■ 「とか」事件                       平成19年9月25日

 ○ 始めに

  これは小生が平成元年に某市の半導体子会社に勤務していた時に起こった事件である。当時は東洋一の半導体工場を建設する真っただ中にあって、誰もが忙殺を極めていた。そしてこの会社を陣頭指揮する社長はファクトファインデイングに徹したマネジメントに拘り幾多の工場立ち上げに大きな貢献をされてきた方であった。

 曖昧(情緒的)な対応を最も嫌われ、常に論理的な対応を求められることを旨としたご指導の洗礼から逃れることができたものはいなかった。だから会社には四六時中戦々恐々とした緊張が漂っていた 以下はそのような環境にあった日常の業務遂行での一風景を切り抜き抜粋したものである。厳しいご指導の基に惹起した珍事件は枚挙にいとまがないほどである。ここでは機会があればさらにいくつかの珍事件について掲載したいと思っているが、それらはこの素晴らしく厳しかった社長を抜きには起りえなかったと思っている。

 今思えば、こんなに素晴らしい経営者のもとで仕事をさせて頂いたことに感謝の気持ちで一杯である。後になって、大変良かったと思うことについては、気も動転するばかりの厳しさを経験しなければならないというのは真なることのように思えてならない。そのことをあえて付け加えておきたい。


 ○ 「とか」事件(当時の日常業務の風景からの抜粋)

 新しい会社を設立していく中では、想定されるすべてのアイテムの優先順位を決め、工程表に落とし込み、その進捗を管理していくことが極めて重要となる。この会社(工場)の一番重要な目的は、最先端の半導体製品を競合他社が追随できない、安価で最高品質なものを製造していくことであり、もって世界戦略に沿った当社の半導体事業に貢献していくことであった。

 世界最先端のものを製造するには、建屋(工場棟)、生産設備といったインフラ関係は、最新鋭の高度なノウハウの蓄積されたものが要請され、必然高価なものとなるのである。この高額な投資が企業競争力を左右することに直結することもあって、計画は最大限の注意が払われなければならず、遅滞なく実行されなければならないのである。

 早期の事務所会議では、こういったことが立上げ時の最優先事項として、担当責任者は徹底的な追及を受けていた。しかしながら、会社(工場)は上物(ハードウエア)が整えば、目的を達成できるものではなく、最適化された会社を動かすための諸機能を構築し、その役割を遂行させなければ工場の稼動はありえない。この機能は組織であり、人にデイペンドするソフトウエアなのであり、総務部が所管しなければならない工場運営・管理機能のいくつかを、稼動までに構築しておかなければならなかった。これらの多くは、実績のある本社(本体)、地方各社の運用等を流用、最適化することで合意された計画になっていたので、建設会議のように激しくご下問に及ぶとは夢にも思っていなかった。

 ある日(H1(’89)年9月頃(稼動6ヶ月前))社長から部屋に呼びだしを受けた。ご下問の内容は、保安(警備)体制をどうするかということであった。この件については、24時間フル稼働、年間、夏季と年末に休日を若干挟むがほぼ365日に近い操業を予定している会社であることから、相模原や九州地区の運用形態を参考にした体制案を説明したのである。このとき、今まで経験もしなかった問いが発せられ、困惑の極致に引き釣り込まれた。

「君、今説明の中で、“〜とか”といったが、“とか”という言葉は、いくつも(少なくても4-5例)想定されている対応の代表案につけて使用するものなのだ、“とか”といったからには、残りがあるはず、隠さずに全て説明するように」といきなり責められた(と感じた)。

 言われれば、警備体制は何人必要なのかとの事に「一日24時間フル稼働で、年間365日に近い操業を予定する“とか”」という理由を述べ、○○人の警備要員が必要だと確かに申し上げた。今までの経験では、そのほかにはどうかと聞かれたことはあったが、“とか”に拘られた詰問は初めてであり、一瞬何を指摘されたか分からず、大慌てで残りのいくつかを搾り出してご説明する破目となった。慌てた付け焼刃の回答に納得されるわけはなく、この件が仕切り直しになったことが苦い思い出として刷り込まれた事件となった。

 思えば、今までは余りにも“いい加減さ”のなかでの心地よさを貪っていたのではないか。慮りの世界(知ったつもり、知らせたつもり)が一層の信頼関係を深めるといったことを、何の疑いもなく受け入れ安住を決め込んでいたのではないか、ということを痛烈に思い知らされた。何百億も預かるトップの責任は重く、その行動は一部の曖昧さをも見逃してはいけないのである。この件は、冒頭に記述した重要な最優先事項とは思えないが、トップのマターでは高額な生産設備であろうが、警備員一名であろうが検討することにおいては、その考え方の基本は同列であり絶対に譲ることが出来ないものと思えた。そして、いい加減さを極力排除し、ロジカルに物事を捉えるファクトファインデイングなマネジメントを植えつけようとされたのだと思う。

 聞けば、我々の前に設備関係を検討する中で、このようなことは日常茶飯事として起こり、“とか”事件で暖かい(厳しすぎる)指導を受けた者は枚挙に暇がなかったとのことである。


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