■ 先輩を偲び「人間にとって最大の贅沢」を考える 平成22年10月3日 |
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先輩を囲む会は今年で第5回を迎えることとなったが、まさか「先輩を偲ぶ会」を挙行することになろうとは思いもよらないことであった。昨年はあんなにお元気だったのにと、つい浮世の定めを恨めしく思ってしまう。 本会は4年前にNECの玉川事業所で勤務していた職場の仲間が約40年ぶりの邂逅を果たし、当時係長だった先輩を囲む会として発足した。名簿を手繰り60名近い仲間に声を掛け発会の第一回目にあたる会合には46名の仲間が集まった。会員対象の入社年次の幅を約10年と絞ったこともあって、長老の先輩(80歳)を除けば60歳から70歳代の仲間で構成されたOB親睦会となった。 さすがに40年という時間の経過は、会社も街並みも、さらには我々の容姿も何もかもを容赦なく変えてしまった。 そして、人生の山や谷を越えて歩んできた一人ひとりの顔に神々しい年輪の刻みを見た時に、改めて40年という時間の経過が、世の中の激変を見せつけるにはあまりにも十分すぎていた。 その中にあって、価値観を共有できた真の仲間に会いたいという気持ち、職場で培かわれた家族愛ともいうべき気持ちには40年を超えてなお変化はなく、回を重ねる毎にあたかも「見えざる不思議な意図」に導かれているかのように連帯の絆はますます深まっていった。毎年そこには時を超越した40年前の職場が現出し、豊饒な友情に包まれる時に誰もがこの職場の一員であったことに特別の喜びと感謝の気持で一杯になっていた、そしてそれがまた我々の密かな誇りにさえなっていた。 「あの時」、「あの場所」、「あの仲間」そして「この先輩」の下でなければならなかった宿命的な出会いを仕組んだ不思議な意図を感じない訳にはいかない。とりわけこの会に我々を引き付けてやまないのは、この先輩の人柄、人間力においてほかなく、天が私共のためにこの先輩を遣わされたに違いないとさえ思うのである。正にに因縁浅からぬ縁の存在を感じてしまう。 いつも紫煙をくゆらせながら独特の語り口で語る世界は、コンサバテイブな人事勤労の中にあって特異な雰囲気を醸し出していたように思う。音楽をとても愛され、その話になると目を細め人が癒される音楽への理想を熱く語られ、麻雀の話になれば訥々と理の世界を展開され、ますます独特の語り口が冴えわたったことを思い出す。そして古いしきたりに拘泥されることなく、常に進取の考え方を持ってコンピュータの世界を説かれたことは、当時の時代背景を勘案すればあまりにも先駆的であったと思う。 この先輩との思い出を綴れば限りがない。我々仲間のそれぞれに先輩の思い出が去来することだと思うが、先日奥様にお会いした際ぽつりと「とっても優しかったのよ」とおっしゃった言葉に、我々仲間が共通に思いだす人柄を見る思いを新たにしたのである。 荒々しく怒った場面を見たことはなく、いつも優しく問いかけられる様は慈父、慈兄にみえた。部下や後輩に対しても「とっても優しかった」と思う。だからこの人の周りでは、進取の考えと音楽を愛し、人とのつながりをこよなく大事にしていこうとする者たちが集まり、賑やかで活き活きとした職場を作っていたのだと思う。 想い出を追想する中、「星の王子さま」を著したサンテグジュペリの言葉を思い出した。「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」という言葉は、正に50年前の我が職場を言い表しているに違いないと思った。先輩は星に還られてしまったが、私どもにこのことを残し伝えたかったに違いない。 「贅沢」という言葉ほど縁遠いものはないと思っていたが、人間の「本源的な贅沢」がこれほど身近なところにあったことにひたすら感謝の気持ちを捧げずには居られない。先輩を偲ぶにあたり、このことだけはいつまでも心に残しておきたいと思った次第である。 今年は37名のほか、お忙しい中駆けつけて頂いた3名のゲストの方と、熱きお便りで参加を頂いた多くの仲間達とによって悲しみを乗り越えることが出来た。そしてその悲しみの思いが深かった分、合唱や定番となった「炭坑節」には一層磨きがかかり例年にない贅沢な絆を深めることが出来たように思う。 何よりも、ゲストとしてお出でを頂いたお三方達とのほぼ半世紀ぶりの懐かしく、熱い語らいは正に「人間関係における贅沢」を更に極め、私どもにとっては想像を超えた喜びとなった。彼の作家もこのようなことを予言しえたかどうか・・・。本会が発会した時からこの日の来ることが既に織り込まれていたのではないか、そのように思えてならず、この不思議な巡り合わせに天啓を感じないわけにはいかない。 きっと私どもは「人間にとって最大の贅沢」を享受できるように不思議な導きによって仕組まれた仲間なのかもしれない。そしてそこに紫煙をくゆらせながら、今回一層深まった熱き交流を独特の語り口で「それでいいのだよ」とおっしゃっている先輩の温かい導きが感じられてならない。 参加した多くの仲間から、今後も本会を続けていこうとのお話を頂いた。このことは、取りも直さず運命的な貴い巡り合わせの恩恵を、素直に受け止めていきたいとの意志の表れなのだと思う。また、今回駆けつけてくださった3人のゲストの方達が、私どもに「人間関係における贅沢」を一層深く導いてくださったことへの特別な感謝の気持ちがさらに拍車をかけていたからなのだとも思う。 もっといえば、私どもは本会を継続し「人間関係における贅沢」の語らいをより豊かにしていくことが宿命づけられているのかもしれない。そしてそれを素直に受け入れることこそが貴い巡り合わせを仕組んでいるに違いない見えざる意図に沿うことになるのだと思う。 我々は新しいステージの第一歩を踏み出した。来年以降も元気で再会し「我々にとっての最大の贅沢」を享受していかなければならない。それは先輩の遺志を継いでいくことであり、見えざる意図に沿うことなのだから。 □ TOPへ戻る |