山田方谷家 | |||||
木村豊━━山田準 清和源氏 ┏惠林 │ 〇山田益昌━━━┻達━━━五朗吉━━━方谷───明遠━━━春野 琢 |
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山田方谷(1805〜1877) 江戸後期〜明治の儒者。文化2年2月21日生れ。佐藤一斎らにまなび、天保8年備中松山藩藩校有終館学頭。藩主板倉勝静のもとで財政改革をおこない、勝静が老中につくと顧問となる。維新後は岡山県閑谷学校の再興につくした。明治10年6月26日死去。73歳。名球。字琳卿。通称は安五郎。著作に「古本大学講義」など。 |
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濟齋 山田準(1867〜1952) 明治〜昭和前期の漢学者。慶応3年11月23日生。山田方谷の孫娘と結婚。五高、七高の教授をへて、昭和2年二松学舎学長、3年二松学舎専門学校初代校長。陽明学研究の王学会を主宰した。昭和27年11月21日死去。84歳。備中出身。帝国大学卒。本姓は木村。字は士表。号は済斎。編著に「山田方谷全集」など。 |
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