乾清花苑  太白廡  略伝引得

佐々木康綱(1768〜1853)
 伊勢石薬師の人。医家の家に生まれ通称宗六、号玩易齋。はじめ伏見宮に仕え、宮のお声がかりで加茂の書博士岡本保考に入門し大師流を学んだ。佐門十哲という高足十人があり、晩年の弟子横井北泉(1831〜1919に大師流の法を伝え入木道45世とした(「近代大師流系譜考」楠見敏雄)。佐々木包綱は子息か。通字から見ると佐々木弘綱と縁があろう。
 また一に花山院愛徳に書を学んで書博士の免許を得、初め九条家に仕えるが、尾張に移って華道・書道を教授し、高須藩主松平義建の招請を受けて江戸で書を教授し、その書風を佐々木流と称されたという(黄虎洞)


 
佐々木庸綱号散齋 
            


筆尊弟開筆道
「慈雲山」題字