乾清花苑 太白廡 略伝引得
江戸後期・明治の日本画家。天保4年、山形県出羽に生まれる。名は道雄、のち元道、別号に梵林・泰岳・日橋隠士等。家は代々修験者で白龍山梵林院の祠官。初め長沼月峯、熊坂適山、のち富取芳斎について花鳥画を学ぶ。山水画を能くし、日本的な南画の確立に努力する。また国典にも通じていた。国中を行脚して東京では木戸孝允、京都では富岡鉄斎らと知り合う。明治31年歿、享年66才。
富士山圖
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