乾清花苑  太白廡  略伝引得

春木家
○春木南湖━━┳南溟━━━南華━━┳南溪━━━南江
          ┗西湖          ┗南峰

春木南湖(1759〜1839)
 江戸中後期の文人画家。本姓結城氏。名鯤、字子魚、通称は門彌。号は南湖の他に幽石斎、烟霞釣叟、呑墨翁など。江戸生。
 画ははじめ木村蒹葭堂に師事、壮年期になって4歳年下の谷文晁の門下となる。増山雪斎に仕え、天明8年(1788)には雪斎の命を受け長崎に遊学。清人の張秋穀や費晴湖から直接彩色などの画法を受けた。小不朽吟社の一員として詩文にも巧みであった。






(印は不鮮明)






獨釣圖 山水 「米家筆格」 墨竹

 

集娯圖 1778 
春木南溟(1795〜1878)
 
江戸後期〜明治の南画家。春木南湖の長男。名ははじめ秀熙、のちに龍。字子敬、のちに子緝。南溟は号、別号に耕雲漁者・呑山楼など。通称は卯之助。江戸の生まれ。




山水

山水 1855  旭松圖 山水小色紙(旧蔵)
春木西湖(〜1853)
 江戸時代後期の南画家。春木南湖の次男。春木南溟は実兄。 名秀定、字其雲、西湖・雲外農夫と号した。江戸の生まれ。