乾清花苑  太白廡  略伝引得

がらんどう 乾清花苑 太白 略伝索引
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                      河田興            ┏士子───吉田茂
                        ┝━━━━┳某━━━┻河田烈
            佐藤一斎━━━━女      ┗大橋陶庵
            清水赤城━━━大橋訥庵     ┝━━━┳大橋遂堂
         佐野屋東家        ┝━━━━誠子    ┗菊池惺堂↓
大橋英斎━┳【1】 菊池東海    ┏巻子      ┏〔1〕静軒──〔2〕久吉〔現大塚佐野屋〕
       ┃ (大橋淡雅) ┝━━╋【2】菊池澹如━╋【3】得堂──【4】惺堂━━廉堂
       ┗━宮(後妻)  │   ┗於作(長女)  ┗武寛↓      (東家閉店)
宇都宮本家   │    ┏民子    │
H菊池満具━━I孝古━┻J英親━┳K孝光━━L啓兵衛──M武寛━━N
                        ┃  代吉
                        ┃  ┝━━政隆(静軒)↑
                        ┗━志津
菊池・大橋関係図


大橋訥庵(1816〜1862)
 幕末の儒者。文化13年生。佐藤一斎にまなび、江戸の豪商大橋淡雅の養子となる。思誠塾をひらき、のち下野宇都宮藩主の侍講をつとめた。尊論を主張し、老中安藤信正襲撃をくわだてた罪で投獄され、出獄直後の文久2年7月12日病死。47歳。江戸出身。本姓は清水。名は正順。字周道。通称は順蔵。別号に曲洲、承天。著作に「闢邪小言」「元寇記略」など。
 
屠龍

七絶

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