乾清花苑
太白廡
略伝引得
野田半谷(1819〜1898)
伊勢津藩士、名可復、字謙之、通称治部輔、半谷は号、文政2年3月26日生。幼より武芸に長じ、最も剣槍の術に詳しく、藩主の御刀番であった。経史を
齋藤拙堂
に受け常に土井聱牙と親しむ。性書を好み横田半溪に学ぶ。のちに和漢を折衷して一家をなしもっとも篆隷に妙なり。また篆刻を好んで飛鴻堂印譜を研究して得るところがあった。詩書もよくした。明治31年4月15日没、年80、葬地は天然寺(三重先賢伝)
雨山華鳥
大雅
半谷
可復
永壽七絶
憶故七絶
合作
磨劔五絶
早大蔵書