乾清花苑  太白廡  略伝引得

藤野家
〇藤野海南━━━━君山
藤野海南(1826〜1888)
 幕末明治の武士、歴史学者。文政9年5月9日生。伊予松山藩士。昌平黌にまなぶ。藩校明教館学寮長をへて万延元年昌平黌舎長となる。維新の際は藩論を新政府方へとみちびき、維新後は修史局編修官をつとめた。明治21年3月18日死去。63歳。名は啓。字伯廸。編著に「先朝紀略」など。
 墓は谷中霊園 ・海南藤野先生墓  明治27 重野安繹撰 古富卓書 三津濱吉村月輪鐫 
・日本正六位藤野君墓志銘  大清欽差大臣黎庶昌撰・書 光緒14

藤野君山(1863〜1943)
 帝都賜菊園学会長。愛媛県生。名は静輝。太政官を勤めた後、歴史研究のため各地を周遊した。詩歌・文章・俳吟を能くし、書画にも秀でた。帝都賜菊園学を興し、故実・口伝等を後進に伝え、また乃木希典らと親交した。