乾清花苑  太白廡  略伝引得

                             文一 
                      幹々      │
                      ┝━━━━宣子
∴谷本教━━━━麓谷━━━┳〇文晁              ┏某
                   ┃  ┝━━━━文二━━━━┻文中
                   ┃ 阿佐子
                   ┃
                   ┃ 中田粲堂
                   ┃  │
                   ┣━舜媖
                   ┗━紅藍
谷本教(1689〜1752)
 江戸中期の武士。元禄2年生。美濃、出羽、近江などで郡代・代官所の下役として民政に活躍、江戸で普請役・勘定詰となる。のち田安家につかえた。宝暦2年7月17日死去。64歳。通称は文治、伝右衛門、猶右衛門。号は恭節。著作に「県令須知」「地方一様記弁解」など。
谷麓谷(1729〜1809) 
 江戸中・後期の漢詩人。享保14年生。谷本教の子。谷文晁の父。江戸の人。田安家につかえた父の跡をついだが世事をこのまず、儒者の入江南溟にまなぶ。文化6年9月5日死去。81歳。名本修(脩)。字務卿。通称は十次郎。漢詩集に「麓谷初集」など。
谷文晁1763〜1841) 
 江戸後期の画家。宝暦13年9月9日生。谷麓谷の長男。加藤文麗、渡辺玄対らに師事。狩野派、土佐派、南宗画、北宗画、西洋画などの手法をとりいれて独自の画風を創出、江戸文人画壇の重鎮となる。田安徳川家につかえ、松平定信編「集古十種」の挿絵もかく。渡辺崋山ら門人多数。天保11年12月14日死去。78歳。江戸出身。通称は文五郎。別号に写山楼、画学斎など。
谷文一(1787〜1818)
 江戸後期の画家。天明7年生。江戸日本橋の医師利光寛造の子。文人画家谷文晁の娘婿。円山派をとりいれた独自の画風をしめしたが、文化15年3月8日文晁に先だって死去。32歳。号は痴斎。

海棠花圖
谷文二(1812〜1850)
 江戸後期の画家。文化9年生。谷文晁の子。江戸の人。画法を父にまなぶ。花鳥画を得意とし、文晁の死後家督をついだ。嘉永3年5月11日死去。39歳。名は義宣。号は萍所。

墨竹