■ (続)「アンチ・エージング」について            平成23年9月10日

 私は大分以前から「図書欠乏不安症候群」に陥っている。これは常に身の回りに1冊以上の本がないと落ち着かなくなり、精神に不安をきたし何事にも集中できなくなってしまう厄介な症状なのである。

 本を読んで知識を増やし悟りを開こうとか、金儲けのためにとか、はたまた人から好かれたり尊敬を得られるようになるためにとか、そんな恩恵にあずかりたいとの思いが昂じている訳ではない。若い頃はそのような思いに駆られてむやみに本を買い込んだこともあったが、理解力が乏しい上に自分の都合のいい受け取り方しか出来なかったこともあって、恩恵にあずかるどころかことごとく失敗に帰したというにがい経験を数多く重ねたからである。

 もっと言えば、当時は1週間に2回以上は本屋に立ち寄り、こ難しそうな本でもカバーストーリーに釣られてやたらと買い込んだ。自分の能力を顧みずに背伸びをして求めた本は少しも前に進まず積堆してしまうのだが、その内時間が出来たら読み返せばいいとの「いい訳」を救いとして本屋通いを続けた。結果、ほとんどの本は積読(つんどく)状況、時間が出来る前に新しい本がどんどん出てくることに何の手も打つことが出来ず、さすがに脳も焦りのドーパミンを放出し私の読書観を破綻させてしまったからでもある。

 さらに最近では、年金生活者になったため購入資金が枯渇してきたこと、加えて脳や目の老化現象が著しく進行し始め、読むスピードが極端にに落ちたことも読書観の破綻に拍車をかけているはずなのだ。それにもかかわらず、何故このような厄介な症状を引き摺っているのか。本購入中毒症に陥ってしまった者の症状は、薬物中毒常習者が正常な世界に戻ることが困難なことに似て いるようで、一度嵌り込んだ蜜の味を簡単には忘れられず、焦りのドーパミンと壮絶な格闘を始めた。結果、従来の読書観は完全に破綻してしまったが、誇大妄想型読書へと折り合いをつけ本への中毒症状は一向に治癒する見込みが立たなくなってしまったのである。

 勝手に命名した誇大妄想型読書とは、自分のその時の気分に応じた役割りを仮想現実の世界に誘(いざな)う小説に傾斜し、自分の今までやれなかった願望の成就を楽しむという、誇大妄想を追求する読書とでも言っておこう。
 歴史上の人物や有能な経営者を演じることもあれば、世界を股にかけ活躍するビジネスマンだったり、スポーツのス―パスターだったりすることもある。最近ではその時々の気分が要請する役割は、大変多岐にわたるようになってきたので「図書欠乏不安症候」もさらに昂じ始めてきている。

 全く因果な病に陥ったものだと呆然としてしまうのだが、あほな妄想を追求する中で脳細胞の老化に歯止めが掛っているのではないか。最近、そんな気がしてきた(これも典型的な誇大妄想症状の表れ)。むかし、知的オシャレがアンチエージングになると聞いたことがあるが、「誇大妄想知」的オシャレこそがアンチエージングの切り札になるのかもしれない、と思うようになった。 であれば、「本中毒」/「図書欠乏不安症候」も悪くない。


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