように思われました。ところが、一つひとつセッテイングを重ねていくうちに、本イベントの基盤(初日の基礎)造りをしている喜び、形が一つずつ見えてくる達成の喜び、手作りであることの尊さ、等々の思いがないまぜになり、無我夢中で一心不乱に這いずり回っていました。そして、気が付いた時には、大汗をかいていました。

 もっとも、その間、私は最も苦手とするスクワットを余儀なくされ、立ち眩みを何度も味わわされることとなりました。このことが、その主因であったことには違いないのですが、物理的な運動量による汗だけではなく、本イベントの基盤作りを夢中にさせる、「見えざる不思議な意図」に導かれた、尊い汗だったようにも思えてなりません。150年前の先人たちには、このような寒さではなかったはずです。もっと過酷な状況の中で、困難を厭わずに、地べたを這いずり回りながら、横浜の基盤づくりに努められてきたに違いありません。地べたを這いつくばる中で、ほんの少しですが、先人の苦労に思いを馳せることができた気がして、私には、得がたい貴重な経験となりました。

 私の当日の役割は、キャンドルのセッテイングまでで、点火をして、お客様をおもてなすことは、次回へ持ち越すこととなりましたが、本イベントの基盤作りに邁進できた充実感は、終生忘れることはないでしょう。それにしても、陽が落ちた出航ゾーンはとても寒かった。でも、ボランテイア仲間の心に点った灯は、明るく輝き、達成感に満ちた喜びの雄叫びは、とっても熱かった。


 12月23日(シフトE)は、「ツリーゾーン」での作業がアサインされました。当日は快晴で風もなく、暖かで穏やかな絶好のイベント日和になりました。前日の使用済み蝋燭の回収、汚れの目立つキャンドルホルダーのリセット、新しい蝋燭のセッテイング等々、順調に当日の準備が進められました。本日も、スクワットの連続で、立ち眩みが何度も襲いかかってきましたが、点火寸前 までの準備を終えた時の心の昂ぶり、高揚感は、いまだかつて味わったことのないもので、点火の合図がどれほど待ち遠しかったことか、筆舌に尽し難いものがありました。150年前の先人達が立ち居振る舞った同じ場所に立ち、開港を決意し、不安と希望の織りなす中で、点火ともいうべき我が国の夜明けを迎えんとしていた、彼らの心境の昂ぶりを、想像せずにはいられませんでした。

 カチッ、カチッとチャッカマンの小気味よい音が、順調な点火を示しておりました。私には、簡単そうに見えて、なかなかハードな作業で、汗みずくとなりましたが、想像を超えた、幻想の世界が創出されていくさまに、汗みずくだった疲労が癒され、不思議な充実感で満たされていました。気が付けば、お客様がじっとたたずみ、感動の微笑みを返してくれていました、本番はまさにこれからだったのです。

 寄り添う姿に、素敵な安定感が漂うご夫婦、素敵な愛情の笑みが漂う若き夫妻、素敵なぎこちなさが漂うカップル、そして、子供が主役のご家族や友情に満ちた友人たちの集団、等々、本当に多くのお客様が、お見えになりました。 それぞれの思いは、千差万別であったに違いありませんが、「あの時」に、「あの場所」に居合わせ、煌々と静かに訴えかけてくる、手作りのキャンドルの灯に、先人たちの熱き心、汚れなき神聖な息吹を、誰もが等しく感じ取ることが出来たのではないかと思えてなりません。そしてそれは、「あなたたちに本当に幸せになってほしい!」と、語りかけてくるキャンドルの前に立ち会えて、「本当によかった」、「有難う」と叫んでいるようにも思えました。

先人達の熱き心、汚れなき神聖な息吹が!あなたたちに本当に幸せになってほしい

 幾多の方々から、写真の撮影を頼まれ、シャッターを押して差し上げました。モニターに映りだされた顔には、無垢な喜びが湧出する、穏やかな笑みがこぼれておりました。「バッチし!」、「お幸せに!」と投げかける声に、「有難うございます」との、うれしさてんこ盛りの返事。ここでは、尊い感動の交流が渦巻いていました。

 感激に浸る密度の濃い感性の時間は、想像を超える速さで、過ぎ去って行きました。もっと交流を続けたい、との思いはもどかしいばかりでしたが、感動の交流は、ホヤの回収とブロアーによる消灯の進行に、余韻を残しながら、静かに吸収されていきました。思えば、本日は、この場所に入って8時間を超えており、汗をかき、足も痺れ大変疲れていたはずなのに、終わってなお、感動を追憶する仲間の中にいて、疲労を感じる暇がありませんでした。疲労さえ忘却させた、感動の渦を忘れることはないでしょう。


 12月24日(シフトF)は、「灯野ゾーン」での作業がアサインされました。本日は本イベントの最終日、前日の感動を想えばどのような幕引きになるのか、興奮覚めやらない気持は抑え難く、作業への思い入れには熱いものがあったように思います。このゾーンは結構広く、思い入れを深くしたことも相まって、立ち眩みは前日を上回る勢いで襲ってきました。全体の準備が完了する間際に、ある女性ボランテイアの方が、本ゾーンに「たねまる」のフォーマットを挿入したいとの、熱意を示されました。

 限られた数のキャンドル台座を勘案すれば、既存のフォーマットのいくつかを、転用しなければならず、リーダの決断は大変だったと思いますが、熱意を汲まれ、挿入の決断を下されました。彼女のそれからの働きは、まさに鬼神のごとくで、右のコーナに見事な「たねまる」を作り上げました。まさにこの夜、灯野ゾーンに女神が舞い降りた瞬間でした。我々オジサンたちは驚異の目で見守るしかなく、女神の創造し給うた見事な出来栄えにひたすら「オオー」と、感嘆のつぶやきを上げ続けるしかありませんでした。

 子供連れの外国人のお父さんが、着火作業中に声を掛けてきました。はるばるドイツから休暇を利用して来日したとのこと。「こんなに素晴らしい、イベントに出会えるとは思ってもいなかった、とてもラッキー」と、そして「何か一つ手伝いをさせてくれないか」と囁かれた。お手伝いを頂くことが無理なことはお伝えしたのですが、内緒でホヤを渡し、異国の人の心を捉えて離さない輝きを見せるキャンドルの一つに掛けてもらいました。彼の心の底から発せられた、バリトンの温もりが響く「サンキュー」と、感動と喜びに満ちあふれた笑顔を決して忘れることはないでしょう。

     女神の創造し給うた見事な「たねまる」   異国の人の心を捉えて離さない輝きを見せるキャンドル

 当日も、昨日以上に多くのお客様がお見えになりました。そして、最終日のファイナルを迎えたとき、最高潮に達した感動の渦は、そこに居合わせた全ての人々を、150年前の先人たちとの確かな繋がりを実感させる、時を超越した幽玄で神聖な世界に誘(いざな)っているように見えました。

 そこには敬虔な黙想や希望の語らい、そして感謝の言葉、感動の雄叫び、喜びの笑みがあふれておりました。それらの放つエネルギーがキャンドルの灯に転化され、一段と神々しい輝きを見せたとき、先人達のDNAを、次の150年に向け、どのように、遍く発展、継承していくべきなのかの、本企画が果たすべき役割が見えた気がしたのです。

 イベントを締めくくる最終の作業が、感動の余韻を惜しみ、この聖地から去りがたい思いをお持ちの多くのお客様の見守る中で、粛々と進められていきました。そして、冬空に輝く幾多の星が、一つひとつのキャンドルの灯を吸収し、その灯に委ねた次の150年の願いを、聞き届けてくれるかのように、一段と輝きが増して見えたとき、そこに居合わせた全ての者の心に、深い感動の灯が点火したように見えました。

 まさに、このことこそ、横浜開港150周年祝賀年のファイナルの象徴だったのではないか。そのように思えたとき、このイベントが確かな成功を収めたのではないかと思いました。そして、本イベントに参加させていただき、心洗われる無垢な感動を分かち合えた喜びに、心から感謝の気持を捧げたいと思います。ボランテイアの仲間と共に果たした最終の作業は誠に意義深く、利他を象徴する聖なる作業であったのかもしれません。


 立ち眩みが伴う、後片付けというもっとも聖なる作業は夜遅くまで続きました。そのときふと、人は、太古の時代から灯(ともしび)を、絶大なる安心と希望の象徴として見てきたのではないか。さらに言えば、灯が、脈々と続く祖先との生の繋がりを媒介することで、人の生きる知恵を伝承させる尊い役割を、果たしてきたのではないか、との思いが立ち眩みで痺れる頭の中をよぎりました。

 だから、人々は灯に特別な思いを込め、歴史を歩んできたのだろうと。そして、この思い入れこそが文明の発展する中で、幾多の様々な種類と力を持つ灯をもたらし、その灯の一つひとつが、我々を豊かな安心と、希望に満ちた世界へと誘ってくれているのではないか。昨今、そのことが文明の利器ともいうべき、派手な電飾に飾り付けられた灯満載の幻想的なイベントを、あちらこちらで開催されていることに合点がいきます。

 そしてそこに、たくさんの人々が集い、盛況な賑わいを見せるとき、一つひとつの灯が持っている人を引き付ける不思議な魅力に、差などあろうはずがないということを、自明のように思っていました。しかしながら、このイベントに参加し、地べたを這いずり回り、立ち眩みを経験した頭の中は、「そうだろうか」との、割り切れない思いに駆られ、この経験を通じて感じた灯と感動について、改めて考えてみることとしました。すなわち、灯がどれだけ多くの人々を救ってきたことかについては、言を俟ちませんが、なぜ人は灯により深く感動するのか、と考えたとき、それは、その灯にどれだけ心の籠った波長が乗せられているか、ということなのではないかと気付かされました。

 それは、手作りのキャンドルの中には、地べたを這いずり回った人々の熱い思いと、愛の息吹が籠められており、点火と同時に、それらが人を深い感動に誘う独特の波長を発しているからに違いない、との強い確信を得たからにほかなりません。手作りの自然の灯が、これだけ人の気持ちを惹きつけるものだとは思いもしませんでした。だから、「人々は手作りの灯に接するとき、無垢で敬虔な思いに浸れるのだろう」、と改めて思い知らされ、この思いを、このイベントのDNAとして、伝承していくことが出来たなら、どれほど素晴らしく、意義のあることかと思った次第です。


 企画の趣旨に見られる、「横浜開港150周年祝賀年のファイナルを華やかに彩ること」は、鮮やかな成功を収めたと思います。さらに、「横浜の風物詩として定着しつつある」ことを、実感いたしました。このような、本当に意義のある企画をされた方々に、心から敬意を表し、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。そしてこの成果が、ボランテイアの方々の故郷を愛する気持ちと、世のために尽くし切る、利他の強い行動力に支えられていたことも、お伝えしておきたいと思います。

 仲間の言動から、先人達が開港を決意し、幾多の困難を乗り越え、今日の国際都市を創造してきたことに敬意と、誇りを感じ、このChallenge The New Frontierとも言うべき開拓者精神のDNAを、脈々と受け継いでこられたことが窺えました。彼らのこの精神の支柱、即ち、世のために、何かをせずにはいられないといったSpritに基づく行動が、本イベントを突き動かし続け、新たな歴史の1ページを拓いたに違いないとの、確かな手ごたえを感じたからです。

 一住人としてこの名誉ある、誇り高いDNAに触れたとき、これを失わせることなく、むしろこれからの150年に向け、遍く、発展・継承させていくべきであろうと強く思った次第です。もっと言えば、このあくまでも手作りにこだわった「横濱・開港キャンドルカフェ」を、横浜市の貴重な財産、文化として継続、実行していくことこそが、新たな開港に通じるからだと思うからです。

 150年先にどのような花を咲かせているか、に思いを馳せてしまいますが、どのような花を咲かせるべきなのかは、その緒に就いたばかりの我々の熱意に掛っています。そしていま、その歴史の年輪を刻み始めた名誉ある時点に立てたことを誇りに思い、我が郷土にとって、大変意味のある義務を果たしていかなければと、思った次第です。


 私は本イベントに参加させていただき、素晴らしい感動を受けました。そして仲間の皆さんから、実に多くのことを学ぶことが出来ました。改めて、このような環境を与えてくださった関係各位に心から感謝を申し上げます。
 この拙文で、感謝の気持ちをお伝えすることができているとしたならば、私にとっては望外の喜びです。お読み頂き誠にありがとうございました。


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