<楽楽・神戸>練習風景
練習風景 by 15回生どらむすこ
- 6月2日(金)先輩からの便り
- 懐かしい先輩から便りがありました。
13回生の竹内さん(ベース)です。
5月24日(水)東京で13回生の方々がお会いになったそうです。
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左:黒木さん 右:原田さん |
左:岡田さん 右:朝比奈さん |
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左から原田さん、岡田さん、朝比奈さん、竹内さん、黒木さん |
下の2枚は昨年の東京の弦友会の写真です。 |
毎年、11月に神楽坂でOB会を開催しています。 |
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我々15回生が侵入生じゃなかった新入生の時、2年生、3年生、4年生に竹内さんがいらっしゃったのです。
それぞれ、二タケさん、三タケさん、四タケさんとお呼びしていました。
その三タケさんです。
二タケさんは、現在の<楽楽・神戸>の竹内さんで、四タケさんが前回練習を見学に来られた方で二タケさんの実兄です。
今回メールを下さった三タケさんは、下浦夫妻が横浜で主宰していたパストラーレのベースで活躍されていました。
写真をみてもおわかりのように紳士で優しい心の持ち主ですが芯の通ったところも或る素敵な先輩です。
なんでも、久々に朝比奈さん(13回生2ndチーフ)が帰国されたのでOBが集まったということで、写真を送って下さいました。
岡田さん(13回生)、原田さん(13回生)、黒木さん(13回生)が集まったそうです。
懐かしいですね。
我々15回生が1年生の時の3年生です。
<楽楽・神戸>の井川さんの同期生の皆様方です。
竹内さんは写真だけ送って下さったので、諸先輩方に関してそれ以上の情報はありませんので、私が諸先輩の思い出を少し書いておきます。
岡田さんは学生の時から貫禄十分でした。
我々15回生が1年生の時の夏の合宿で夕食の時、丹前姿で食事をしている岡田さんを見て或る新入生が「旅館の番頭さんも一緒に食事をしている」と勘違いしたことがありました。
現在は或る著名な企業の社長です。
昔から東京の神楽坂で11月のボジョーレ・ヌーボ解禁の時期に弦友会を開催して下さっています。
東京の弦友会の世話役です。
私も横浜にいた時に何回かお世話になりました。
ドンと呼ぶのにこれほど相応しい人はいないと思います。
原田さんはドラパートでチーフマネージャーでした。
ファイトの塊のような方でした。ファイティング原田ですよね。
合宿の度に「記憶術」を披露して下さいました。
又、4年生になったからも引退してしまわずにマンドリンを懸命に練習されて「モーツアルトの子守唄を主題とする変奏曲」という独奏曲の中でも難曲を部内演奏会で見事に演奏されたのを思い出します。
黒木さんもドラパートでした。
内マネでした。
私には非常に紳士でダンディな方のように思えました。
黒木さんのお弾きになるドラの音(ね)は、黒い音がしました。
他のドラの人々が時折赤茶けた音を出すのに黒木さんのドラの音は黒い音がするのです。魅力的でした。
今、思えば渡邊さん製作のドラをお使いになられていたのではなかったでしょうか?
それで低音がよく響いていたのかも知れません。
北海道に就職されましたが、生まれは九州で九州男児です。
とにかく3年生の先輩たちは格好よくて我々のあこがれでした。
朝比奈さんは2ndのチーフをされていましたが、よく冗談を言って皆を笑わせて後輩の面倒もよく見てくださる先輩でした。
1年生の夏の合宿の後、朝比奈さんの率いるグループ旅行に私も参加させて頂いたのでした。
信州の美ヶ原、白馬、仁科三湖へ行ったのでした。
美ヶ原へ行くバスの中で隣に座っていたギターの新入生と話をしていたら、同じ小学校で隣のクラスだったことがわかりました。
この人が佐々木さんでした。
もう40年以上も昔の話ですね。
家に帰って、「インコを飼っていた家の娘さんがマンドリンクラブで一緒だった。」と話をすると、なんと母はよく知っていたのです。
私の妹と佐々木さんの弟さんが小学校で同じクラスで母親同士は知り合いだったのです。
そういう懐かしい思い出が次々と思い出されます。
朝比奈さんは「カイカイ節」という踊りを後輩に伝えました。
16回生の池田(正)君に伝え、それはさらに下級生に伝えられた筈なのですが、その後、どうなったのでしょうか?
竹内さんは昨年のOBステージの演奏のCDを出席者にお配りしたそうです。
CDの「商神」を聞くと「眼が潤んでくる」そうです。
「古戦場の秋」をOBの皆さんに聞かせたいのだとメールにお書きになられていました。
さて、これを読んだ先輩の皆様、何かありましたらお便りを下さい。
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