乾清花苑  太白廡  略伝引得

牧百峰(1801〜1863)
 名は輗、字は信侯、また信吾。通称善助、また善輔。自ら百峰山人と号し、別号に贛齋。美濃(本巣市文殊)の人。頼山陽後年の門下で、銅駝坊に帷を下した後も足繁く交通し、後藤松陰とともに最も信を置かれた。弘化年間に学習所(後の学習院)の設けられると儒師に聘せらる。長楽寺に師と共に眠る。著書に『贛齋漫稿』ある由、一般には『日本楽府』註解ならびに蒲生氏郷論で有名。
【濃山群峰】http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/local.htm
 
別號は日本印人伝や濃山郡峰には心に従う「戇」に作るが落款より「贛」に改めた。平安住、山陽印譜に刻印あり

贛齋百峰

彫蟲

贛齋

憐窮

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