9月30日(火)
今日は キューバに移動する日です。まずはホテルのプールサイドで朝食を・・・・・・っと

誰もいないぞ・・・まさしく シ−ズン オフです。朝食を頼みながらプールを掃除している姿を見ているのは けっして気分がいいものではありません、飛行機は11時25分なので、2時間前として 9時25分には空港に行く予定です。ここから空港には S字の坂を登って少し行ったところなのは 昨日の夜に確認済みです。
ホテルの人に空港まで タクシーで行きたいのだjけど いくらかかりますかぁ? と聞くと すかさずJ1000 って ぼったくりだーーー「 距離は知っているので、もういいよ 自分で行くから ここはお客さんにも 旅行客値段でタクシーを呼ぶの? 」って 宿の施設はいいのだけど 従業員がトホホな宿でした。
ホテルを出て 道をリックを背負って歩いていると 同じタクシーの運転手がJ500でいいよ というので乗りました。聞くと ホテルで呼ぶと 半分はホテルが持っていくので 実際はJ500も十分らしい、そりゃそうだな 車で5分ぐらいなんだし 最後の最後まで 面倒くさい ジャマイカだった・・空港内は ガラガラで 寂しい感じです。免税品でもかって またまた 空港のラウンジでダイキリを飲んで 時間をつぶします。ジャマイカの余韻に浸るより キューバに着いたら何をしようかなぁ の方が強く思いました。

エアージャマイカ機

ガラガラの機内 経営 大丈夫かぁ?

ハバナの国際空港 玄関

ホテトゥール ドーヴィル ホテルから 見た景色   遠くにモロ要塞が見える

機内はガラガラで 30人位しか乗っていません これでこの航空会社はよくこの路線を廃止にしないなぁ と感じる位です。機内では白ワインを頼み (8ドル・ボトル) うとうとしているうちに ハバナの空港に着きました。空港で 両替をします キューバは 外国人紙幣と自国民の紙幣は違います。外国人用CUC  自国民用CUP 1CUC≒25CUP
今日は 予約を入れておいたホテトゥール ドーヴィル ホテル($49/日)に行きます。キューバには 民宿形式のカサパティクラル(10〜20ドル)というシステムがあります。これは都会では部屋を間借りして地方では 離れの部屋を安価に貸してもらうシステムです。ホテル自体の数が少ないのと 正式なホテルは一般的に100ドル以上するところが多いからです。
キューバは アメリカと国交断絶している国で ヨーロッパやカナダからは多くの人が訪れます。その観光で外貨を稼ぐために 芸能やライブ 海岸の町のリゾート化など ・外国人旅行者の滞在に使われるお金は重要な収入源です。社会主義国 ベトナムも中国もラオスも社会主義だった しかし、日本と何も変わらない感じだった。ここキューバも聞いていたほど 貧しい印象はない 今まで行った国のほうがもっと貧しい生活をしている人たちがいたからだ、文明国の印象です。
ジャマイカは ほとんどの人がアフリカ系で インド系もいるのですが 肌の色は黒い人が多いのに対し キューバは旧スペイン領だったこともあり (一時 イギリスに占領され、フロリダ半島と交換した)言葉はスペイン語 人種は白人25% 黒人25% Mix50%だそうです。 町の中でも 白人の人が多く 世界でもっとも人種差別のない国といわれている キューバでは 子供が仲良く 人種関係なく手をつないで歩いている姿をよく見かけます。カップルも白人と黒人と取り合わせは珍しくありません もちろん 私たち黄色人種が歩いていても ジロジロ眺められることはなく とても快適に旅行ができます。
ちなみに ジャマイカでは チーーノ チーンと 中国人と間違えられっぱなし そのうち ニーーハオと答えていた。 ジャマイカでももちろん中国の友好国であるキューバでも架橋が多くいます。
キューバに着たかった理由は 唯一成功をした 社会主義国といわれる キューバ  革命家だったフィデロ・カストロ  チェ・ゲバラが バチスタ政権を倒したのが1959年 今年は50周年にあたる年なのです。アメリカの植民地化していた キューバー 国民はアメリカの奴隷と化して 資本・利益はアメリカ 労働力だけキューバという 政権は特権意識をもち大きな屋敷に住み 国民は飢え 苦しんでいた カストロは一度は革命に失敗して 投獄された。(死刑判決)恩赦で メキシコに亡命し 機会をうかがっていたところに ゲバラと意気投合し 革命戦士となっていった。革命前には ヘミングウエィが好んで住んでいた国です。   革命後はすべての物が 国のものになりました。
現在は 弟のラウル カストロに指導者を譲りました。 ベルリンの壁の崩壊 ソ連の崩壊で 窮地に立たされた時代を耐え切って 今後 カリスマ的なフィデロが亡くなったら社会主義国が崩壊するのでは、と言われている
それを聞いて 居てもも立ってもいられなくなり 今行かなくてはと思った ことを思い出しました。

そして 
今 キューバにいます  感無量です
なぜ 社会主義のうちにというと 先ほども書いたように 社会主義国の成功例と言われる キューバは医療 教育に力をいれ 道徳を尊び 基本的な食料は配給制 配給券によって ほしいものをポイント内で配られるその中には ラム酒もありました。今の社会主義によって 人々がガツガツしたところがない それは人々から感じられます。老後も安心してすごしていける事が( ゆとりを持って 贅沢はできないけれど 幸せに生きていける) 後ろ盾だろうと思います。しかし 数多くのキューバ人亡命者がいるのも事実 基本的にはキューバ人は外国に行くことができません スポーツや音楽などの派遣で外貨を稼ぐ人たちはパスポートをもてます。
住所のないものはなく 物乞いやホームレスも皆無 物は少ないけれど 必要な分は確保できる。 建物は古く なかなかメンテナンスもできませんが、大金持ちも物乞いもいないのです。
このシステムが崩壊すると 経済社会の波が 押し寄せ 貧富の差が生まれ 生き馬の目を抜く競争  少しぐらい悪いことをしてもお金をもうける そういう人も出てきて インド・中国・ベトナムなど旧社会主義国のような 国になってしまうことが目に見えています。その前に 行っておきたかったのです。
話は 旅行記に戻して空港からは タクシーで市内に行きます 少し距離があるのです。キューバとジャマイカの時差はー1h 現地時間14:30です。ここキューバはすごく暑い ジャマイカとそんなに距離はないのですが、すごく暑く感じる歩くのに苦労しそうだなぁ タクシーは旧市内まで一律25CUC≒25ドルです。30分ぐらい乗って海沿いに出てきました。旧市内は全体的に 建物が老朽化した感じです。目指すホテルは キューバの事情がよくわからなかったので旧市街で歩いて町を探検できるこのドーヴィル ホテルにしました49ドルで朝食付です。13階くらいの高さで 4階にはプールがありますが、テントはボロく・・ そこにもラウンジがあります 一応3つ星ホテルです。
ロビーは冷房が掛かっていなくて チェック インする間にも 汗がダラダラ流れてきます。予約を確認して 部屋を割り振るときに「見晴らしのいい海側の部屋はないか?」と聞くと うなずいて部屋をあてがってくれました。
エレベーターがこれまた 古くてなかなかこない・・これもこの国の事情と思えば 苦になりませんが・・  部屋はカードキーになっていました。しかし、これまた古く ナカナカ反応しない ガチャガチャ4回 5回やっているうちに開くという感じです。
部屋の中は 三角の形の角部屋です ベタンダが角をぐるって回って 長いベランダです。エアコンは窓用エアコンですが いままで泊まった諸外国の環境に比べれば 抜群にいいです。窓からは海岸沿いのメイン通りが まさしく眼下に見えて 最高のロケーションです。706号は新市街側とモロ要塞がある岬側両方見渡せます。

トイレの紙や 石鹸はさすがによくない

ベランダからみた(7階)モロ要塞

旧市内側を見る(世界遺産)

古い建物が(スペイン時代)建つ旧市内

部屋で少し休んで  中央駅に行って見る 明日 長距離列車に乗って 移動をしたいと思っています。列車の時間と予約を入れるために、タクシーで中央駅に行きます。歩いて行くには少し距離があります。10CUCを払います。ここキューバには 基本的に外国人が乗れるタクシーと乗れないものがあります。料金体制が違うのです、外国人用にはメーターが付いていますが ほとんど使ってくれません 交渉して値段を決めなくてはいけません。海岸沿いをぐるりとまわって 駅に到着しましたが16時くらいだとすでに 発券場は終了 入り口のドアを閉めようとしていた従業員のおばさんに 明日の切符が欲しいのだけど と聞いてみると 明日の朝8時45分から開くからそのとき着なさいと言われた。仕方がないので ぶらぶら 町を歩いて見る。

アメリカのスクールバスの再利用

味のある中央駅の駅舎 教会のようだ

日中は近距離列車のみ

夕方になると長距離列車の乗り込む人が集まる

これぞ キューバーの 街角とクラッシクカー

駅から町の中心部に歩いていくと 街角にクラッシックカーが並んでいました。キューバではヨーロッパ車も多く 空港から乗ってきたタクシーは プジョの新車でした、その一方でこのようなキューバ革命前にアメリカから輸入された車を大切に乗っています。写真の車はタクシーです。このような車は多く見かけます、しかし、すべてがオリジナルと言うわけではなく、エンジンがディゼルに乗せ変えてあったり 小さな物に変えてあったりします。それでもV8特有のエンジン音を響かせ走っている車も多く見かけました。

町の中をブラブラ歩き 港に出ました。海岸沿いを歩いていけば 宿に帰れるはずです。運河の反対側にはカバーニャ要塞が見えます、ここにはチェ・ゲバラが執務を執っていた建物もあります。少しずつ雲が出てきました、運河沿いのレストランで食事をとりました。イカをを塩 バターでいためたもので シンプルながらジャーキーチキンに癖壁していた舌には おいしく感じました。一諸に飲んだのは 「モヒート」 ミントの葉っぱを入れたカクテルです。

夕方になってくると雲が立ち込め 涼しくなって半そでシャツ1枚では 寒くなってきました、日中あれだけ暑かったのに 夕立が来そうです。海のほうで稲妻が光っています。上の写真は運河の風景です、夕方になると多くの人が釣り糸をたれて 魚釣りをしています。小さな小船は 漁師の船ですエンジンが付いています。しかし、よく見ると係留しているロープが岸壁に一本もない。 船は錨を下ろして停泊中 いったいどうやって 今度岸からコレに乗るのだろう??????
すごく不思議で この船の位置からどうやって岸に帰ったのだろう??????? 日本では岸壁にロープでつないで 乗る時にそのロープを引っ張って沖にある船をたぐり寄せて乗り込むのですが・・・たぐるロープがない・・・・・・・不思議だなぁあ  その後 岸壁に座ってこれから岸に着く船を待った 気になったから 見てみよう どうするかをその間にも稲妻は勢いを増して雷鳴がとどろき始めて空が太鼓のような音を立てている 「やばい」でも周りの人は慣れた感じで つりを継続している  オオッ 1隻の船が帰ってきたぞ、おじさん2人が乗っている。 どうやるのかな? 岸壁に座って見ていた。

雷がおちたぁ こわいいぃぃ 

i稲妻の写真を撮るのは 非常に難しい 光ったらもうすでにおそい 光っているほうに向けて何枚も適当な間隔を読んで シャッターを押し続ける デジカメの便利なところです その場で確認 撮れているものだけ残しておく、稲妻の回数も増えきました。 
雷を気にしていたら 船が帰ってきた さあどうするのかな?  近くまで着たら錨を下ろします 錨の紐はゴムでできています、 錨を下ろした位置は岸から3mくらい離れたところ そこからおじさんは藻を取り除いたりする フックにロープが付いている物を カウボーイのように ぐるぐる回し 岸についている手すりに投げます。カコーーン  ハズレ  もう一度 カコーーーン   またまたハズレ     10分以上おしゃべりしながら 手すりにフックを引っ掛けようとしていました。のんびり あわてることなく 私が痺れを切らして 「これ ここに引っ掛けるの?」って 合図を送ると 首をたてに振りました。外れた フックをそこにかけると  ロープを引っ張って船を岸壁に近づけて 荷物を下ろして自分も降りたら 船は自然に伸びたゴムが戻って錨の位置に戻りました。「こうするのかぁ」って 納得しました。今度乗るときは 船にフックを投げて引っ張り寄せて 乗るようです。
水上に船があれば 簡単に盗まれないからでしょう(ガソリンや船外機) ようやく納得して その場を後にします。後ろでは 岸に着いた船のおじさんが 「アデーオス さよなら」って 言ってくれました。
歩いて宿に帰るうちに 陽は落ち真っ暗になってきました。 海岸沿いの大通りは オレンジ色の街路灯が ズーーート続いてきれいです。電力不足等は感じられませんでした。
宿に帰ると 遅いエレベーターに乗って部屋に帰ります。カードキーが読み込まず 10回くらい入れたり抜いたりして部屋に入ると 目の前はきれいな 街路灯に照らされた大通りがよく見えます。 まるでこのホテルに突き進むように道が走っていてホテルの前で緩やかなカーブを描いているので 眼下に道が続いているように見えるのです。

汗まみれになって 部屋に帰ると窓を開けて風を入れました。
シャワーを浴びて 少し 石畳の街を歩きすぎたのか腰に疲れがきています、横になると瞬時に眠ってしまいました。 
気が付いたときには23時を過ぎてしまいました・・・・・・・・・
ああああ やってしまった この時間からノコノコ町に出かけても レストランは閉店・・・・
1階のロービーで ビールを買って 部屋で飲んで今日は晩飯抜きです。
暗くなっても海岸沿いには 若者が集まって歌を歌ってダンスしたり おしゃべりしています。さわがしい感じではなく 危険な匂いもなく ほほえましい感じです。時々 警察官が声をかけたりしています。何組かのグループが ホテル近くの堤防で 話に花を咲かしています。 彼らは結局 朝方の3時ごろまで 集っていました。 
わたしも 時々目を覚ましては 外を覗いて まだやっているなぁぁ と言う感じです。明日はまた駅に行って 列車がうまく捕まれば 世界遺産の街 トリニダに行こうと思います。
バスも外国人用のビアスール社のバスが午前10時と午後13時ごろにあるらしい トリニダまではバスで5時間30分です。