2007年の春の旅行に向けて、候補地をいろいろ探っていた。

第一の候補はパプアニューギニア、日本語も話す現地人が居て、あまり旅行者の居ない場所、しかし、アクセスが悪く、乗り継ぎだけで日にちが過ぎてしまう。航空運賃も往復19万円を超える。
第二は、タンザニア、2006年に地元愛知で行なわれた、万博のタンザニアブースで一人寂しく、絵を描いていた、ティンガ ティンガ画家のアウシさん、彼とは何度も一緒にビールを飲み 、夕方 私が顔を見せると絵を片付けて「飲みに行こうか」と言うことになりました。
そんな彼に「タンザニアに来ることがあったら、必ず連絡をしてくれ、私が居なくても家族が迎えに行くから」と 住所や電話番後、携帯番号など聞いていました。でも今回は日数が少なすぎる。
その次は、バングラデシュ ここもゴチャゴチャシタ インドのような喧騒が面白そうでした、しかしここもアクセスが悪い。
ミャンマーは以前は200ドルの強制両替があって、これがネックで(使い切れない)やめていましたが、今は廃止され、飛行機のアクセスもよい
中部国際空港発は、この季節 学生の卒業旅行でタイに行く人が増え、早くも満席、関空発なら何とかなりそうです。
ミャンマーに行こう!
決まれば事は早い、旅券を手配して、関空までの電車のチケットを買おう。
そんなことを考えているうちに、休みをもらった日にちが、3週間後になり、ふとパスポートを取り出してみると、なんと有効期限が半年を切っているではないか・・・
半年を切っていると言うことは、ヴィザが降りない国が多い。
あわてて、旅券センターに更新パスポートの申請に行った、出来上がりは来週だ、その後、そのパスポートーをミャンマー大使館に郵送して、うまくいけば、ギリギリ出発日に間に合うはずです。
結局、パスポートにヴィザがついて戻ってきたのは、旅行に出かける、3日前でした。
今回は、カメラを3台持っていくことにしました。1台はいつもの1眼レフ(ポジ用)デジカメ1台 そして、去年の夏に修理した、親父の形見のライカVF(50年以上昔のドイツのカメラ)です。このカメラは、絞りやシャッタースピードを自分で設定して、ピントを合わせて撮るもので、私のように初心者はたいていが、暗い写真になってしまします。
でも今回は、こいつで いろいろな風景を撮ってみたくなり、白黒フィルムと一緒にもって行くことにしました。
夜は少し寒くなりそうなので、長袖と薄いジャンパー(アデイダス)代えのシャツなどは3日分 これを洗って使います。
それと、カメラ三脚(これが後々邪魔になって、かさばった)、子供用の鉛筆33本 小さなおもちゃ 20個くらい
それらを30Lのリックに押し込みます。
カメラ類は、ワンショルダのMoustache製に入れます、これは吉田かばんから独立した 通称ひげさんの作ったカバンです。テント地の担ぎやすいバックです。
靴は、ナイキのスニーカーこれは、多分 埃っぽいであろうミャンマーで、簡単に洗える利点を考えました。
それと、ベリーズで買った、ビーチサンダル(アデダスもどき)です。
ズボンは、レッドボタンのコロンビア軍レプリカのバゴダパンツ(縫い合わせのカットが斜めに前から後ろに行っていて、歩きやすいよく旅行に持っていく物)とナイキのハーフパンツです。
3月6日(火)
旅行は家を出たときから、始まります。
今回は、関西国際空港(KIX)から01:25発です、まずは名古屋の自宅からリックを担いで、バスに乗り地下鉄駅まで行きます。
そこから、名古屋ー難波間の近鉄アーバンライナーに乗ります、この電車で、難波についたのが8時前、関空までは、南海ラピータという、電車に乗っていきます。この電車は最終が21時30分発です、この時間まで、新世界で(通天閣のあるところ)1杯呑んでいこうと思います。

新世界の路地にある、串カツ・ホルモン焼き
屋さんで、日本酒を1杯飲んで、おいしい二度付け厳禁のソースに串あげをつけて、コリコリ少し甘辛いたれをつけて、焼くホルモンに思わず時間も忘れ、日本酒を3杯飲んだところで、いい気分に・・・
「どうせ 飛行機の中で寝るだけだから」と少しふらつく足で、南海難波駅にやってきて、いつものラピュータ二乗ります。

ラピュータ

人の気配のない関西国際航空を、定刻に飛び立っ
たTGは、現地時間の朝に、バンコクの新国際空港
に着陸しました。
さすがに、巨大な空港は、二階と三階が回廊のような
廊下でつながり、よく表示を見て、進んでいかないと
迷ってしまうほどです。
ヤンゴン行きの飛行機は、そのはずれの方にありました。
先ほどまでは多く日本人が、ひしめき合っていたのですが、ヤンゴン行きのひっそりとした
出発ゲートには、2・3人の日本人がいるだけでした。

ここからは1時間半でヤンゴンに到着します。時差は中途半端なマイナス2時間半です。
ヤンゴンの空港は、閑散として到着はタラップのみで、バスが迎えに来ます。
そのバスが名古屋の市営バスの中古です。
なつかしたと共に、このあとミャンマーで、名古屋のバスをいたるところで目にするのです。
名古屋で働いていたときとは、別物のように、荒々しい排気音と,黒煙を巻き上げながら、
たくましく働いている、感じがしました。
入国審査は友好的で、「こんにちは」と日本語で話しかけてきます。
あっけなく入国審査も終わり、10mも進まないうちに、到着ロービーと言うか、玄関に出ました。
「タクシー」と呼び込みがいますが、そんなにしつこくなく、以前不評だった 強制両替
(かならず200ドルを入国時に両替しなければならなく、出国時には、両替は効かない)
は、すでに廃止されています。銀行と言うものも両替には不向きで、主に街の両替屋と交渉して両替をします、空港の小さなカウンターにある銀行の両替レートは500チャット≒1ドルと言う ボッタクリレートです、街だと大体1300〜1400チャット≒1ドルくらいでした(2007.03)でも あわてて両替しなくても、タクシーや飯屋などは米ドルのほうが信用の置ける通貨(以前 ミャンマーでは、最高額紙幣を ある日突然使用禁止廃止にして、持っていた人たちが、デモや暴動をして それを武力制圧したことがあった)で、支払ってもらった方が、嬉しいらしい、しかし、正直ドル払いにすると、チャット払いより高い値段になっている。
金額は、大体チャットに0一つ取った位が,円の値段です。
1000チャット≒100円 と言う具合に・・・
空港からまず 今晩の夜行寝台特急で、マンダーレに移動予定なので、ヤンゴン中央駅に行くように、頼みました。(確か5ドル)
空港から町の中心までは、少し距離があり、タクシーでも40分くらい走ります、街の様子は車は意外と綺麗だな、しかし、他の東南アジアのような喧騒とした町並みは無く、屋台もあまり見かけません。
ここの街中でも、名古屋市の市営バスは、そのままの姿で走り回っています。
駅に着く途中に、タクシーの運転者は「どこに行くの?マンダーレ?それならバスが一番かな?列車は高いし本数が無い、それに今は、朝5時・6時の電車しかないよ」「15時過ぎに発車する、
夜行寝台のダゴン・マンと言う列車があるはず」と聞くと「夜行列車は線路の安全が確保されないので、今は運行していないよ」と言うことでした。エーーーッ これを楽しみにしてきたのに残念です。
とりあえず、駅に行くと外人用のチケットオフィースに着ました、ほとんど誰も英語が通じませんが、マンダーレということはわかり、「明日の朝、またここに着なさい、5時だよ」という、タクシーのおじさんの言うとおり、夜行はもう無いようです。
しかし、タクシーのおじさんに、駅前のずらっと並んだ、平屋のバラックの旅行会社では、それぞれバスを予約でき、そこでバスを申込むといいよ、と教えてもらっていたので、一件の店で、バスのことを聞くと、「17時に出発するバスがあるよ急行だ!」と言うことで、これを予約16000チャット(約1600円)ここから1時間くらい北に行った町外れの、アウンミンカラー・バスターミナルからの出発だよ、15時過ぎに ここにこれれば1500チャットでそこまで送りのトラックバスがあるよ。
合計17500チャットを払う段階で、まだ、両替をしていない ことに気づきました。「それじゃ、私が紹介する」と待っていましたとばかり、二件隣の店に連れて行きました。ここから怪しい 少し楽しくなるような ずる賢いやつらとの やり取りが始まった。
「いくら両替する」「レートはいくら」「両替額によって変わる」「じゃあ、100ドル」と言うと、「ワンザウザント・ファイブハンドレット」1500≒1ドル
これなら、かなりいいぞ、後は偽札つかまされないかと 警戒する。何せ、屋台のような店での両替ですから・・・
じゃあ、それで と言うと「ただし、これは200ドル両替の値段だ、あんた200ドルくらいあるだろ」「そんなにいらない百ドルでいいよ」「100ドルなら、1200チャット」「それなら空港の中にいた、闇屋と同じじゃないか、やめとくよ」「じゃあ150ドルなら、1300でどうだ」 「よし それなら 両替しよう」、「チョット まっていてくれ用意するから」いつの間にか 周りには5人くらいの人が囲んできている、背中のリックに気をつけないと・・・しばらくして、
輪ゴムで括られた札束を持って男が帰ってきた
これで、150ドル分130000チャット+65000チャット合わせて、195000チャット ここの国の最高額紙幣が、1000チャットですから、単純に195枚の紙幣になる。
20ドル札と10ドル札で一旦払うが、まだ渡さない。普通ならずしりとした札束に、「もう確認しなくてもいいか」と成るところですが、
しっかり金の勘定をしなければ、こんだけ多くの札なら、ネパールでもあったように、ごまかして少なく渡す事は常套手段です。
しっかり時間を掛けて数える 案の定10枚以上、ごまかしてあった「足りんぞ!よく数えてみろ」と少しこちらも、警戒して、強い口調になる。
まずは、目の前で私に確認させながら、数えるが、終盤、またもや、一回数えた札をカウントに入れた「こら!なめとるのか、そんなインチキは今までの経験で、わかりきっているぞ」「あははあ、間違えた」とポケットから、しっかり足りない数の、札がピッタリ出てきて、笑ってごまかす、まだまだ、小悪党もインドやネパールほどではないようです。

それから、まだまだ続く、

今度は、先ほどの20ドル札で払ったあとに、「日本のお札が見たい」「おっ きたな、次は
何を企んでいるのか?」こんなやり取りも旅のスパイスです。「見るか?これだよ」と見せた時に、財布の中を左右から2人が覗き込んで、「あっ、50ドル札があるじゃないか、その方がいい、50ドル札で払ってくれたら、もう10000チャット払う」インドでもあったのですが、高額紙幣は、タンス貯金するために、欲しがる人が多いので、高く買い取ってくれるようで、100ドルないかとよく言われます。しかし、私はそんなに大きいドル札はもって行かないので、「ない」

そのあと、10000チャット分の500チャット札を渡します。20枚の札を渡して、片手には、さっきの札束、もう、なんだかグチャクチャニなって来て、彼らの本領発揮です、先ほどの札は、右のやつに渡したのですが、左のやつが今度は、50ドル札を3枚受け取ると、先ほど見せていた、1万円札を返すと同時に、500チャット札を渡し、数を数えろと矢継ぎ早に、せかせます。
相手と私の間で、ドルやら、円やら チャットやら行き来します。
札を数えようとしたら、1人が立ち去ろうとして、もう一人が間髪いれずにやってきて、先ほどのバス代金を175000チャットを払ってくれといいます。輪ゴムで括られた札束から180000を渡し、ここまでに3分ぐらいのやり取りです。

その時に 思い出した「そうだ、最初に渡した20ドルの札を返しえもらっていない」、最初に渡したのは右の男、(20ドル札で150ドル)50ドルは左の男に渡した、普通右側の男に、「
返して」という所が、左の男が何気なく、立ち去ろうとしたので とっさにそいつの腕をつかみ、「20ドル札で払った、最初の金を返してくれ」というと、その男は、「俺は持っていないよ、向こうの男に渡したんじゃないの」ととぼけて、開襟シャツの胸のポケットから、私が渡した50ドル三枚を見せました、「もう何も入っていないよ」という感じで、右側の男はまだ、そばにいますが、感じからして 左側の方が兄貴分のような感じがしたのです。金の管理はこうゆう場合は、兄貴分がしているはず、こいつらも仲間同士で、信用できないから、私が金の勘定をしている間に、弟分から回収しているはず と私はみたのです。
兄貴分は、あまったチャットを輪ゴムでもう一束 手に持っていました。その束を強引に裏返すと、すんなり、綺麗な私の渡した、ドルが隠してありました。

「何じゃ、これは???」と、顔を覗き込むと、「・・・・・・・いやあー、間違えて、挟んじゃった ようだ 悪い悪い」という感じで、
ごまかして。返してくれました。多分、バスのチィケットを売っている、にーちゃんもグルだな。旅に来たな、と実感して
旅行モードに入った、
なかなか面白い、やり取りでした。
まだまだ、詰めが甘い、ミャンマーの両替屋です。
そのうち だんだん巧妙になり ずるさが磨かれていくんでしょうね。その後、そのまま、少し歩いて、リックを背負ったまま 市内の観光をして、15時にはここに戻る予定です。
ヤンゴンはもう昼近く、非常に暑い気温は30度以上になっています。しかし、木陰やお寺に行くと風が通って涼しい感じです。
まずはミャンマー最大の聖地と言われる、シュエダゴォン・パヤー(パヤーとは聖なると言う意味で=お寺ということです)に行ってみよう。