乾清花苑  太白廡  略伝引得

村田氏
 
村田東圃(1802〜1865)
 享保2年那珂郡春吉生。実家は農業。字子壁、通称瑣一郎。別号に紫溟釣徒、黒江遊人がある。30代で、博多橋口町の製墨業を主とする文具商・常春園村田治右ヱ門の養子となった。はじめ狩野派を学び、ついで斎藤秋圃に師事し、さらに京都に出て松村景文に四条派を学んだが、のちに元明の南宗画家を敬慕し、南画に転じた。50歳を過ぎた頃、京都で修行をしていた子の香谷が一時帰郷したのを機に、親子三人で京都に出て10年余り京都で活動、晩年は帰郷し子弟の教育にあたった。門人に村田香谷、村田秋江、姫島竹外、松尾耕雲らがいる。元治2年、64歳で死去した
 
合作
村田香谷(1831〜1912)
 天保2年筑前生。村田東圃の子。名叔。別号に蘭雪・適園がある。はじめ父に、のちに長崎の日高鉄翁、京都の貫名海屋に南画を学んだ。詩は梁川星巌に学んだ。中国に3度渡り胡公寿らと交わり研究した。帰国後は大阪に定住した。大正元年、82歳で死去した。


田淑之印


酒酣落筆
「碧悟清暑」山水
村田秋江(1836〜1890)
 天保7年生。村田東圃に学んだ。明治23年、55歳で死去した。明治22年須恵焼の金錆染付酒注(須恵町文化財)に絵付けした例がある
(UGAほか)