晩秋 6
漸く夜が明けようとしていた。
薄紫色に霞む景色の中で、雪のような白い花々が風に揺れている。空気は乾き、冷たかった。この気温の低さでは、霜が降りる日も近いことだろう。
--そして、間もなく凍るような冬が訪れる。
そうなれば、標高の高い、山間のこの場所は春まで雪に埋もれてしまうに違いない。それまでに、この美しい景色も一炊の夢のように終わりを告げるのだろうか。
・・寒い・・。
少年は藍色の羅紗羽織の襟元を掻き寄せた。
「リクオ。」
背後で聞きなれた男の声がした。かさり、と花々を掻き分けつつ歩み寄る音が聞こえる。少年は振り返った。
「・・まだ、花を見てんのか。」
「・・うん、何だか綺麗で見とれてしまって。東京に、こんな広い花畑とかないしね。」
傍らで薬師の男は、大きな溜息を付いた。
「・・ただの狂い咲きさ。本当は春の終わりに花が咲く。なんで、こんな秋に咲いてんだか、訳わかんねぇ。」
と、薬師が呆れた様に言うと
「・・そんな風に言わないで欲しいな。健気に咲いているんだもの。」
と、少年は柔らかに微笑んだ。そして、もう一度白い花々へ視線を戻した。
「・・ねぇ、鴆くん。本当に、この白い花苑を焼き払うの?こんなに綺麗なのに。」
「・・仕方ねぇよ。こんなに沢山必要ねぇしな。」
「何だか、この花たちが可哀想だね。こんなに一生懸命懸命に咲いても、火にくべられて、決して実を結ぶことも出来ないなんてね。」
少年の眼差しが寂しげに翳る。男が少年の顔を覗きこんだ。
「・・花であれ、獣であれ、妖であれ、この世に生きているものに、そういうことは別に珍しくないさ。・・それに、どうせ、もうすぐ霜が降りる。そうしたら、枯れて、どっちにしろ実は結ばねぇ。」
「そうなんだ・・。」
少年が寒そうに羽織の襟元を再び掻き寄せた。そして、山の端から明るくなっていく空を見上げる。
「・・この白い花は泡沫の徒花なんだね・・。」
リクオは憂い顔で言った。
「・・ねぇ、鴆くん。一体この花、何ていう名の花なの?」
少年は冷え込みに、ぶるっと肩を竦めながら問う。それを見た男が自分の長羽織を脱ごうとするが、それを少年が見咎めて首を振った。
「・・『麗春花』だ。昔、大陸から鴆一族が渡ってきたとき、初代の頭領が持ってきた薬草だ。」
男は静かに答えた。
「・・綺麗な名前だね。でも何だか儚い感じがする。」
少年は、薄っすらと微笑んだ。
「ああ・・けど、この花の実から取れる阿芙蓉は、気違いみてぇに痛みに効く。下し腹にも効く。咳にもな。」
「・・ふうん。」
「・・でもよ、使い方を間違えると、花に取り付かれちまう。気が付いたら、いつも、この麗春花んこと考える嵌めになる。ある意味、この花は一癖ある女と一緒だ。見かけは、凄くいい女なのによ。付き合い方によっちゃ飛んでもねぇ女になる。別れてぇのに別れてくれねぇ、切れたいのに切れてくれねぇ。で、気が付いたら骨までしゃぶられてるって寸法だ。」
「・・・ねぇ、鴆くん、その例え話は、妙に真に迫るもの感じるんだけど・・。もしかして、鴆くんの個人的体験談とか。」
揶揄するように言い捨てつつ、少年は寒そうに袂の中へに冷たくなった手を引っ込めた。
「・・・・・・・・・。」
少年のからかう様な軽口をやんわりと受け流すことなく、男は何故か敏感に反応し、突然、無言になった。その気不味い沈黙に、少年は、胸が痛くなって目を伏せる。・・ここには、やはり自分の知らない『男』の鴆がいるのだ。・・自分より前に、鴆と共寝した女たちが確かに存在している。今は、その事実が堪らなかった。
「・・多分、オレは寂しかったんだろうな。お袋も死んで、親父も死んで、伯父たちも死んで、その上、頼りの二代目も死んじまった。そんで、已むなく元服して鴆一派の引き継いでみたら、今度は若すぎて一派の中で四面楚歌だ。片や、お前は人間として暮らしたい、だから奴良組は継がねぇって言い出したしよ。」
「・・・・・・・・・。」
まだ、子どもだったリクオには奴良組の貸元たちの気持ちまで理解することは出来なかった。奴良組の若頭として登場するまで、古参の貸元たちは、皆、辛い思いをしていたのだ。
苦しそうに目を伏せたままの少年を、男は見つめていた。そして、その様子に堪りかねて、とうとう口を開く。
「・・・おめぇは、人の血が濃い。だから人間として暮らしたいと願ったって、それは、我侭でも何でもねぇよ。寧ろ、勝手なのはオレたちの方さ。オレたち妖怪は、弱いもんの方が多い。だから、つい強い大将を求めちまう。」
男の言葉に、少年は押し黙ったままだった。すると、後ろの方からバサバサという羽音が聞こえ、男が屋敷の方を振り返ると三羽鴉のささ美がこちらの方へ飛んでくるのが見えた。
「・・リクオ様、鴆様、屋敷の方は、取り敢えず、片付きました。ですが、肝心の蔵の鍵はどこにも見当たりません。」
上空をゆっくりと旋回しながら降りてきた、ささ美は、空から声高に報告する。そして、地面に、そっと舞い降りると、長い杓杖をと地面に付いた。遊環の高い音が鳴る。
「後は、鴆さまのお持ちの鍵でしか、蔵は開けることしか出来ないでしょう。‥どうなさいますか。三つ目族の所有する鍵の所在が分からぬままですが、蔵の扉をお開けになりますか。」
「・・奴ら、なけなしの良心で鍵だけは死に物狂いで守ったんだな。‥兎に角、開けるしかねぇよ。肝心の薬草がオレんとこに届かない限りはな。」
そう言いながら、男は、自分の藤色の羅紗の長羽織を脱ぎ、少年の身体を包んだ。そして俯いたままの少年の肩をそっと掴むと、ささ美の方を向く。
「わりぃが、リクオを小屋に連れて帰ってくれ。人間に戻ったもんだから、寒くて仕方ねぇらしい。さっきから、ぶるぶる震えてやがる。」
鴆の言葉に、ささ美が頷いた。
「承知しました。リクオ様は私がお連れしましょう。ですが鴆様も、どうかお体を冷やされませんよう‥。是非、こちらをお召しになってください。」
ささ美が、三羽鴉たちが身に付けているのと同じ模様の袖なし羽織を鴆に差し出した。
「おう、三羽鴉は、随分と準備がいいな。ありがとよ。さてと、リクオ、寒さで顔色も悪くなってきているから、もう帰って休んでいろ。」
だが、それを聞いた少年は、強く首を振った。
「ううん、ボクも三代目として、蔵の検分には立ち会うよ。三代目として鴆一派のこの件の対応も見届けるつもりだから。」
リクオは、そう断言すると、男の腕を摺り抜けて屋敷へ向かって歩き始めた。
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「・・これが蔵の鍵だ。こんな鍵一つで大事になったな。」
鴆が掌に乗せた大きな鍵を見せた。何の変哲もない輪のついた金属の鍵だった。三羽鴉達が、興味深そうに身を乗り出して覗き込む。
「・・けど、妖の結界が施されている、妖力の弱いものは触るのも困難だ。連中も手に入れたとしても使えなかったかもしれねぇ。」
今度はリクオが鍵を覗き込む。
「・・・試しに触ってみてもいい?」
と、少年が言えば
「構わねぇけど、人間の姿んときは触んないほうがいいぞ。どうせ、弾かれる。」
と鴆が答えた。すると今度は、三羽鴉の一人の黒羽丸が鍵を指差した。
「・・実は私も触ってみたいのですが、よろしいでしょうか。鴆さま。」
「構わねぇぜ。ついでに、この錠前を開けてくれ。」
そう言われた黒羽丸がそっと、手を伸ばして鍵を摘んだ。
「・・わっ。」
ちょっと摘んだだけで、持っていることが出来ずに、黒羽丸は、そのまま下へ取り落とした。ちゃりんと地面へ当たる音がする。
「・・いたっ・・、この鍵・・強い結界を持っていますね。思いっきり拒まれましたよ。かなりの妖力の持ち主でないと無理じゃないでしょうか。齢を重ねた親父ならつかめるかもしれませんが。」
少年は足元に落ちている鍵を見下ろした。金属で出来た鍵が鈍い光を放っている。少年は思わず地面に身を屈めた。そして、今度は恐る恐る指を伸ばす。だが何となく、触れることには抵抗があった。鴆一派の薬草の中でも特異な薬効を持つという麗春花を守り続けた古い鍵。その鍵には様々な念が込められているような気がしたからだった。毒に蝕まれる短命の鴆一族は、一体どんな気持ちでこの鍵を受け継いできたのだろうか。
--指先が鍵の先端に触れる。
不思議なことに金属特有の冷たさはなかった。そのまま先端を指先で摘み、持ち上げる。
気が付けば、鍵は少年の手の中へすっぽりと収まっていた。ひんやりとした感覚もなく、拒む結界も感じることはなかった。少年は拾った鍵を薬師の男の前に差し出す。
リクオを囲んで立っている三羽鴉達が驚いた表情でリクオの顔を見ていた。そして薬師もまた・・。けれど、その男の表情は、やがて穏やかな笑みへと変わった。
受け取った薬師は、その鍵を土蔵の金具にしっかり取り付けられた漆塗りの和錠へ差し込み、ぐるりと回す。すると錠前の金属棒がするりと横へ抜けた。
そのまま錠前をはずし取り、閂を抜く。そして、重い鉄の扉を押した。
--蔵が開く。
暗い場所に、明け方の薄白い光が入った。薬師と三代目は、そっと、寒々とした蔵の中へ足を踏み入れる。
薄暗い蔵の中には、大量の柳行李が、所狭しと積み置かれていた。しんと静まり返っている。
リクオのほっとしたような溜息が漏れた。
「鴆くん、探していた薬草、無事だったみたいだね。」
そういったリクオは行李の山に近寄り、その内の一つの蓋を開けようと手を伸ばした。
「・・リクオ、まだ触るんじゃねぇよ。それにしても偉い量だな。」
鴆はリクオを、そっと押しのけて、行李の山の前に立った。そして、両手で静かに蓋を開ける。
「・・・やっぱりな、まだ、加工は終わってねぇ。」
男の言葉に少年は身を乗り出して行李の中身を覗く。
「・・何?これ。」
柳行李の中には和紙に包まれた若草色の大きな実が沢山詰め込まれていた。その若草色の実は茶褐色の泥のようなものがこびり付いている。少年は、触ろうと指を近づけた。
「こら!触るな!」
男の怒鳴り声に少年は、慌てて手を引っ込めた。
「この薬草は、オレたち妖と違って、人間に取り付きやすい。リクオ、お前は人の血が濃い。一応気をつけたほうがいいぜ。」
「・・うん。」
少年は男を見上げた。
「しかし、この量は、半端じゃねぇ。ほとんど蔵一杯だ。オレに報告していた量とは桁が違ってるぜ。」
「どういうことなの、鴆くん。」
「もうオレにもわからねぇ。自分たちで使っていたのか、どこかへ流していたのか。ここの眷属の連中には、長い年月の間に、人の血が混じっていたのかもしれねぇな。人の血が混ざると、純血の妖怪のオレ達とは違う世界を持つようになるからな。」
男の辛辣な言葉に、人の血の流れる少年、憂いを帯びた表情で薬師を見上げる。
「・・リクオ、人の血が混ざるのは良くねぇって言ってるんじゃねぇよ。この薬草は人間と相性が良すぎるんだ。気をつけねぇと取り付かれちまうからだ。」
「・・・・・・・・・。」
「最近は、シマが拡大していて、時々大きな抗争や出入りが起きてる。どうしても酷でぇ怪我をする連中が増えててな。そんで少々増産を頼んだら、この様だ。情けねぇな。」
少年の表情が憂いを、更に帯びた。人間のリクオは感受性が高い。
「・・ご、ごめんなさい・・。出入りのときは、皆が怪我しないよう、なるべく自分が前に出るようにしているんだけど、皆、張り切っちゃってボクの後ろから飛び出していってしまって・・。」
「・・何言ってんだ、リクオ。別にお前のせいじゃねぇよ。そう意味で言ったんじゃねぇ。奴良組の人数が増えてるだけだ。だから、単純に怪我人も増えてるのさ。」
「・・うん。ありがと、鴆くん。」
少年が安堵したように微笑んだ。
「・・この薬草から取れる阿芙蓉は、ほぼ例外なく酷い痛みに効いてくれる。こんな薬草、オレはこれ以外、見たことも聞いたこともねぇ。のた打ち回っていた奴が、暫くすると、すっかり機嫌よくしてやがる。鴆一派の先祖たちも、これ以上の薬草は見たことねぇはずだぜ。」
和紙に包まれたままの実を薬師の男が行李から取り出す。
「・・そうなんだ。」
「けど、取り付かれた連中は、この罌粟坊主を炙って使うようになっちまう。特に人間の血が混ざっている奴は要注意だ。」
少年は、男の手にある和紙に包まれた若草色の実を見た。男は、実を和紙ごと、少年の掌の中へ置いた。
「人間は、この実に付いている阿芙蓉に弱い。この泥みたいな奴だ。」
「・・ふうん。じゃ、なんで使うの?痛いのが辛いから?」
少年は首を傾げる。
「説明するのは難しいな。・・コイツは痛いのも忘れさせてくれるが、使い方によっちゃ、辛いことも悲しいことも皆忘れさせてくれる。有体に言えば、偽りの『幸せ』をくれることもあるわけだ。」
「それって、幸せな夢を見られる、みたいなってこと?」
「・・まあな。ただし、何度でも見たくなる『たちの悪い至福の夢』をな。」
「・・何度も?」
「・・ああ。そのうち、妖と違って人間は止められなくなりやがる。」
少年の黒い瞳が不安げに揺れた。
「・・そして、どうなるの?」
「最悪、死んじまうかな。」
「・・・・・・・・・。」
少年は手の中の薄緑の実をじっと凝視した。・・どうみても、ただの草の実にしか見えなかった。
わざわざ読んでくれた方、ほんと、ありがとう!まだ、終わんないです・・。
内容的には、現実と合っていたり違っていたりする部分もあります・・。
ついでに言うと、史実だったり史実でなかったりする部分も・・あります。
単純に詳細がわかんない史実もあるでしょう。・・まぁ、二次なので適当に読み流してね(^ _ ^;)/
最後まで辿り着いたら、説明的あとがきしたいです。・・そろそろ終わりに近づきつつあります。
晩秋7へ
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