■ 小学校同窓会「燦燦会」に寄せる想い            平成22年5月25日

 47年ぶりの邂逅となった燦燦会の発会から早5年、今更ながら月日の際立つ速さを実感いたします。前回は、還暦を迎えんとする年でもあって、定年後の生き方が必然な話題となった思い出深い会合でありました。それから5年、世の中はさらに激変し、パンドラの箱からは地球温暖化はもとより、世界同時不況といった新手の災いまでが飛び出(い)で、未曾有の自然災害を誘引し、さらには世界有数の企業を瞬く間に倒産に導いた現実に、言うべき言葉が見当たりません。

 なぜこんなに優秀な国や企業が手ひどい失敗を繰り返すのか。人間社会は幾千年にも亘り叡智を傾け、不幸な失敗を繰り返さない文明を進化させてきた筈なのに、なぜなのだろうと思ってしまいます。それは、どうやら人間の強欲に起因しているらしいとのこと。その意味では人類は全く進歩をしていないのかもしれません。どこの国・民族でも固有の知恵を働かせ、社会進化の歴史を刻んできたはずなのに、未だに解決できない深き業に唖然とさせられる思いがします。我々もこの社会に生かされてきて、このような業を負わされ、その片棒を担わされてきたに違いなく忸怩たる思いがいたします。

 さらに、思えばこの60有余年、アインシュタインの相対性理論を理解できないまま生きてきておりますが、「時間は伸縮する」ということを、「1年経つのは早いね」と実感の籠った交わす挨拶に何となく共感を覚えたものです。勿論、本質的な理解とは全くかけ離れていますが、この月並みな言葉に人間性豊かな時代を共有してきた者たちの「相対性理論」があったのだと思います。 ところが何もかもが効率・高速化を目指す社会に変貌し、我々の想定を超えた幾多の事件にさえ、そしてこの社会に追随する苦悩すら麻痺させられてしまいそうな「時の移ろいを実感する感性」の変化に、思わずたじろがされてしまいます。

 特にこの10数年、世の中では効率・高速化社会の下にギスギスした風潮が蔓延し、これに乗り遅れたものがどんどん切り捨てられてきました。少し前までは、社会や家庭に人間性豊かな喜怒哀楽を実感する時間が存在し、それらの濃密な関係の中で時間は伸 縮していたのだと思います。今、日本固有の文化を置き去りにしてきたツケを払わされている気がしてなりません。そして、その社会が巻き起こすストレスは、人間らしさを堪能する精神的時間の感じ方を大きく変容させ、年々その変化への加速度を上げているようにすら思えてなりません。我々が共有する「相対性理論」が効率・高速化に追立てられ、「一年経つのは早い」という言葉を焦慮の象徴として使われ始めたときから、大きく様変わりしているとも思えてならず、この言葉の持つ意味・感じ方には深くて、重いものを感じないわけには参りません。

 言うなれば、60有余年を生きてきて、便利性豊かな恩恵をもたらす物質文明が、驚異的進歩を遂げてきたことの証を、一つひとつ突き付けていることを実感させられるにつけ、その恩恵に何とも形容しがたい迷いを感じてしまいます。そしてその進歩のもたらすものが、過去幾千年間掛けてきたことを、ほんの数年間で容易にやり遂げてしまうことさえ示唆しており、先人達が歴史を刻んできた時間軸の尺度を、ものすごい倍率でアンプリファイし、新たな歴史を刻み始めてきていることについても、どのように受け止めるべきなのか、迷いは一層深まってしまいます。

 何故迷ってしまうのか。そこには、人間が叡智を傾けて進歩させなければならなかった精神文化が、人間の強欲に抑圧され、置き去りにされてきたことが垣間見えるからだと思われます。そして、我々もこの時代を生きてきた中で、その片棒を担ぎ、便利性豊かな恩恵と引き換えに、いびつな社会を作り上げてきたことに加担してきた罪の意識をどこかで感じているからなのかもしれません。だから、忸怩たる思いに駆られ、さらには、我々が共有する「相対性理論」の主柱とも言うべき「一年経つのは早い」という感性の表現が、焦慮の象徴へと転位し始めたのではないか、そんな気がしてなりません。

 こういったことに、気付かない振りをしたままの60有余年でしたが、この歳になって、日暮し心に映りゆく現実社会から、いびつな有様をこれでもかと畳み掛けられるに至り、悔悟の独白を抑えがたくなってしまった次第です。そして、それを書き留めた挙句が物狂おしいまでの愚痴の羅列となってしまったという訳です。ところが、独り言が見えざる何かに触れ、偏向されて戻ってきたこだまの中に、心の安らぐものが聞こえてきた気がしたのです。これこそ書き留めておかなければならないと、腱鞘炎になりかけた指をさすりながら、さらに物狂おしくパソコンの鍵盤を叩き続けることにしました。いうなれば、燦燦会への想いというものなのかもしれません。 以下、故郷を離れた者の独り言にもう少し、お付き合い頂ければ幸いです。

 つぶやいた独り言のこだまが、見えざる意図に導かれた「心の安らぎ」を暗示する囁きに聞こえたのは、長く故郷を離れた者の特有の感性(強い望郷の念と言えるかもしれません)が作用したのかもしれません。それは、50年前にタイムスリップできた幸運な巡り合せを暗示する囁きでした。その囁きを追いつつ静かに思い出を辿った時、心の安らぎを支えてくれていることとは何か、ということに気付かされたのです。

 そこには、お互いに歳を重ね、おじさん、おばさんになってしまいましたが、その幼友達が「○○チャンけ! 久しぶりやの、元気やったか?」と交わす一言に、さらに恩師を囲んで語る話の端々に、人を思いやる温もりに満ちた友情が溢れていました。そしてこの燦燦会に浸り、50年前と少しも変わらない豊饒な友情を確かめ合えた時、私の心の安らげる場所がここに在ったのだと思わずにはいられませんでした。

 言いかえれば、世の中が激変し、この社会が置き去りにしてきたはずの日本固有の文化、言わば日本固有の人間愛が、幼友達一人ひとりの心に、色あせることなく脈々と息づき、人間性豊かな時代を共有してきた者たちの「相対性理論」を取り戻すことに、手を差し伸べてくれる場で在ったからかもしれません。そしてそこが、愚痴を放言しながらギスギスした社会をさ迷い続けてきた私には、真の渇を癒す、懐かしいオアシスであったことは言うまでもありません。

 思えば、我々が豊かな人生観を育まれたのは、今なお純な友情がこんこんと湧き出でるこのオアシス・この聖地に違いなく、小学校時代の聖人(担任の先生方)が厳しくも、多くの愛を注ぎ、人間教育に全精力を傾けて下さったからに他なりません。我々の共有する「相対性理論」は、正しくこの時代に醸成されたのだと思います。当時は戦後間もないころであり、教える側には相当な混乱があったことだろうと想像するに難くありません。その中にあって学校は迷うことなく、先人が矜持とする日本人固有の高い倫理観に基づく人間教育に、心血を注いで下さったことは誠に尊く、今更ながら深い感謝の気持ちを捧げずにはいられません。br>
 人を信じ、裏切らず、清く、優しく、そして私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉、そして決して弱い者いじめをしないということに貫かれた倫理観は、正に新渡戸稲造が「武士道」で説く「高潔な日本人」の姿と言えるかもしれません。そしてこの教育こそが、この姿こそが我々のオアシスの源流になっているのは紛れもないことだろうと思います。戦後の荒廃の中、卑屈にならないよう日本人としての矜持を懐かせ、愚直に人間愛の尊さを教え込んだ母校、並びに恩師の熱意に源流を見、50年を経て、今なお心温める友情を湧出し続けるこのオアシスに立ち戻ることが出来たことは、何にも替え難い喜びとなりました。

 顧みて、どこで道を踏み外したのか、豊かになったはずの社会でこのようなオアシスが枯渇してしまいました。その結果、強欲の海原に舵を切り、いびつな社会への船出を許してきたのではないか。そんな妄想に苛まされるにつけ、我が燦燦会の存在が際立った輝きを放っているように思えてなりません。私どもはいい環境に育まれ、いい仲間に恵まれてきました。そのことで、どんなに社会が変貌しようとも、我々の相対性理論は不変だということを改めて確信した次第です。

 「明日はいつまでも続く」と、無限の時間軸を装えた時代が過ぎ去りつつあることを思い知らされる歳になって、本会の存在をさらに貴く感じます。今年の燦燦会で交わす言葉は、「5年経つのは早えなあ」となるのでしょうが、豊饒な友情を確認し合うアンチ高速・強欲社会の象徴となることでしょう。幼友達と久しぶりに再会し、「豊かな人間性を共感できる相対性理論」について大いに語り合えることを楽しみにしております。

 見えざる意図に導かれるまま鍵盤を叩き続けてきましたが、腱鞘炎で震える指に、昂ぶる感情を抑えさせるには、ちいっとばかり荷が重すぎたようで、全く恥ずかしい駄文を綴ってしまいました。しかしこれこそが、こだまが書き留めるよう思し召された私の「燦燦会に寄せる想い」なのです。どうか行間を皆さまの鋭い感性で洞察、推量して頂き、私の気持ちをお汲みとり頂ければと切に願っております。

 最後になりましたが、幹事の皆様にこんこんと真の友情が湧き出るこのオアシスを守っていって下さることを心から願い、そして、この会の存在が、失いかけた日本固有の文化を復活させる象徴になれたらどんなに素敵なことかとの思いを託し、独り言の結びとします。狂おしい独り言に長々とお付き合いを頂き、誠にありがとうございました。


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