乾清花苑  太白廡  略伝引得

柿沼山岳(1774?〜)
 安永3年に、武州加須に生まれたと伝えられいる。上州木崎宿に居住し私塾を開き宿場の子弟に学問を教え、漢方医を業としていた。医業や子弟の教育の傍ら書画作品を制作。木崎を中心に上州一円ばかりなく、江戸に出て子弟の指導にあたり、上州の南画の先覚者として評価されている。山水図、人物図を得意とし門弟も多く、熊谷地域には岩田霞岳(1828年〜1890年)がいる。没年は不詳だが嘉永6年に画かれた山水画が遺されている」
(くまがやねっと)、古今名家改正南画一覧(明治14)