■ 「2011年夏の終わり」に想うこと 平成23年8月23日 |
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年々亜熱帯化を呈してきている猛暑の夏も、この時期になると漸く一段落し始め、暑さにうだりすぎた脳にも少しずつまともさが戻ってくると、1年の3分の2が過ぎ去る月日の経つ速さに気付かされ、今更ながら恐々とさせられてしまう。 今年も特別暑かった夏も過ぎ、ふと振り返れば目覚めた脳からのアラームが例年以上にけたたましく、『パンドラの箱から「世界同時不況」が飛び出してから早3年、そして今年3月に起こった東日本大震災からもう5ヵ月が経過してしまった』ことを告げている。そしてその際立つ時の流れに埋没されそうな不安さえ掻き立てている。 それは一方で、失われた20年がさらに深まってきていることや、震災後の復興が遅々として進まないことに遣り場のない苛立ちが惹起し、時の流れとは不整合な停滞に愕然とさせられる思いをも募らせている。震災後多くの国から日本人の行動が評価されたが、一体この国はどうなってしまうのだろうかとの不安に苛まされるのは何故なのか、突き付けられている課題に悩む。 我々が遣らなければならないことは、後先も見ず思いつきのままを軽々に語り、互いに足を引っ張り合い責任のなすり合いを演じている輩に鉄槌を下すことなのかもしれない。 なぁんて、大げさにぼやいてしまったが、この国が光り輝いていた頃に立ち会うことが出来た者たちは、今こそ後輩のために、希望に満ちた明日を復活させる語らいの場を提供しなければならないのであろう。それは、きっと彼の輩を諭(サト)す鉄槌を磨きあげる集いになるにちがいない。鉄槌を下す相手が思いがけないところにいたりして・・・・・。 くれぐれも自分に鉄槌が下されることがないよう祈るばかりである。 □ TOPへ戻る |